河合純一さん | Milestone

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SWIMMING+Ryosuke Irie

昨日の「挫折と苦難の克服」
もう一度読んでみました。大輔選手の部分はあまり気持ちが変わりませんが、

著者の方に失礼な発言をしてお詫び申し上げます。
記事は削除させていただきました。
また不快に思われた方もごめんなさい。
でも素直な気持ちでした。

きっと私も知識がなければ、なるほどと思えたと思うけど、
知れば知るほど見えてこない物ってあると思いました。

それから二人目の河合純一さんの文章(著者は小林良介さん)
にとても感動しました。

最後の言葉「生きている限り、いや、死後も泳ぎ続けていたい」
涙が溢れました。

盲目のスイマーとして、私は初めて彼を知りました。
実は小中と水泳をやっていた私は、5年生くらいから目が悪くなり
周りの様子や、タイムを計る時計や、コースのラインなど、
徐々に見えなくなりました。

私は極度の近眼だけど、どうしても自分を重ねられずには
いられませんでした。

そんな恐怖感がなんとなく伝わりました。

特にストロークの話。私は背泳ぎが専門でしたが、
25m(長水路は50m)泳ぐのに何ストロークとか、
5mラインから何ストロークとか数えるのですが、

バックストロークですので、後ろは見えません。
周りも見えていなかったため、調子によってはストローク数がずれることも
あります。

そのため、当時は手を着いたターンがルールだったのですが、
頭をぶつけたり、手をぶつけたり、あせって手を着かずにターンしてしまたっり
ということが何度もありました。

本当に恐怖でした。でも私はバックストロークが好きでしたし、
それしか才能がなかった(大した選手ではありませんが)
ので、中学3年まではそれを続けました。

スイミングスクールではひたすら泳ぐだけなので、
学校の水泳部では一人、ターンの練習ばかりしていました。

引退してから、クイックターン(クルっと廻ってクロールと同じターン)
になったと知った時はとてもショックでした。
あんなに苦労して、練習したのに・・・

でも、そんな地道な努力もあってか、自分の納得のいく選手生活を
おくれたと思い、高校からは心機一転合唱を始めました。

高校の先輩から水泳部に誘われたけど、
中学時代に大差をつけられた、先輩もいたし
(その方は関東大会にも出られました)
私は、合唱の魅力に取りつかれ、今に至ります。

北島康介選手と大輔選手の対談にもとても興味が湧きました。
これはまたの回にお話しするとして。

もうすぐ四大陸の再放送が始まるので・・・

読んでいただきありがとうございました。