歴史なんてのは結局のところ、勝者いとって、都合のいいように書かれているだけです。

 

和宮は、こういう輩を相手に、何とか、慶喜の助命を勝ち取ります。

 

よく歴史の教科書では、勝海舟が、江戸城の無血開城で、慶喜の命を守ったとか言われますが、実は、裏で和宮の相当の努力が、あって、勝海舟の無血開城が成立したわけです。

 

我々が学んできた歴史ってなんなのでしょうね?結局勝者が勝手に、事実を曲げて、今日まで伝わってきている。

 

私がこのブログをやっているのも、明治維新とは、われわれが習ってきた歴史感、つまり勝者である、薩摩、長州が、作ってきたという歴史はかなり違っていたとことを、伝えたかったわけです。

 

話は戻りますが、この時和宮の努力で慶喜の助命がなかったら、幕府側もただじゃ済まさなかったのではないでしょうか?

 

もっと大規模な内乱様態になり、欧米列強の思うがままになっていたのではないでしょうか?

 

明治維新はそのほとんどが、幕府によって、基礎づくりが行われ、そのあと、強引に、薩長によって、政権が奪取されたという事なんですね。

 

和宮の降嫁の後、幕府は6~7年の間に、開国路線を定着させ、外国との交渉もなんとか行いながら、西洋の文明を吸収し、近代国家の基礎を作っていったのです。その頃はもう誰も攘夷断行なんてことは言わなくなっていました。

 

そういう意味でこの公武合体の6年間は、開国路線を定着させた期間だったと言えるのです。

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