僕、桜川米平は昭和30年4月26日に北区豊島に生まれた。

 

父、原平八は常磐津の太夫でありそれと同時に幇間(太鼓持ち)の揚羽家伍蝶(ごちょう)師匠から看板を買受け王子三業にて揚羽家という芸者の置き屋を営んでいた。母は、みよと言い九段の芸者から、王子の浦島という割烹料理店の仲居として働いていたところを父に見染められて、僕とひとまわり違う姉、晴美をつれて父の元に嫁いだ。

 

 

格式の高い常磐津では東京新聞社主催の邦楽コンクールで優勝の経験を持つ、常磐津小文字太夫師範のお弟子さんであり常磐津駒寿太夫といった名を持つ常磐津師範である。

 

当時は、澤村源平(訥升)御援会主催の慰労会を開催して盛大な歌舞伎劇の慰問を行い、東京都養育院厚生会、当時会長 黒川義雄氏から感謝状をいただいている。

 

父は明治の人間で、真面目で几帳面、曲がったことを決して許さない男であり、花柳界といったどちらかというと柔らかく見られがちな世界に中で一つの信念を貫いてきた男のように見える。

 

いつか、澤村訥升、澤村源平さんの関係者の方々にお会いするのも楽しみにしている。

 

とにかく、和の世界は狭い。とてつもなく広い世界の中でとにかく狭い。

 

ここでは、市川團十郎さんが常磐津を江戸に持ってきた時からのご縁ということになる。

 

先代の中村勘九郎さん、中村勘三郎さんが生まれた時に母は、父が出ずに乳親をお受けすることが出来なかったようだが、乳が出ていたら今頃、現在に中村勘九郎さんを自分の子供のように可愛がっていたであろうと思う。

ちなみに、先代、中村勘九郎、中村勘三郎さん、八十助、三津五郎さんとは同い年、同じ学年である。

 

明日は、中学校、高校の同窓会だ。

 

みんな各方面で活躍なさっているであろう。