LEMEFUSのこころ ~飛行機好きセスナおやじ~ -4ページ目

モヒカン塗装 ANA全日空 B727-200 JA8339

モヒカン塗装 ANA全日空 ボーイング727-281 JA8339 です。

1980年9月4日、伊丹空港 滑走路32R端より、32Lへ向けてタキシング中を撮影

しました。

 

 

この機体は1972年3月24日、全日空で新規就航しました。1982年3月1日、系列の

再販売部門に転籍後、リースを受けながら飛行を継続しましたが、1984年3月1日、

ピードモント航空に売却、N866N で登録されました。

 

さらに、米USエアウェイズに移り、N747USとして登録されましたが、最後は、用途停止・

保管後、1994年9月28日に廃棄・解体されました。

             (各日付に関しては、参照記録により微妙なズレがあります。)

 

目の前を通過するストレッチ型B727は、美しい姿でした。

ルフトハンザ・ドイツ航空 B747-200 D-ABYK

ルフトハンザ・ドイツ航空 ボーイング747-230B D-ABYK です。

1980年9月2日、伊丹空港 滑走路32R端より、国際線スポット・イン直前の姿を撮影

しました。

 

 

この機体は1976年4月12日、同社にて新規就航しました。

 

1995年4月11日に米アトラス・エアに売却され、貨物機に改修(230BF)、N509MC の

登録で就航、N509MCのまま、2004年5月10日、 Polar Air Cargo へ移り、2006年8月

28日に再びアトラス・エアに戻りました。

 

2007年2月8日に Southern Air Transport に売却されましたが、2012年10月10日、

モハベ砂漠の"飛行機の墓場"にて保管となりました。

 

なお現在、同じ D-ABYK の登録番号で、B747-800 がルフトハンザにて就航中です。

年中行事...

あ~、やっと確定申告の書類完成! 昨日送付しました。

 

この時期はいつも憂鬱です。税理士さんに任せるほど商売繁盛していないので、毎年自力

です。

 

サラリーマン時代は楽だったなぁ、なんて。何かない限り、確定申告じゃなくて、年末調整で

済みますからね。

 

今年からマイナンバーの番号を記入しなければならず、国家による個人のお金締め付け

がヒタヒタと迫ってきているような印象を覚えます。

 

積極的に推進しようと、政府はメリットばかり強調しますが、個人のお金の動きを全て把握

されてしまう恐怖は...。

 

今後はどうなって行くんでしょうかね。ちょっとしたアルバイトや内職程度でも、お金の動きを押さえられてしまうのでしょうか。サラリーマンでも、小遣い稼ぎ程度の小さな副業など持っている方もおありでしょう?

 

20年くらい前でしょうか、『国民総背番号制』 を推進しようとした政府が、総スカンを喰った

ことがありましたよね。なのに今回はあっさりと、『背番号制』 に。

 

脱線しちゃいましたが、やっと年度行事が終わりました。次は5月末の、お上への運送実績

報告です。

パン・アメリカン航空 B747-100 N742PA "Clipper Rainbow"

PAN AM パン・アメリカン航空 B747-121 N742PA "Clipper Rainbow" です。

1980年5月19日、伊丹空港 滑走路32L端での撮影です。

 

この機体は1970年3月2日、同社で新規就航しましたが、1980年1月1日に愛称が

変更され、"Clipper Neptune's Car" になったとあります。しかし私の撮影日は5月で、

未だ "Clipper Rainbow" ですので、記録に誤りがあるか、リペイントが追いついていない

のではないかと思われます。

 

 

その後、1981年6月26日に Wilmington Trust Co. に売却されましたが、1991年9月1日

まで引き続き、PAN AM にリースされました。

 

1992年1月23日に GE Capital Corp. に売却されるなどしましたが、同年3月1日にスクラ

ップ廃棄となっています。一連の売却・移籍などの間、N742PA の登録番号が引き継がれ

ています。

 

今は無き老舗キャリアの雄、パンナムが消滅してしまい、寂しさを覚えます。

 

なお現在、N742PA の登録番号で、プライベートのB757が存在しています。

伊丹空港の国際線スポット(ルフトハンザ・ドイツ航空 B747)

1980年9月2日、伊丹空港 滑走路32R端の撮影ポイントより、国際線スポット方向を撮影しました。

 

ルフトハンザ・ドイツ航空のB747のコックピット上の点検口まで、ハシゴ車からハシゴが

伸びて何やら作業しています。

 

 

関西国際空港ができて、これらの国際線のほとんどが、そちらに移転してしまいましたが、

この頃の伊丹の国際線は、最も賑わいを見せていました。

 

若い頃、伊丹の国際線(搭乗)には縁がありませんでしたが、それでも一度、大学生の時、

旅行の帰途、金浦空港(韓国)から伊丹まで、大韓航空のB707で帰って来たことがあり、

その時に初めて国際線のアライバルを通ることができました。