今日は初めて自己啓発的なブログを書こうと思う。
今日嫁が風呂に入ってる間に1歳の娘にお腹にいた時に聞かせていた曲を聞かせてみた。
ジブリが好きな人は知っているとは思うが
『いのちの名前』という千と千尋で流れている曲だ。
俺はジブリマニアと呼ばれる人ほどマニアではないが、特にあの曲が好きで、娘が生まれる前に嫁のお腹に当てて聞かせていた。
なんとなく曲を聞いたことがある人は多いとは思うが、あのメロディーに歌詞があるというのは知らない人は少なくはないだろう。
俺はこの曲を娘の結婚式で歌ってもらうのが夢だ。
もしも俺が今死んでいたら
俺は今タクシードライバーの研修を受けている。
タクシードライバーは、事務仕事と比べ、事故率も高い為、はっきりいって自分が悪くなかろうとも死ぬ確率は低くはない。
先ほど、娘の結婚式でこの曲を歌って欲しいと言ったが、もしその時に俺がこの世にいなかったらと考えたらなんだか涙が出そうになった。
そこで少し思った。
『もしも俺が死んだ世界線があったとしたら』
今頃嫁は娘に手を焼き、それこそ何十年後、娘が結婚式をあげる頃、父の遺影を手にこの曲を歌うのだろう。
その頃、生前あんなことあったな、こんなことあったなと思い返すのだろう。
もし、その世界線でドラゴンボールの孫悟空のように1日だけ現世に戻って来れたら…。
今の俺はもちろん、皆さんもそうだろうが、
『今生きてます』よね。
でも、明日も明後日も数十年後もあると思い込んで生きてはいないだろうか。
俺は悪いけどそう思って生きてます笑
けど、数十年後もしも自分が何かしらで死んでいるとして、もしも1日だけ生き返れるなら自分も周りも何か特別な1日であるのではないだろうか。
でも今は生きている。
きっと明日も生きている。
数十年後の自分にとっても、家族にとっても大切な日に生きている…それってどれだけ大事なことなんだろうか。
一日一日当たり前のように過ごしてる。でもその自分が死んだ世界線があるとしたら今日の一日ってどれほど貴重な一日なんだろうか…。
ソファーでテレビ見て何気なく過ごしていた一日
ただ疲れを癒すだけの一日
ムカついて終わった一日
それってすごく勿体無いことなんだなと感じた。
俺は自分の願うその時まで生きて、家族全員で娘の歌う曲を聴きたいと思った。
健康で、事故も何もないよう、その日が来るまで。