今だから書けるブログを書こうとおもう。

自動車学校もまだ行っていない、たかだかタクシー研修生3日目程度がほざいてるブログだとでも思ってみていてくれれば大丈夫です。



俺がこの世界に足を踏み入れた理由


俺は小学校からの友人に誘われてこのタクシー運転手の道を歩むことを決めた。

最初誘われたのは遡ること10数年前、そいつがタクシードライバーを始めてからすぐの話だった。


そいつは昔から誰にでも好かれ、学校にもろくに来ないような不良連中や、学校で誰からも話されないような連中、スポーツに燃えるようなキャラ、誰からも一目置かれるようなやつだった。

それというのも、とにかく周りを明るくしたいだけのおバカキャラみたいなやつで、どんな人にも分け隔てなく真剣だった。

もちろん俺もその1人。

学校なんて居てもつまらないと思ってた俺に、卒業したくないと思わせてくれたのはそいつだった。


そこから数年経ち、社会人としてお互い歩んだが、

2人とも社会に使われ、安い給料ながらも缶ビール片手に朝まで飲んで大人の道を歩んだ。

ある日、そいつは元々やっていた仕事を辞め、いきなりタクシードライバーの道を歩み始めた。


当初の俺はタクシードライバーに正直あまり良いイメージは無かった。

だが、そいつは短期間で化けた。

財布の中身が札束でパンパンになるほどにまで。


そいつは言った、『お前もやれよ、めちゃくちゃ楽しいし、上司に使われることもないし、金めちゃ稼げるぞ』



そこからさらに数年後


俺はそこまで大きくはないが、ある高級商材を取り扱うお店の店長となっていた。

金も困ることはない。仕事も順調。

まさにプライベートも仕事も全てがうまくいっていた。


だが、ある日事件が起きた。


俺はある後輩社員をかばって、社長に文句を言ってから、その腹いせに俺の日々の行いを録画で細かくチェックされた。

俺は当初遠方から通っていた為に、電車が遅延して数分遅刻した。もちろん遅れる旨の報告はしていた。

一生懸命会社のために寝る間も惜しんでお客様との電話につきあったり、休憩もまともに取らぬまま仕事の売り上げを伸ばした。


だが、この数分の遅刻により『信用がない』の一言で降格が決まった。


今だから書ける内容だが、その社長はその社員を愛人だとでも勘違いしていた。セクハラまがいなこともして、俺はずっとその後輩からそれについての悩みを聞いていた。

後輩『キモいんです!いきなり車で手とか繋いできて、今日は帰らせないとか言ってきたりして』

俺『それはありえんな、いいよ、おれが助けたるから』

ガツンと言った腹いせに職場での録画を監視され、幹部集団でここまでボロ雑巾のようにされ、

俺はしばらく声が出なくなるほどにまで精神的に追いやられた。

病院に通うほどにまで精神がやられたあげく、仕事を続けるか否かと問われた時、俺はもうこの会社について行く気はないと、10年以上勤めてきた会社をキッパリと辞めた。


求職


それからというもの、俺は色んな職に目を向けた。

だが、探せど探せど割に合わない仕事ばかり。

とてもじゃないが、前職の給料は超えられない。

紹介やうちに来て欲しいというセリフもあったが、

何一つピンとくるものはなかった。

俺は機械や分析、接客力に強いため、出来ることは多い方だとは思うが、とにかくやる内容に対して給料が割に合わない。



俺は求人を見るのは久しぶりだったが、一生涯で考えても給料が安すぎる。時間外労働がずさん。


今の仕事のほとんどがろくな仕事じゃないと感じた。


そんな中、追い打ちをかけるような事件も起きた。

やられた


求職中、退職金で数ヶ月はしのげる程の金があった為、そこまで贅沢もせずに細々と暮らしていた。

ある日先輩から『助けてくれ、明日家賃が払えなきゃ娘と路頭に彷徨う。数日後には返せるから』と。


この人の素行の悪さは有名だ。何度か断ったが、俺も1人の親として何度も会ったことのある娘の名前を出されたら少々気持ちも弱くもなった。


そこまで巨額ではなかったのでしぶしぶ貸すが、言い訳ばかりでその後返って来ず。

予想はしていたが、返ってこない時は覚悟しておけと言っておいたので、普段温和な俺もこの時ばかりは畳み掛けるように追い打ちをかけた。

1時間おきに必ず連絡をよこせ。

返さなければありとあらゆる人間を使い、強制労働の道も提案したところで少しづつだがその後返金はあった。

だが、全額返ってくる前に詐欺で捕まったと聞いた。


少しづつだが退職金は減っていき、俺もそろそろ顔色が悪くなり始めた。


そんな時に頭に浮かんだ。

あの友人の顔が。



転職


俺は友人に相談し、タクシードライバーとしての業務内容を改めて聞いた。

『やるもやらないも自分次第。やる気があれば儲かるし、休憩したければいくらでも休憩できるけど、自業自得の世界、それでもやる気があるならこい』


俺は仕事を辞めてからというこの期間中、仕事がしたくてしたくてたまらなかった。


今までは毎日寝顔しか見ることのなかった嫁と娘。

求職中は毎日の如く顔をつきあわせ、今まで見たことのなかった景色が見れた。

でも心のどこかで俺は焦りを感じていた。

休みというものに慣れ始めている自分を感じたからだ。

『このままではこの娘たちの笑顔さえも俺のせいで消してしまうんだ』と。


一歳になる娘が無邪気に俺に笑いかけてくるたびに俺は家にいられないほどにまで感じるようにもなってきた。

『仕事辞めてしまってごめん。こんな父親に笑いかけると余計につらくなる』

そう思い、車に閉じこもっていた日々。


俺は嫁や家族の反対を押し切り、散々話し合った。


嫁『タクシードライバーだなんてまわりに恥ずかしくて言えない』

俺『恥ずかしいってなんだ!!必ず俺はやりきってみせる。だから俺に完全歩合のタクシーをやらせて欲しい!お願いだ!』


嫁『娘がお父さんの仕事何って聞かれたらなんて言えばいいの?友達にも言えない!』


俺『後生のたのみだ!俺を信じてほしい!!今家族のためにもやれることを全力でやりたいんだっ!!!』


こうして数日にも渡り熱意が通ったのか、諦めてくれたのか、タクシードライバーの道を目指すことになった。


まだ親も転職したことさえも言えていない。

必ず成功させていつかは報告したいと思っている。



タクシードライバー


タクシードライバーと聞いて、皆さんはどんなものを想像するのでしょうか。

おそらく当初誘いを断っていた俺と同じように考えている方は多いのではないだろうか。


さらにこれからライドシェアや人工知能が強化され、生き残っていくことが困難な職と…


自分から進んでタクシードライバーをやりたいと言う人って世の中にどれくらいいるのだろうか…




俺は今だから言えることがある。

特にうちのグループ会社がそうなのかもしれないが、誰でも簡単になれるわけでも、誰でも簡単に稼げる仕事でもないだろう。

労働時間に厳しく、みなし残業とかいうわけわからんものより、ものすごくホワイトな企業だが、売上にはシビアで、まさに頑張り次第。完全場合とは自分次第のやる気がものを言う世界。


タクシードライバーをしている人は世の中には多いが、研修を受けに来たほとんどの人がそれを感じたのではないだろうか。




俺は経験者から色々話を聞いて、

この業界は全て個人のテクニックや日々を学ぶ姿勢、接客態度、それらが大きく売り上げの差を開くと聞いた。もちろんどの仕事においても当たり前のことかもしれないが。


タクシードライバーの平均年収は確かに全国的に低い。しかしこれはピンからキリまである。

あくまでその中間なのだ。

20代もあれば70代も同じ立場でいる。


やる気を持った1年目が10年目のベテランの売り上げを余裕で抜くことなんてよくある話だという。


俺を誘ってくれたタクシードライバーの友人は年収1000万ほどだ。かなり凄いのだとさまざまな教官からも聞いている。


最近では新卒の人たちが、数年一般的な会社に属しても、ろくに金を稼ぐこともできない仕事につくならばと、

10年勤め上げてるくらいの給料を数ヶ月でもらいにきているそうだ。

事実、そういった若者も多いと聞く。


一つの会社で何年も勤めて役職をもらい、ちょっとづつ給料を上げていくならさっさと今から手にしたほうがいいと思う人が多いそうな。


その人たちからしたら一生に稼げる額が違いすぎるから歩合制じゃないと勿体無いとのこと。

イメージ的にやりたがる人がいないからこそ、逆に稼げるからありがたいとも言っていた。


よくお客とのトラブルがあるからやりたがらない人も多いが、接客力でほとんどのトラブルは回避できるとのこと。要は接客をないがしろにするから相手を怒らせトラブるんだと聞いた。



世間ではライドシェアだとか無人タクシーだとか、人不足などで騒がれているが、日本のタクシー業界はそれを余裕で鼻で笑っている。

世間で騒がれていることも蓋を開ければそんなもんだ。案外仕事をしっかりしている人ほど気にしてはいない。



この職に不安があった頃、さまざまな余計な情報を手にしていたが、今思えば何を不安におもうことがあったのだろうともおもえる。


いざ、転職


さまざまな困難こそあったが、もう手持ちの金も貯金にも手をつけたくはない。

仕事がしたいと紹介で面接させていただけることに。

しかし、今のシーズン、自動車学校で2種免許はすぐに受講することができないとのこと。

『接客業をしていたならば、うちにはぜひきて欲しいです。しかし、あと半月ほど待ってはくれませんか』と言われた。


『…は…半月…』

だが、ここまできたらやるしかない。


自動車学校と研修があり、およそ二ヶ月ほどは勉強。その後独り立ちでまともに稼ぐようになれるにはその数ヶ月後だという。


もう後になって死ぬほどやれば取り返せるだろう!!そう思うしかなかった。


確かに実力主義の仕事である以上、良くも悪くも自分次第だ。

まずは大きな目標でなく、できる小さな目標から順番に叶えていきたいとおもった。


ドライバー研修生になって思ったこと


今日で3日目の研修が終わったが、この先まだまだやらなければならないこと、覚えなければいけないことは山積みだ。

けれど、不思議と毎日が楽しいなと思えている。

山があればあるほど燃えてしまう性格だ。


むしろ苦手だった早起きも、通勤ラッシュも、頭を悩ませるような勉強もすごく好きになっている。

日々自分がドライバーとなるべく進化しているのが本当に楽しくてしょうがない。

同じように目標を掲げている仲間と切磋琢磨している日々が好きでしょうがない。


タクシードライバーは世間には多いためか、

俺は今まで免許さえあればもっと誰でも簡単になれるような職業だと思い込んでいた。

おそらく世間的にもそう思っている人は多いだろう。

ライドシェアのニュースを見て、あるドライバーが『我々は2種免許、そして、厳しい研修も受けて路上にいるんだ。そんなバイト感覚でライドシェアかなんかしらんけど、誰にでも簡単に出来ることだと語るな!』と怒っていた。

その意味がなんとなくわかった気がした。


たしかにそうだと思う。

人を運ぶだけが仕事ではない。


お客様に安心してもらって、安全に、なおかつ時間通りに気持ちよく目的地まで送り届け、自分でなくとも、またこの会社を利用したいなと思っていただけるように心がけていくことが大切だ。

人を目的地に運ぶこと以上に大切なことってあると思う。


接客を10年以上やっていた俺がとにかく目指すのは、

『あの日あの時あのタクシードライバーに出会っていてよかった』と思ってもらえる人間になることだ。

産前の方、時間に急いでいる方、助けが必要な方。

一人一人にはドラマがあり、そのドラマのお手伝いをさせていただけることにこれから日々精進していきたい。そしてこの初心を忘れないようにしたい。

だからこそこのブログを始めたんだ。



過去に電車が止まってしまって、なんとか始業時刻に間に合わせてくれたタクシードライバーの方、

酔っ払って終電をなくしてしまって揺らさないように家まで送り届けてくださったドライバーの方、いまでも忘れません。

たとえ一生に一回の出会いだったとしても、名前を覚えてなくとも、今でも助けてもらった恩は忘れてないです。


そんな誰かの思い出に残るようなドライバーに俺はなりたいな。



今日はこんなブログでした。


続く