HI!

ある日の何気ない会話の1シーンを突然昨夜思い出しました。

 

水商売をしていた頃のシーンです。

とあるお客様との会話で、お客様が以前絵画を習っていたお話になりました。

お客様A「『らふが』を書いていたんだ」

(ラフスケッチのラフ画だと思い)「どんな絵を描かれてたんですか?」

お客様A「らふがだよ」

「?」

お客様B「ちゃんとモデルまでいたんだよ」

(モデル?らふ?・・・)

お客様A「そうだよ女性のモデル」

「!!漢字の裸婦画ですか?カタカナのラフ画かと思ってました」

お客様A・B「漢字?カタカナ?・・あぁ!そうそう漢字だよ」

お互い笑って談笑に入る


というある日のワンシーン

 

最近、というかずっと私の気がかりになっていた事につながっているなと思いました。

なんとなく話が噛み合わない人と出会ったり交流したりすることがあるのですが、そのお相手が「人の話を聞かない、聞けない」状態なのか、体調なのか、お相手自身の問題なのか分からないが、発達障害の人もそうじゃない人もいて、そういう方々との会話において、度々私にもそういう時があったな。今、全くなくなった訳じゃないけど、なんとなく、相手の言っていることを理解しようと思えるようになってきたな。という感覚があります。

どうやって成長してきたのか?

どうして私は変わったのか?

常々自分で自分が不思議に思えて、ずっと考えてきました。

 

最近、解明できた気がするので今日はその話をしていきたいと思います。

飽くまで、私が私の成長を紐解いただけで、心理の専門家でも脳の機能とか発達の知識もない素人なのでただの自分の記録です。

 

以前のブログ

 

 

↑こちらで記載していた「安全・安心の感覚」がキーワードになっていると思います。

 

安全・安心の感覚が分かってきた頃に書いたこちらの記事↓

 

 

 

ヘルパーさんを筆頭に、相談員さん、訪問看護さん、そして就労移行、家計管理についてお世話になった自立サポートセンターの方々などなど、忘れちゃいけない主治医。

様々な方々のおかげで、発達を少しずつしてきました。

成長を振り返ると、マズローの欲求段階の図になると思うのです。

 

こちらの画像は自作です。きれいな三角形じゃない理由があります。

 

マズローの図では、安全の欲求が2番目にあります。

この「安全の欲求」と、以前のブログに何度か出ている「安心・安全の感覚」が、私は似ていると考えています。同じモノなのかもしれないです。

 

安全の欲求とは、不安を感じたくないとか、安心していたい、安全な場所にいたいという欲求らしいのです。

 

例えば、生理的欲求の「睡眠」

私は実家にいた頃、眠れていないことにも気が付きませんでした。

いつも疲れていて、いつも眠たかったので、よく寝れているのだと思っていました。

しかし、一人暮らしを始めて、2020年頃通院を開始してから、まるで過眠?と思うほどよく眠るようになりました。

 

よく眠れるようになった理由を少し振り返って書き出してみます。

・突然怒りだして暴れまわる父がいない

(暴れまわる音や怒鳴り声がないので途中で起きない。)

・父以外の家族がいつ部屋に入ってくるか分からない恐怖がない

・自分の大切な物が壊される心配がない

(いきなり私物を全てゴミ袋に入れられたことがあります)

・いつまで寝ているんだ!と起こされることがない

などなど。

書き出してみると、私にとって家族は恐怖と侵害してくる者の対象だったようですね。今はこうして冷静に振り返られるのも、私は今安全な場所にいて、誰にも侵害されないという安心感があるからです。

 

睡眠という生理的欲求は叶っているように見えても、実は安全の不安を抱えている状態では、生理的欲求も半分くらいしか満たされず、安全の欲求も満たされていかないのです。

 

マズローの欲求はピラミッドのような三角形で表されることが多いのですが、私は少し異なる解釈をしています。

 

こちらの画像は自作です

 

 

円柱でも三角形でも同じかもしれませんが、↑の画像のように解釈しています。

1番に生理的欲求が底に満たされて始めて、2番目に安全の欲求を満たす段階に入ります。安全の欲求も満ちて、やっと3番目の社会的欲求になると考えています。

画像 by ぱくたそ様

 

私の場合ですが、安全の欲求と生理的欲求がいつも満ちていなかったように思います。

いつもいつもお金の不安が付いて回ることで、一人暮らししている自分の家がいつなくなるのか、お腹が空いてもご飯を買って良いのか、心配事で脳内が支配されていました。

不安や心配ごとが、「お金の不安」としか感じる事ができなかったので、生理的欲求、安全の欲求が満たされていない状態で社会に出ていることになります。

社会に出ると自分が果たさなければいけない役割が思っている以上に大きい事に気が付くのです。

私は私の生理的欲求(お腹いっぱいご飯が食べたい)

安全の欲求(安心できる今の一人暮らしを壊したくない)に脳内を支配されているので、他社と交流するとか、それどころではないのです。

それゆえ、他者との交流がいつも上手くいきませんでした。

何しろ、他者=自分を攻撃する人、モノであり、会社=行かなくちゃお金がなくなる。としか理解ができないから。

だから、上司の叱責を攻撃と捉えたり、自分がやりたいように仕事を進められないことに過度に怯えていました。

 

仕事がすすまない=怒られる=攻撃される

 

とにもかくにも、自分の安全を確保するために、他者は攻撃する人でなければならなかったのです。

今思うと本当に不思議で、安全の確保を頑張っているのに、攻撃する人がいるとは矛盾しているように感じます。

当時はそうやってしか世界を捉えられなかったのです。

事実当時の私の安全は確保されていない。だから、安全を脅かす存在がいる。それが社会的存在の会社や上司でした。

 

同時に私にはヘルパーさんや、主治医など複数の医療・福祉関係のサポートがありました。

関わってきた方々のおかげで、少しずつ少しずつ、ゴミを捨てる場所を知ったり、片付いた部屋で過ごす時間が伸びてきて、家計管理ができてきて、毎月使えるお金を把握できるようになった頃、だと思いますが生理的欲求が満たされてきました。

安心してスーパーでお買い物してこれるようになりました。

その頃には、主治医になんでも相談できる関係になり、障害者手帳の申請、障害者雇用に移りたいことなど、生活について「これから」を相談できるようになりました。

 

底の2つの欲求が満たされていなかった頃は「これから」を見通す力がありませんでした。いつも「今」か「過去」にしかいけなかったのです。

今月の家賃、ガス代、電話代、払ったらいくら残るんだろう?

今日の食費はいくら使ったら使いすぎなんだろう?と考えることはあっても、計算する方法も分からなかったんです。

 

少しずつ少しずつ、生理的欲求、安全の欲求が満たされていくと、他者への関わり方も変わってきました。

 

画像 by ぱくたそ様

 

冒頭のお客様との会話

ラフ画と裸婦画のすれ違いをお客様のおかげで、私は自分が理解するまで考えることができて、私の勘違い(カタカナのラフ画)を笑い話として話すことができました。

仕事モードだったので攻撃されると感じなかったのかどうかは分かりませんが、当時のお客様と私の会話のように、お相手が何を話そうとしていて、聞いた言葉から自分が何を思いついたのかを話してみる。それが日常生活で何気なく、神経をそばだてなくてもできるようになってきました。

 

例えば、最近の問題で言うと今のヘルパーさんが様子のおかしな事業所で、様子のおかしなヘルパーさんがたまに来ます。

わたしの安全を脅かすと思って、過剰に反応していないか?と自分を振り返って見れるようになり、自分がどう反応するのが良いのかを相談員さんや主治医に相談できるようになりました。

今回は事業所がアレなので、新しい事業所に変わることになりました。

不要に攻撃態勢に入らず、そういう役割をする相談員さんがいるので、言わなくて良いことは言わないで済むのです。

 

2020年の初診から少しずつ少しずつ変わってきたところ、成長し、発達したところを言語化できて今日はとってもスッキリしています