今日は再発治療のためのセカンドオピニオン一か所目です。
一部で「がん難民センター」と噂の専門病院です。
噂に違わずマウントを取って制圧した上でガイドラインに基づいた考えをまくしたてるという手法のセカンドオピニオンでかなり新鮮でした。

主治医が指定した先生ではなく若手の先生が担当でした。
開口一番時候の挨拶などもなしに「かなり厳しいです」と言われ、「うちはコンサバなので」と宣言した上で私の再発のたちの悪さや勢いの強さを指摘され、再発癌は根治治療は無理なので全身療法による延命のみだと喧嘩腰でぴしゃりぴしゃりとまくしたてられました。
事前にお渡ししていた質問をまとめた紙を手元に置いていなかった上、全く無視した話をしていたので「質問の紙は読まれましたか?」と聞いたら「読みましたがこちらで総合的に答えます」と参照しないことを高らかに宣言されてしまいました。
途中で質問したところ「待って下さい」「最後まで聞いてください」ときつく怒られました。
私もがん患者歴1年3か月と一通りのことは見てきたつもりでいましたが、今日の強烈なセカンドオピニオンの手法はなかなかびっくりしました。

しかしながら、一通りの医師が話したい内容が終わったあとに「聞きたいことはありますか?」と言われてフリートークが始まった途端に感じの悪さが消え、個人の見解も含めた突っ込んだ話もしてくれました。
時間としてはフリートークの時間の方が長かったですし、何度も読んだガイドラインや聞き飽きた「標準」の考え方しか出てこない前半と違って得られた情報が多かったです。
今日の担当の医師の先生も普通の実り多いやり取りができるのですから、前半の何かにとりつかれたかのようなガイドラインに基づく喧嘩腰で希望を全て打ち砕く工程は一体何だったのだろうとキツネにつままれたような思いです。

きっと何らかの必要性があってあのスタイルに落ち着いた、あるいは施設全体であのようなスタイルをこなさねばらない事情があると考えた方が自然です。
どのような相談者が来るかわからない、という怖さは私も分野は違えどわかります。
プロとして税務相談という形で不特定多数の方の相談を数多くこなしてきたつもりですが、誰が来るかわからないという不安や、それほど時間をかけられないという制約、限られた時間の中で伝えなくてはいけない最低限のことを話さなくてはというプレッシャー、相談相手との圧倒的な認識の違いをどう埋めるかなど、かなり緊張して臨まなければなりません。
がん専門病院のセカンドオピニオンですと厳しい状況にある患者たちが命がかかった必死さで押し寄せてくるのですから、その緊張感は税務相談とは比べ物にならないでしょう。
そのような状況下で最適化されたのがこの喧嘩腰でマウントをとりガイドライン原理主義をまくし立てて場を制圧する手法であると考えると、現場で働く医師の方々が気の毒ですし、わずかな希望をかけて相談に来た患者にとっては絶望してもおかしくないです。
「がん難民」発生のメカニズムを垣間見た気がします。

セカンドオピニオンの内容としては当初は以下のようなものでした。
・遠隔転移があろうがなかろうが再発がんは目に見えない転移が全身にあるので根治は無理で、延命治療としてのキイトルーダ投与を行う。ただし夢の薬ではなく2割くらいしか効かない、この病院で1月に使い始めた患者たちで今もキイトルーダ投与が続いている人はいない
・効かなければパクリタキセルを軸とした化学療法を行う、奏効率は2割くらい
・治験は思ったほどよいものではない。非常に限られた人しか募集していない。私の腎機能では参加不可能である
・上部尿路がん(腎盂・尿管癌)は同じ尿路がんの膀胱癌と比べて手強い病気である

色々とフリートークで突っ込んで聞いたところこのような情報も引き出すことができました。
・キイトルーダで小さくなったら放射線単独療法を足すというオプションもある(根治療法か)
・画像をよく見ると小さなリンパ節転移がまわりにある可能性がある。エリアで放射線を当てる?というのもあるかもしれない
・キイトルーダで画像上消えたら寛解なので、手術も放射線治療もせず、キイトルーダ治療もそれ以上しない。今のところこの病院ではそのような大当たりが一人いる(母数を後で調べたところ数人~10人くらいの治療を行った人のうちの一人でした)
・キイトルーダは効果が出るのに三か月くらいと時間がかかるので、肝臓に転移してばしばしとラッシュが起きているとキイトルーダでは「追いつかない」という状態になるので従来の抗がん剤の方がよいという考え方もある。現状ではラッシュは起きておらずキイトルーダを使うのに適した状態である
・尿路上皮癌専用の治験は片腎の人でも歓迎のため、私の血液検査のクレアチニン値ならばギリギリ参加できる。ただし本当にギリギリである
・リンパ節転移が足の大きな筋肉に場所的に近いため、今後大きくなった時に臀部の痛みなどで歩きづらくなる可能性もあるが、その際は緩和的に放射線治療をするといい

主治医らのグループが今度出す尿路上皮癌のアブスコパル効果については「論文一本ではエビデンスにはならないので」と冷ややかに切り捨てたり、主治医が提案している放射線化学療法は標準的な考えから大きく離れているため普通はやらないとばっさり切ったり、10月のセカンドオピニオンで言われた「手術で切断したため血管がなく薬が届かないというドラッグデリバリーの問題」を「目に見えないものの話はしない」と切り捨てたりと、同業者に全く配慮せず小気味良く本音を言ってしまう先生ではありました。
あまりの切り捨てぶりに少し主治医の先生が気の毒になりましたが、忖度なしの本音を聞けたので良しとします。

最後に「またご縁があればぜひ」とにこやかに送り出して下さった時には最初の鬼気迫る感じは薄れていました。
もし私が最初のガイドライン的な考え方を喧嘩腰で一方的にまくしたてるところで心が折れてしまって、後半のフリートークを引き出すことができなかったら、とぼとぼと帰って「がん難民」になってしまったかもしれません。
ガイドラインに基づく治療というのは、たとえば肺がんのようなガイドラインの出来が良いときは非常に大きな力を発揮しますが、腎盂・尿管癌のようなガイドラインの出来がお世辞にも良いとは言えず、更新されずに放置されているがんでは無力です。
しかしながらコンサバティブながん専門病院ではガイドライン至上主義にならなくてはならないという事情もあるのでしょう。
「悪法もまた法なり」といいますが、「ぽんこつガイドラインもまたガイドラインなり」ということなのでしょうか。
色々と考えさせられた一日でした。