今日は勤労感謝の日ですが労働してきました。
相続税申告のお客様のお宅を訪問してきました。
税理士業はお客様の都合に合わせるサービス業でもありますので、平日はお仕事があるお客様が多い相続税申告ですと、お会いするのは休日や平日の夜になりがちです。
被相続人(亡くなられた方)は平均寿命を大幅に超えて天寿を全うされた方でした。
しかしながら全く備えることがなく亡くなってしまわれたので相続人の皆様も資料探しに大変な思いをされていたようでした。

医療に携わる方々ほどではありませんが、この仕事をしていると人が亡くなることを日常的に経験しています。
私どもの仕事は財産を通して亡くなられた方がどのような人生を送ってきたのかや残されたご家族にどのような人生を歩んでほしいと思われていたのかなどを垣間見ることができます。
以前「エンディングノート、何を書くべきか」でリスト化したようなことをまとめておけば相続税申告への備えは最低限十分ではないかと思います。

がん患者になって「終活」という言葉によく気付くようになりました。
この終活という言葉はエンディングノートとセットですっかり定着しましたね。
しかし私はこの終活という言葉は好きではありません。
就活、婚活、妊活、保活など「〇〇活」という言葉は世に溢れていますが、このような言葉はあるべき姿を規定し、そのレールからはずれると大変なことになるのではずれないように必死になれ、と脅迫する極めて規範的な言葉ではないかと思います。
人の生き方には多種多様な価値観やあり方があってしかるべきなのに、一つの規範を設定しそこからはずれないようにと脅迫するのはいかがなものかと思います。
人それぞれ、好きなように備えればよいと思います。

同じような理由から「患者力」という言葉も好きではありません。
これも患者としてのあるべき姿を規定し、それに近づかないことは恥ずべきことなのだという脅迫を含んだ言葉に見えるためです。
患者というのはその病気を患っているという点以外は多種多様な人間です。
それなのに、あるべき姿や好ましいふるまいを規定して「患者力を高めよう」などというのは少し乱暴ではないでしょうか。
一部の医療者や一部の患者から見て好ましい姿を想定し、それにどれだけ近いかを「患者力」と呼び、患者はそれを目指すべきだと言っているとしたら大問題です。
同じような「〇〇力」という言葉には「女子力」というものもあります。
想定されている「女子」というものがどういうものであるかを考えるとわかりやすいと思います。
しかしながら医療を受ける時にコストを減らし利益を大きくするようなコツがあるというのには同意できます。
患者力などという謎の言葉を設定せず、「医療者を使いこなすコツ」くらいの言い方でいいのではないかと思うのです。

世の中は知らず知らずのうちに「あるべき姿」「望ましい価値観」を埋め込まれたもので溢れています。
「終活」や「患者力」などの「〇〇活」「〇〇力」という言葉の裏には多種多様のビジネスもうごめいており、その点も気を付けたいです。
このような規範性に自由や尊厳を奪われることなく暮らしてゆきたいものです。