昨年9月末に腎盂癌ステージ4の告知を受け、10月より入院と抗がん剤治療を始めた記録の振り返りです。
今回は第一回目の入院中の振り返りです。
腎盂癌についてのまとめや発見から治療開始までの経緯については経緯まとめのカテゴリをご覧ください。

2017年10月11日、家族に付き添われ入院しました。
実はこの歳まで腎臓結石以外の大した病気をしたことがなく、検査入院以外では初めての入院です。

病室に着くなりパジャマに着替えました。
午前中から服を脱いでパジャマを着るというのはかなり違和感がありました。
病院が監獄ならばパジャマはさしずめ囚人服です。
もう普通の人ではなくなってしまったのではないかと少しショックでした。

荷物を整理し、看護師さんから入院中の説明を受け書類にサインし、採血を済ませ、家族と病院内のレストランに行き、そのまま別れて一人で病室に戻りました。
仕事の電話が多いため入院は個室です。
一人ぼっちになってしまい、これからどうしたものかと途方に暮れました。

何を考えたのか、リビングのピアノの上に飾ってあったペンギンのぬいぐるみを家族が持たせてくれました。
似つかわしくない持ち物なので、看護師さんや清掃スタッフの方や配膳の方々が「これどうしたんですか?」と人が変わるたびに話しかけてくれ、そこから話が弾みました。
泌尿器科病棟は中高年のおじさんおじいさんがメイン客層なのでぬいぐるみは珍しかったようです。ペンギンが飾ってある変な患者の部屋、と覚えてもらえたようでした。


後から聞いた話ですがどうやらこれが狙いだったようです。
ご家族が入院する時にはぬいぐるみを持たせてみるのもいいかもしれません。スペースをほんの少し明け渡すだけで、孤独と孤立を避けられる可能性が高まります。

入院中は主治医と後期研修の先生の二人が私を受け持ってくれました。
お二人とも若い先生ではありますがとても熱心で頼もしい先生方です。
抗がん剤の点滴の針を入れるのは後期研修の先生の担当でした。私は原因はわかりませんがもともと点滴のための針が刺しにくいのでその旨を最初に伝えたのですが、「僕これ得意なんですよ」と言っていとも簡単に一発で成功させました。第5クールまで外来での投与以外はほぼすべてこの先生にやってもらったのですが、百発百中のゴッドハンドで安心して臨むことができました。
基本的に二人で朝と夜に様子を見に来てくれ、どちらかが忙しい時は一人で来るシステムになっているようでした。
二人に連れられて教授の先生がふらっと現れることもありました。話に聞いたような大名行列ではなくとてもフランクな感じでした。


入院までの期間で仕事の引継ぎは行いましたが、それでもどうしても私が対応しなくてはならない案件や判断業務が生じます。また、私の事務所は税理士同士でも判断に迷ったときは気軽に相談しあうシステムをとっているため相談に乗ったり代わりに調べたりする必要が出てきます。
そのような仕事をできるようにポケットwifiと電話で病室を即席オフィスにして働きました。毎日つけている記録ノートを今見ると結構働いているようでした。
治療しながら働ける、と対がん協会の「ながらワーカー」のCMは言っていますが、冗談抜きで抗がん剤を点滴しながら働きました。


また、入院中の10月22日に衆議院議員選挙がありました。
11日に入院したので不在者投票には間に合いません。
事前に総務省のHPで調べたところ入院中でも病院内で投票ができるとわかりました。
選挙権は全ての国民に保証された権利ですので、がん患者でも入院中でも投票できるようです。
事前に病院に問い合わせたところこの病院では申し出た患者にのみ病室に投票箱を持ってきてくれるシステムのようです。
10月17日に不在者投票をしました。病室に投票箱を持ってきてくれた事務のスタッフの方に聞いてみたところ病院全体で17人の投票だそうです。
不在者投票をしてから入院した方や投票日には退院している方もいるとは思いますが、数百人入院していることを考えると入院患者の投票率が非常に気になるところです。
ともすれば削られがちな医療の恩恵を一番受ける立場だからこそ、一票に思いを託して国民の権利を行使する必要があると思います。
もちろんがんがわかって治療中の身としてはそれどころではないという気持ちもあります。天下国家などどうでもよくて、すべての主語が自分一人に縮小していく感覚は私にもとても強くありました。
しかしがんだからと言って権利が縮小されたり世間から孤立する必要はありません。
病院によってシステムが違うそうですが、病院内での不在者投票をあらかじめ知っていてかつ自分から申し出なくてはいけないというのはもう少し何とかならないものかと思いました。