カエデの国のアレックスと嫁と俺

カエデの国のアレックスと嫁と俺

カナダで子育てしながら仕事してる男の日記と愚痴

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ヨボヨボと歩く嫁を支えながら看護婦の先導で分娩室まで。
廊下が以上に長く感じる。分娩室のある階まではでっかいエレベーターの乗る。
エレベーターを出ると受付や待合のある一階とは雰囲気がガラッと変わって落ち着いた感じ。

案内されて入った個室はトイレ、シャワー、テレビ、電子レンジ、流しと付き添いの人用の簡易ベッドもあり結構快適な感じ。

トイレ
シャワー
赤ちゃんの体重測ったりする場所
付添人用の簡易ベッド

トイレ、シャワールームは鍵が無かった。なんでねーんだ?としばらく疑問に思ってから、妊婦に何かあった時の為だと気付く。
ベッドは狭かった。日本人で細身の俺が狭く感じるのなら白人や黒人の旦那には窮屈すぎるんじゃないかな。

嫁はリラックスさせるためのガスを吸引しながらコレ全然効かないと不満顏。

そのままいろいろ準備してくれている看護婦にこれからの流れとかを聞いて行く。医者が一時間おきにこれから診察して、子宮口が開いて破水したらいよいよみたいな。
この時点でなんだか現実感が無くなる俺。まだ朝の八時くらいだったと思う。

医者がすぐに来て嫁の血液検査やら何やら調べて部屋を出て少し歩いたりするように、とアドバイスされる。嫁を連れて個室を出て外を徘徊する。

この階は全部個室で落ち着いた空気が流れている。所々で赤ん坊の鳴き声が聞こえる。俺の赤ちゃんもこんな風に泣けるだろうか。

嫁は点滴を押しながらヨボヨボと歩いていく。大丈夫だろうか、こいつ。

その後一時間ごとに検診を受けて徐々に子宮口が開いていく。度々気分転換と痛みを紛らわせるために歩きに出る。

午後2時位に嫁の妹と従兄弟が応援に駆けつけてくれた。何も食べてない俺にもビッグマックとポテトの差し入れ。

約二十時間ぶりの食事が冷えたビッグマックとポテトとかw

ちなみに今まで食べたマックの中で一番美味かった・・・空腹とはかくも恐ろしきものなり。

午後4時ごろ、子宮口が充分に開き、破水はしてなかったので、医者が破水させる。

本番が始まる。
火曜日の深夜4時頃まで嫁はウンウンと唸っていた。ただ背中をさするだけしか出来ない。嫁が我慢できず医者に電話すると痛み止めをもらいに病院に行けと言われる。

少しでもこの痛みが和らぐのならと持つ物も持たず、嫁を車に乗せて車で15分ほどの病院まで向かう。何度か検査で嫁を連れて行った事があるので深夜だろうがお手の物だ。

駐車場に車を停め、パーキングを一時間分購入。ヨボヨボと歩く嫁を支えながら受付まで歩く。

そ し て 病 院 で 迷 子 に な る (深夜の受付は違う場所にあるとか知らねえよ)

軽く十五分ほど深夜の病院をさまよった後、ようやく受付までたどり着き、事情を話すととりあえず嫁が簡易ベッドに横にされる。カーテンで囲ったエリアの中で嫁の手を握って励ましてたら医者登場。痛み止めを嫁にくれ、今すぐくれ、ほれくれ。くれたらすぐ帰るからさ。嫁を診察して医者がほざいた。

「もう子宮口が開きかけてるわね。このまま産みましょう」

ちょっと待て、何も準備してきてねえよ!というか産まれてくる赤ん坊の服すらねえよw
さっきまでまだ大丈夫とか言ってたじゃねえか。薬もらいに来ただけなんだって。などと思っても後の祭り。とりあえず嫁の簡単な着替えだけは持ってきていたことだけは救いか。

嫁も、え、このまま産むの?痛み止め貰って帰るんじゃなかったの?と困惑気味。そんな俺たちを無視して嫁点滴に繋がれあれよあれよと処置が始まる。ちなみにこの時点滴が一度で刺さらず何度も手の甲をブスブスと太い注射で刺されて嫁が涙目。

この後、一時間か二時間ほどして個室が用意されたので点滴を付けた嫁と移動する。外では空がやっと白み始めていた。長い一日が始まる。
2014年の10月5日が予定日だった。嫁はオフィスワーカーで九月一杯までしっかり働いて、最後の一週間を完全に休むという計画を立てていた。旧ソ連の経済計画のごとく絵に書いた餅である。

嫁はしきりにお腹に向かって「予定日通りに出てこい。早すぎてはいけない、でも遅くなってもいけない」などと言い聞かせていた。しばらくして嫁がさだまさしの関白宣言を歌っている夢を見る。いつから日本語を喋れるようになったのか。

九月の半ばの金曜日、嫁の会社の同僚達がベビーシャワー(妊婦をお祝いしてくれるパーティーみたいなもの)をしてくれて、大量のプレゼント(オムツとか子供服)を貰って帰ってきた。ドヤ顏である。
それから翌々日の日曜日の深夜、嫁が腹痛を訴えてきた。もうプレゼント貰ったし会社休めばいいんじゃね?という赤ん坊からのメッセージの可能性が高い。計算出来る子だ。

嫁は結局一晩中寝たり起きたりを繰り返していた。あまりに痛くて夜中にも関わらずかかりつけの医者に電話するも「It's OK(大丈夫)」と軽く言われ放置される。これがカナダクオリティーである。

まともに寝れずに迎えた月曜日、嫁は流石に仕事に行く気にはならなかったのか会社にその日は休むと電話した。まだここに来ても働く気でいたことに驚愕する。午後から医者に行って超音波検査を受ける。この頃はまた腹痛も収まり次の日会社に行くと言い始めた。

さ だ ま さ し バ カ じ ゃ ね え の ?

必死で止める。もう休めよ。会社に男でも出来たか?
その日の晩飯は最近出来た美味い中華に行く。大量に頼んで食い切れず持って帰った。

その日の晩、またもや強い腹痛(というか陣痛である)を訴える嫁。痛くて眠れない。一晩中背中をさすってやる。医者に電話すると「Still OK(まだ大丈夫。慌てる時間じゃない)」仙道もびっくりの落ち着きっぷりである。結局嫁はほぼ眠れずに夜を明かす。俺は寝た。

明けて火曜日。日中は若干痛みが和らぎ少しだけ眠る嫁。
この時になって初めてまだ赤ん坊用のベッドを組み立ててすらいないことに気付く。大慌てで組み立てる。まだ出てくるなよ!絶対出てくるなよ!と腹の赤ん坊に話しかけながらベッドを組み立てる。ダチョウ倶楽部並にフラグを立てていたことに後になって気付く。

その他にもそもそも子供を家に迎える準備が出来ていない。夏休みの宿題は最後の3日で全部終わらせていたが、まさか自分の子供が生まれてくる準備までギリギリとは、小学生から全く成長していない自分に驚愕だ。


火曜日の深夜、また陣痛が始まった。
2014年の正月に日本に嫁を連れて帰省した。
たくさんの美味いものを食い、様々な場所へ行った。どうやらこの時子供が出来たようだ。

カナダに帰り4月頃、医者で嫁が妊娠四ヶ月と判明。ちゃんと父親になれるだろうかという少しの心配と、得体の知れない喜びが胸を占めた。

性別はまだ分からない。でも男の子だろうと確信めいた予感があった。
五月にまた診察して超音波検査で男の子と判明。ちぃ知ってた。

後日母親に伝えたところ、知ってた、絶対男の子だと思ってた。確信があった、と。親子である。

嫁が糖尿病の気があり、食事制限がかかる。また運動のため散歩に付き合う。
嫁がストレスを溜めないように必死になる。ジャイアンの機嫌を取るスネ夫の気分である。

お腹が大きくなってきた頃、嫁がお腹の赤ちゃんに毎日語りかけたりして俺の声を聞かせてあげてとお願いしてきた。
それ以降毎晩、嫁のリクエストにより 般 若 心 経 を腹に向かって読み聞かせ始めた(実話である)。しかもほぼ臨月まで。
嫁はシャカでも再誕させるつもりなのか。まぁ信心深い仏教国出身故か。

仕事から帰ってきて、妊婦の腹に向かって「ぎゃーてーぎゃーてー はーらーぎゃーてー」
シュールである。
1979年 日本は岡山県で産まれる。

大学まで順調に進学、遊び呆けて留年。就職氷河期にそんなやつに仕事など見つかるわけ無くフリーターに。

三年間ほどフリーターをして数百万貯めてカナダへ留学(なに考えてたんだ。馬鹿じゃね?)

一年間の語学学校生活の後、大学に編入。会計/ファイナンス専攻。会計士資格取得を目指す。ここで今の嫁と出会って付き合い始める。

卒業寸前にリーマンショック発生。人生で二度目のバブル崩壊を経験。

バブル崩壊後のカナダで仕事が見つからず、さらに日本にいる父親がガンで突如死去。日本に一時帰国し落ち込みまくっている母親と半年ほど過ごす。

カナダに再び戻りFXやら株式投資やらで生計を立てる。

3年ほどそんなことをしていた後で、知り合いからカナダに新規開店する居酒屋の店長になってと頼まれそのままカナダで飲食店店長に。

時を同じくして嫁と結婚。その後しばらくしてカナダ永住権を取得。

二年半ほど店長を続けた後、2014年9月に息子が産まれて父親になる。それを気に心機一転、会計の仕事に戻ることを決意。

2015年の初めに地元バンクーバーで就職。←今ここ

20xx年 会計士資格を取得。宝くじで30億当てる。海賊王になる。