「宝徳山稲荷大社」の歴史は、遠く縄文の昔までさかのぼります。古記録によると、殷帝大王(いててのひみこ)の命により、物部美万玉女命(もののべのみのわひめのみこと)が瓊名(ぬな)の里に日の宮のみやしろを建てた時から連綿として今に至るといわれております。瓊名の里は、その後、朝日長者が原、太田乃庄と呼び名が変わり、現在は越路原となっております。
第四十一代持統天皇の御代、久辰稲輿玉女命(くしいなごしひめのみこと)は、奉幣使が来越した折りに「日の宮」の改築方を請願し、勅許を得て社殿を造営。これにより、越国五十六座の第一等社として「越国総鎮守一の宮」の格式を賜わりました。第七十七代後白河天皇の御代より、各地の争いなどで長い期間に渡り度々遷宮し、昭和49年に内宮殿が昭和54年に本宮殿がそして祖霊殿、平成5年には現在の朱塗りの奥宮大殿堂がついに完成致しました。
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