元旦早々、石川県能登地方を襲った最大震度7の大震災。
まずもって、被災された方々に心からお見舞いを申し上げるとともに、
一刻も早く被災地に平穏な日常が戻ることを祈念してやみません。
そんな折、「コロナ禍」の呪縛から逃れられないこの国では、
極寒の中、換気を徹底しろだの、毛布よりマスクが必要だのと、
被災者の心情そっちのけで、避難所での感染症対策を懸念する意識高い系のクズが後を絶たず、
挙句の果てには、ノーマスクで被災地入りした防災相がマスゴミにこき下ろされ、
「配慮が足りなかった」と謝罪に追い込まれる始末。
私自身、3・11の東日本大震災で被災した経験がありますけど、
当時、苦境が続く中でマスクの着用云々だなんて、一切話題にもなりませんでしたよ。
それが今や、「マスクの着用=他者への配慮」という概念が、社会に呪いのように蔓延って、
ややもすると、風邪を引くことさえ許されない雰囲気が醸し出されています。
そして、マスクは万が一風邪を引いてしまった時の免罪符として抜群の効果を発揮し、
換言すれば、ノーマスクで風邪を引いたら、それこそバイオテロリスト扱いされかねないということにほかなりません。
閑話休題。先日、こんなことがありました。
文字に起こすと刺々しい印象がするかもしれませんが、私は極めて穏当にお話しをしただけ。
一読すればお分かりいただけると思いますが、会話が全く成り立たないんですよ。
「任意」かどうか尋ねると、「お願い」だと応じるくせに、
頑としてマスクをしない自由を認めない。
2024年になってもなお、こんな下らない「感染症対策ごっこ」が罷り通っているだなんて、つくづく世も末だと思います。
お利口さんな日本人は口を揃えてこう言うでしょう。
「マスクくらいでムキになるなんて大人げない」
であるならば、私はこう問い返したい。
「マスクくらい自分の意思で外せないんですか?」と。
彼ら自身は、あくまで自分の意思でマスクをしていると思い込んでいるようですが、
「みんなしてるから」
「していた方が無難」
「センモンカがそういっているから」
「常識(マナー)だから」
着用の理由として出てくるのは、空疎なエクスキューズばかり。
あまつさえ、
「以前から病院では皆マスクをしていた」
「高齢者を守るため、マスクをするのは当たり前」
等々、わずか数年前の記憶を自ら改ざんして憚らない。
奇しくも、「日本のGDPが世界4位に転落することが確実」というニュースを目にしましたけど、
こんな気取りすました莫迦どもの群れが、かつての栄華を取り戻すことはないでしょう。
たかがマスクと侮ることなかれ。
マスクごときで自縄自縛に陥る「思考停止」「他者依存」の精神性こそが諸悪の根源。
この国は滅ぶべくして滅ぶ。
我ながら、確度の高い「未来予測」だと自負しています。
(2669番目の糾弾)