改めて説明するまでもないことですが、過日、大阪の市立高校生が体罰を苦に自殺した問題は、

各方面に大きな波紋を呼んでいます。

今回のケースでは、バスケ部の顧問である教師が日常的に生徒に体罰を加え、

主将を務めていた当該生徒に対しては、特に厳しく接していたとのこと。

顔が腫れ、口が切れるほどの激しい暴行は、教育の域を遙かに逸脱している行為であるのは論ずるまでもありません。

御遺族や少年に縁のある関係者の心痛を思うと、非常にやるせない思いが去来します。

この痛ましい事件を機に、体罰を厳しく律しようという気運が高まっているのも致し方ないことでしょう。

元プロ野球選手の桑田真澄氏も、こう述べています。

「殴られて愛情を感じたことは一度もない。(そういう指導者は)一番ひきょうなやり方で、スポーツをする資格はないと思う。」

プロスポーツの世界で超一流の成績を収めた氏の発言には、非常に重要な示唆が込められており、

かつて体罰容認派だった橋下徹大阪市長も考えを改めたほど。

確かに、私も桑田氏の発言には全面的に賛成です。

でも、このまま、体罰自体を全否定するような風潮が醸し出されてしまうのは、果たして良いことなのでしょうか?

私には、とてもそうは思えないですね。

なぜなら、今回の事件において、非は全面的に教師側にありましたが、

残念ながら、生徒側が常に善良であるとは限りません。

今でさえ、教師が手を出せないのを見越して、好き放題振る舞う荒くれ者が後を絶たないと聞きます。

そんな中、体罰を絶対的に禁止しようとするならば、荒れる学校と心の病を発症する教員が更に増えるような気がしませんか。

問題は体罰それ自体ではなく、加減の問題なんですよ。

そいつは決して杓子定規に決められる類のものではなく、暗黙の了解で分かって然るべきだと思うんですが。

朧気な記憶をたどりますと、この王さまが小学生の頃の某先生は、

悪いことをした子どもの太ももに平手打ちを喰らわしていたものです。

赤い手型がつくことからそれは「もみじ」と称されていましたが、特段問題視されるようなことはありませんでした。

子どもたちも何故「もみじ」をされるのかを理解し、ある意味納得していましたから。

また、生徒側にも「少年法」の庇護下にあるのを意識して、これ見よがしに乱暴狼藉を働くような卑怯者はいませんでした。

当時、不良には不良の美学みたいなものが、確かに存在していたような気がします。

まったく、今の時代は大人も子どももどこか歯車が狂っていやしませんか。

体罰だけでなく、いじめやモンペに関しても然り。

非常に難しい問題ですが、容易に解決の道は示されないのではないかと懸念しています。


いやはや、今日はいつになく重苦しい記事になってしましましたね。

何はともあれ、最後までお付き合い頂きありがとうございましたm(__)m