2011年3月11日金曜日、昨日はあの日と金曜日でしたね

あの日、亡くなった皆さん、改めてご冥福をお祈りいたします

実はこのブログ、昨日ほぼ最後の手前まで書いていたのですがね

疲れて誤って保存せずに寝てしまいました

そのため、ショックで書くのが今になってしまいました

あの日はおじさん(=ゼツリンダー)の職場にとって非常に重要な、まさに歴史的な日でした

おじさんの職場はある業界の大手しか入ることができない業界最大の民間団体なのです

その団体はあの年の4月1日、他の2つの大手団体との大合併を控えていました

その日を前に3月14日月曜日には事務所だけ先行して統合!

そのため、あの日は朝からおじさんの事務所に2団体から大量の荷物が運び込まれていました

地震発生時には空のロッカーやキャビネット、薄型ディスプレイや大量の段ボール箱が無造作に1ヶ所に集めて積み上げてました

これが最初の2回の地震で倒れるだけでなく、文字通り四方八方に吹っ飛ばされました

空とはいえ、勢いよく尖った角を向け吹っ飛ばされたロッカーやキャビネット

本来なら人が座っているはずの席などに吹っ飛びましたが、朝からバタバタと動き回っていたせいで、それは全て空席

幸いけが人は出ませんでしたが、問題は段ボールの方

普通は重いものを下にしますよね?

当然紙よりもガラス瓶を下にしそうなもんですがさにあらず

ガラス瓶な安定性がなく、余分なスペースが多いので、上には重いものを載せられません

しかも紙とはいえ数十年分の分厚い報告書や資料が余白なくびっしり詰めてある段ボールが相手

当然紙が下になるのはわかります

しかし、ガラスは割れ物ですから下の端に避けていればいいこと

これがなんと身長177センチのおじさんの顔の前あたりの3段目に詰んであったから大変

さっきからガラス瓶だガラスだと書いてますが、要するに酒瓶

当然2団体から持ち込まれた大量のワイン、日本酒、芋焼酎、泡盛、ブランデー、ウイスキーらの瓶はほとんど粉々

ガラスは散乱、壁には多数のひび割れが入り、段ボールが破れ紙の資料はバラバラに、その資料には酒が染み込みかなりの量がおじゃんに

吹っ飛ばされたロッカーやキャビネットはへこんだり、酷いもの変形しています

さまざまな酒の臭いが入り交じり大変な悪臭が漂う事務所に散乱する荷物とガラス片、そして変形したロッカー

余りのことに職員はみなしばし呆然

しばらくして、皆慌てて自宅に電話

この時はまだ固定電話はつながったんです

1回だけですが……

一度は全職員に避難指示が出て、全員建物の外に避難、しかし集合するや地震は収まったから全員席に戻り合併に備え仕事を続行するよう指示が

おじさんは帰ろうかと思いましたが、やることは山ほどあったので、仕方なく指示に従い席に戻り仕事を続行

事務所に戻り、とりあえずテレビで状況を確認して再び呆然

浦安ではディズニーランドの駐車場では砂が噴水のように吹き上がり、市原ではコンビナートが大火災

おじさんの住む行徳は海抜ゼロメートルの埋め立て地

当然かなりの被害が想定され、実際行徳地区にも液状化や断水などの被害がありました

※写真は市川市役所Facebookページから引用





我が家も数回の断水、洗濯機と全自動の風呂の操作盤と配線がやられましたよ

この頃はまだそんなことになってるとは知りませんでしたけどね

その後、役員は職員に事務所に残って割れなかった酒をみんなで飲もう、ついては手分けして何か食べ物を買ってきてくれと指示

腹が立ったので、おじさんだけ指示を無視して6時過ぎに事務所を後にし、歩いて八丁堀から行徳まで帰ることにしました

歩道にはおじさんと同じように歩いて自宅を目指す人で溢れていました

葛西橋通りに出る頃には、まさに歩道は大渋滞!

なかなか前に進めず、信号待ちしていても信号が青に変わり前に進もうとしても前に行けない

横断歩道を渡った先の集団が全く動かないからです

それでも自宅が心配で必死に歩きます

立ち止まるとおのずと片足体重になりがちでかえって無駄なダメージを足にかけてしまいそう

そのため、最終的には自然と止まっている間も文字通り足踏み状態ww

なんと葛西橋までに1時間半近くかかりました

しかし、葛西橋を渡ってしまえばと少しホッとしたおじさんを待っていたのは更なる大渋滞

葛西橋は自動車がメインで、歩道はあるものの一度脇道に回り込み、河原の方から階段を登って橋まで上がる必要がある

この階段の幅はなんと二人分より少し広いくらい

そのため、階段にたどり着くまでに30分以上、さらに階段を足踏みしながら昇ってさらに約20分

つまり階段を昇って葛西橋の歩道にたどり着いた時点で2時間経過

この間ずっと歩いてるか足踏みですでに疲れきったおじさんたちを待っていたのは風速10メートルを超える向かい風

前を向いて歩くと息苦しいほど

さらに千葉側から歩いてくる人たちはまだ1時間も歩いていないのか元気そのものでおまけに追い風

東京側から着たにんげんをつきとばすように蹴散らしながら歩いていきます

それより怖かったのは自転車、
そして何よりも怖かったのは

スクーター!

道路が渋滞していたため、自転車用レーンを使いスクーターを橋の歩道まで上げると、降りたまま押すのではなく、なんと

歩道の上でスクーターにまたがりエンジンをかけ発進!

我々東京側から歩いてきた人間めがけて突っ込んできました

あれは地震より怖かった

天災より幽霊より何より怖いのは人間

そう思い知りました

その後さらに痛めた足を引きずりながら自宅についたのは4時間近く経過した夜10時近く

父は地震発生時には、関東における東日本大震災の象徴になった新浦安のイトーヨーカドー前で車に乗り信号待ちをしていたら、目の前の道路が割れたそうです

父は普段車で10分かからない道を1時間以上かけて帰ってきたそうなんですが、父の知人は日本橋から車で行徳に帰るのに8時間半かかったと聞いて驚きました

運よくおじさんの周りは物損はあったものの人的被害はゼロでした

しかし、事務所でのロッカー、おじさんに突っ込んできた歩道で人の流れに逆送するスクーター、目の前で道が地割れした父の車

人的被害が無かったのは、本当に奇跡でした

しかし、今思い出しても腹立たしいのは、千葉側から歩いてくる人間の東京側から来た人間を見る目

お互い置かれてる状況は同じはずなのに本当に怖かった

そして、自転車やスクーターで平然と密集した人間めがけて突っ込んでくる神経も理解できなかった

今でもまだ理解できませんが……

今思い出しても正直怖いです

確かに地震は怖いです、津波も怖いです

しかし、誤った指示により亡くなった方たち

原発事故により今でも避難を余儀なくされている方々

人災というべき被害も少なくなかったように思います

やはり、この世で一番怖いのは、天災ではなく人間なんでしょうか?