ようこそお越しくださいました。
宝探しの案内人 甲田真由美です。
さて、昨日はスイカづくりの名人だった祖母の話をいたしましたね。
祖母は何と、10人の子供を産みました。
ちなみに11人目の子育てが、私ということでしょうか。
子供心に覚えているのは、牛のように体が大きくてがっちりしていたことです。あまり無駄口は聞きませんでした。
遊んで洋服が汚れても、ちょっとお行儀悪くても、叱られた覚えはありません。
ほっといてくれるのですね。
それは、病気の時も同じです。
風邪を引いたら、寝てろと言われてしぶしぶ寝ていたら、町医者が自転車でやってきて、おしりに注射をされておしまい。
風邪を引いたからと言って特別心配してくれるわけでもなく、特別な食事が出てくるわけでもなく、ただつまんないだけでした。
つまんない・・・。
構ってはくれないのです。
ちやほや構ってくれないから、祖母のことを無能で愛情がない人だと勘違いしたのです。
あの時、風を引いて寝た時に、ちやほやと構ってもらったら、私は、それに味をしめて、病気は優しくしてもらえる~得
などと思い込んでしまったかもしれません。
そして、何かにつけて病気になる子になったかもしれません。
10人も子育てしていると、子供を甘えさせることが害になることを知っているのですねぇ。
特に私を甘やかすことは厳禁だったのですね。
それだけ祖母から見ると、甘えん坊だったのでしょう。
祖母を悪者にして、私は病気を創る思考を手放したのかもしれませんね。
子供のころの病気の思い出はそれだけです。
病気してもつまんない。だって誰も構ってくれないもん。
おばあちゃんのバカ
お父さんお母さんなんてもっとバカ
要らないもん。
で、親なんていらないと思ったことが現実化して、私の祖母との二人暮らしは続きます。
構ってもらえなかったから自立できたのに、構ってもらえなかったといって恨むんですね。
その恨みがのちに自分を一層苦しめることも知らずにね。
今だからわかるけど、数年前はわからなかった。
祖母の私への深い愛情・・・。
おばあちゃんごめんね。構ってくれなくてありがとう。
お蔭で病気しないでいられる~
何だかこのところ祖母のことを思い出すのです。
忘れないように思い出を書いておこうと思いました
ではまた次回