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宝探しの案内人 甲田真由美です。


宝探しをはじめよう! ~ 自分の中で眠っている      ☆ダイアモン ド☆ を見つけよう-プロフィール4
さて、昨日はスイカづくりの名人だった祖母の話をいたしましたね。


祖母は何と、10人の子供を産みました。


ちなみに11人目の子育てが、私ということでしょうか。


子供心に覚えているのは、牛のように体が大きくてがっちりしていたことです。あまり無駄口は聞きませんでした。


遊んで洋服が汚れても、ちょっとお行儀悪くても、叱られた覚えはありません。


ほっといてくれるのですね。


それは、病気の時も同じです。


風邪を引いたら、寝てろビックリマークと言われてしぶしぶ寝ていたら、町医者が自転車でやってきて、おしりに注射をされておしまい。


風邪を引いたからと言って特別心配してくれるわけでもなく、特別な食事が出てくるわけでもなく、ただつまんないだけでした。

つまんない・・・。


構ってはくれないのです。


ちやほや構ってくれないから、祖母のことを無能で愛情がない人だと勘違いしたのです。


あの時、風を引いて寝た時に、ちやほやと構ってもらったら、私は、それに味をしめて、病気は優しくしてもらえる~得音譜


などと思い込んでしまったかもしれません。


そして、何かにつけて病気になる子になったかもしれません。


10人も子育てしていると、子供を甘えさせることが害になることを知っているのですねぇ。


特に私を甘やかすことは厳禁だったのですね。


それだけ祖母から見ると、甘えん坊だったのでしょう。


祖母を悪者にして、私は病気を創る思考を手放したのかもしれませんね。


子供のころの病気の思い出はそれだけです。


病気してもつまんない。だって誰も構ってくれないもん。

おばあちゃんのバカプンプン

お父さんお母さんなんてもっとバカパンチ!

要らないもん。


で、親なんていらないと思ったことが現実化して、私の祖母との二人暮らしは続きます。


構ってもらえなかったから自立できたのに、構ってもらえなかったといって恨むんですね。


その恨みがのちに自分を一層苦しめることも知らずにね。



今だからわかるけど、数年前はわからなかった。


祖母の私への深い愛情・・・。


おばあちゃんごめんね。構ってくれなくてありがとう。

お蔭で病気しないでいられる~音譜



何だかこのところ祖母のことを思い出すのです。

忘れないように思い出を書いておこうと思いました合格



ではまた次回


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