道東最後のキャンプ
本別町CA~帯広市~然別峡CA
今朝は久しぶりに目覚ましで起きることが出来た。というより、その時間に丁度起き大きな地震で揺り起こされたと言った方が正確だろうか。キャンプ場で地震を体験したのは憶えているだけでも2回目だと思う。初めての地震は今年の春の長旅、別府志高湖キャンプ場でのことだった。あの時は確か帰り道に寄った時に起こったので、キャンプ場には本当に自分しか居なく、少々ビビッタという思いがある。
キャンプ場を出発したのは8時前、まぁいつもの通りの時間、早すぎず遅すぎない自分が決めた時間だ。国道に出て一路帯広を目指す。先ずは旅の前半でチェックしておいた市内のコインランドリーで洗濯物を片付ける為だ。街角にあるような住居表示がここには無く、交差点の名前でしか自分が今何処に居るかの確認が出来ないので、店探しには少々手間取ったが、程なくして開店間もないコインランドリーを発見。苫小牧での悲劇は繰り返す事は無かった。
洗濯機が動いている間の時間を利用して、先ずは店内にあるコンセントを失敬して携帯電話の充電を、そして相方のチェーンが弛んできたのでその張りの調整と給油を済ませた。
しかし、チェーンの伸びが早い様な気がする。630チェーンの時はこんなに何度も張りの調整はしなかった。というより、いつしたかどうかも忘れてしまう位、もってくれた。しかし、この530チェーンはどうも気に入らない。
最近のZ改にはチェーンのサイズダウンはお約束みたいな傾向だが、一年余りでこんなにも伸びる物だろうかと思った。630の時は余にも伸びないので交換する目安はチェーンの表面が錆びてきたらと言うことだった。やはり、1年で日本を縦断するような使い方をZに強いるともなると、このチェーンの伸びは致し方ないことなのだろうか。スプロケットの歯は磨耗に気がついてからはマメに給油とアクセルワークに気を使うようになったので、一時期のような見る見るうちに減ってゆくと言う事は無くなった。
洗濯物が終わり、店を後にする。時刻はまだ午前中だったが早めに昼にしてしまおう、と思い帯広の中心街に入った。食べ物やはそれなりにあったが、自分としては帯広に来たらお約束の「豚丼」を食べようと思ってその店を探した。勿論、ツーリングマップに紹介されている有名店「P」という店もあることは知っていたが、あるツーリングライダーが書いたレポートで
「店員の応対が非常に横柄で気分が悪かった。人気がある店のせいか何だか知らないが、殿様商売そのものだった」
という記述を読み、自分の性格上そんな店には絶対に足を運ぶ事は無いので、それ以外の店を探した。帯広名物というのだから、長万部や根室のように嫌と言うほど「豚丼」のノボリが沿道に立っているのかと思いきや、それがぜんぜん見当たらない。
グルグルと市内を廻っているうちに正午になってしまった。豚丼は諦めて普通の定食屋でいいやと考えを改めR38に出て郊外に出ようとしたら、まるでタイミングでも計ったかのように豚丼の大きな看板を立てたラーメン屋を反対車線に発見。ワザワザUターンしてその店で豚丼をオーダーした。食べた感想は、只単に牛丼が豚に変わっただけのものだった。苦労してフル積載の相方に乗って市内を廻って探してまで食べるような物ではないと、この時点で確信した。
帯広中心街から郊外に広がる道路は殆どと言って良いほど直線道路で結ばれている。路面も殆ど完璧に舗装されているので、どの道を使っても目的の町に出られるようになっているのは有り難い。交通量の多い国道を避けてまるで阿弥陀クジでもやっているかのように道道と町道を走り繋いで、鹿追町に出た。そこで今晩と明日の買出しを済ませ、今度は色々と思い出のある然別へと北上を開始、途中の喫茶店で甘い物が欲しくなったのでソフトクリームを食べた。此処の所お茶の時間には必ずと言って良いほどソフトクリームを食べている。特に最近は気温が高い天気が続くようになってきたので(本当に今更と言いたいが)冷たくて甘い物はかなり疲労回復には丁度いい。
一息ついたところで然別峡へ出発、途中から地図にあるようにしっかりとダートになっていたが、到ってフラットで特に走りにくいということは無かった。キャンプ場のある所までは数キロなので、トムラウシのような延々と走りつづける様な事もないし、このまま到着すればかなり早い時間にテントが立てられる、そうすればちょっとの昼寝位は出来るだろうと思いながら、ダートを走っていた。途中、轍の深いところがあり、かなりの振動と失速にてこずったので、再び加速を始めた時に念の為後ろの荷物の状態を走りながら振り返って確認してみた。
「・・・・・・!!!無い!」
やっちまった。久しぶりの積荷落下である。
何が無くなったかと言うと、先ほど鹿追町で買ったばかりの新品の麦茶ペットボトルが姿を消しているのである。まず、相方を路肩に停め、歩いて先ほどの轍の深かった所まで歩いて探しに行く、無い。
「これはかなり手前で落としたのかぁ?」
面倒な事になった。またまた岩手雫石での悲劇が脳裏を過ぎった。しかし、ここはダート。フル積載の相方をUターンさせるのは容易ではない、慎重に慎重に向きを少しづつ変えてもと来た道を走り始めた。その間にも数台の車とバイクとすれ違った。轢かれて破裂してなければいいが・・・・未開封だから拾った奴に持って行かれてはいないか、色々と頭の中で考えながらとにかく目を皿のようにして、走る。すれ違う車の砂煙が目に入って非常に鬱陶しい。最近ずっと荷崩れはやっていなかったのだが、買い物を終えて出発する時に、未開封のペットボトルと飲み掛けのペットボトルと一緒にパッキングコードに固縛したのがどうやら間違いだったようだ。しかも未開封の方が上になっていたので余計に安定が悪かったのだろう。ちょっと気が緩んでいたとしか思えない。埃で目をシバシバさせながら、走ること数キロ。やがて道の真ん中にラベルがはがれ変形した茶色の物体を発見。
それは紛れも無いさっき自分がコンビニで買った麦茶のペットボトルだった。車に惹かれたようでアチコチ傷だらけになっているが奇跡的に破裂していない。意外なペットボトルの強度に驚いた。誇りまみれになってしまった我が麦茶を丁寧にウェスで拭いて綺麗にし、今度は絶対に無くならない様にデイバッグの中に押し込んで、再びUターン。
幸運な事に落し物が見つかった場所が緊急非難帯だったので、今度の切返しは非常に楽だった。その後程なくして、ダートは一軒の温泉旅館の前で終わっていた。かの有名な「かんの温泉」である。別にしゃれて居る訳ではない。「???あれ、キャンプ場は」と思い、振り返るとそこから急なヘアピンで下ってゆくダートを見つけそれを降りていくと、ようやくカラフルなテントが見えてきた。キャンプ場到着である。
午後4時。何だかんだいって、結局早い時間での到着は出来なかった。まだお盆の後半とあって、こんな山奥のキャンプ場なのに、結構混んでいる。閉口したのは、またまた荷物を下ろして運ばなければならないと言う事だった。まぁ、確かにここは国立公園の中だから、仕方ないのかもしれないが。細長いキャンプ場はかなり奥の方まで埋まっており、いい場所を見つけるのに少々苦労した。そして、荷物を運び込むのはもっと苦労した。そこまでがずっと上り坂だったからだ。まぁ撤収する時は楽だがね。
テントを立て、米を砥ぎ、暗くなる前に寝床を用意して、誇りまみれになった体をスッキリさせる為に今日のところはかんの温泉に入る事にした。ここのキャンプ場のウリは、羅臼のキャンプ場と同様に目の前に無料天然露天風呂「鹿の湯」があり、誰でも何時でも入れると言う事だ。しかし、熊の湯とはちがって洗い場らしい洗い場は無い。その点は先日入った「からまつの湯」と同じ、浸かるだけだ。と言う事で、鹿の湯は明日の朝の楽しみに回す事にした。
かんの温泉の風呂場は館内だけでも数ヶ所ある。もっと早い時間に来れば、建物の中を歩き回って温泉のハシゴも出来ただろうが、旅館に着いたのは5時過ぎ。それをするには時間がなさ過ぎる。と言う事で、今回は岩風呂だけに入る事にした。だが、そこの岩風呂だけでも秘湯の雰囲気は充分だった。まぁ中の雰囲気はいって見てもらえれば、いいと思う。わざわざ文章にする事も無いと思う。ただ、一つ。一番大きな湯舟のお湯加減はかなり熱めだということだ。例えるならば、「熊の湯」がちょっとぬるくなった位と言えば適当だろうか。いや、これでは熊の湯に入った人間しかわからんか・・・・。
本日の日記は携帯電話がオンネトーと同じ思いっきり圏外表示なので、ワードパッドで作成した。アップするのは、翌日の日中移動途中でか、翌日のキャンプ場で行うかどっちかにしようと思う。明日は、道東に別れを告げ、狩勝峠を経由して道央入り、またまた移動距離を控えめにして夕張辺りで幕営しようと考えている。何故か。まず、札幌のまーぼさんに「此処まで来ましたよ」と言う連絡をしなければならないのと、まだお盆の後半なので、札幌近辺でのキャンプは危険だ、と考えたからである。