しゃれにならない、斜里岳登山
斜里清里YH滞留
(↑の画像はイメージです)
朝のYHにて朝食を食べている時は、窓から斜里岳の稜線が半分ほど見えていた。
その朝5時に発表されていた気象台の天気予報では午前中は50㌫正午から20㌫その後は10㌫と前半はともかく、正午からの降水確率なら頂上での展望は大いに期待できると思っていた。
同室に居合わせたチャリダ―のM氏も斜里岳に登るつもりでここに来たと言う事で、彼はオーナーの運転するワゴンで、自分は相方で登山口に向かう事になった。
昼飯を買出しするのをうっかり忘れていたので、自分は一端清里の町に行き、コンビニにて弁当と水を購入、取って返すようにして登山口へ向かった。
途中から登山口へ向かう道路はダートとなっており、フラットで締まって走りやすい事は走りやすいが、コーナーの立ち上がる部分での殆どがモトクロスコースのウォッシュボード(ウープス)になっていて、加速し続けないと振動が激しくて相方の部品がバラバラになりそうになる。
先日のカムイワッカでの失態を忘れてはいないので、右コーナーを抜ける時は慎重に左コーナーを抜ける時はリーンアウトで走るという繰り返し。その他は長いストレートダートになっているので瞬間的には60~70キロ位の速度は出る。さすが北海道の林道だ、こんなところでもスピードが出せるのがある意味怖い。
その距離約8キロのダートの終点に斜里岳の登山口があった。
勿論チャリダ―のM氏は先に到着していて、既にスタート出来る体勢になっていた。
8時半、登山スタート。日帰りとしてはかなり遅い時刻だが、登山口の標高が既に5合目であるので、それ程問題は無かった。
むしろ、午後からの天候の回復に期待していたので、山頂に早く着きすぎては視界の悪い中延々と天気が回復するのを待たなければならなくなるので、その方が無駄な時間を山頂で過ごす事はないだろうと考えていた。
前の晩のYHにて、簡単に斜里岳登山の案内を聞いていたので、ある程度は覚悟していたが、早速の沢渡りが始まった。鉄分を大量に含んだ沢の水によって錆び色に染まっている岩を恐る恐る渡って行く、しかし意外と滑らない。むしろ沢の水をあまり被っていない湿った岩の方がツルツルとしていて非常に危険だ。と言う事で、ある程度勝手が分かってきた後は足首まで水に浸かろうがお構い無しに沢を右に左にと何度も渡りながら遡上するルートを登って行く。
しかし、途中からは沢を渡らず大きな滝の横にある巨大な岩を一気によじ登っていくルートに変わり、これが非常にきつい。一息入れる場所も無いので一気に登らなければならない、直ぐ傍には鎖がアンカーで打ち付けられていて掴まるようにはなっているが、石鎚山のような物とは比べ物にならない程細く、こんな物に命を預ける位なら自分で掴まれる場所を探して登っていった方がいいと思った。その鎖の太さは例えるならば大型犬を繋いでいるようなものと思って貰えれば良いのではないだろうか。
途中山頂から降りてきた登山者とすれ違った、挨拶ついでに山頂の様子を聞いてみると、ガスっているが風は無く、それほど寒くなかったと言っている。ますます期待感は膨らんだ。
寒さを想定して着てきたライダージャケットが汗ダクになってしまったので、途中で脱いだ。これも宿に戻ったら洗濯だ。それでも、鬱蒼とした森の中を流れる沢は意外と気温が高く風通しも悪そうなので、汗が止まらない。本当に汗っかきはこう言うときは鬱陶しい。
数回の休憩を挟みながら、沢登りは終わり今度は傾斜のきつい登山道らしい道を登る。水浸しになり、オーバーソックスも役立たずになっている両足から歩く度に「グジュ・・グジュ」と嫌な音が聞こえる。これも山頂で晴れ間が出たら乾かそう・・・と思っていた。(この文の終わり方はこの日の山頂到着以降の悲劇の伏線となっているのです)
登山道と平行して流れる沢の音が段々小さくなってきた。登山道にも水は沢山流れていたが、それも小さくなってきた。山頂ではもう雨は降っていないのかもしれない。
羅臼岳以降中1日の登山、疲れがかなり溜まって来たし、足は気持ち悪いし気分大いに悪かったがが、このまま登山を続けていくには、今朝の天気予報に期待するしかない。
森林限界を過ぎ、這い松帯に出た。空が良く見える。しかしあまり朝と変化が無い。おまけに雨が降ってきた。フードを被り黙々と歩を進める。山の天気だから多少雲があっても雨は降るだろう。でもこれもじきに止むだろう、そう思っていた。
這い松帯が間もなく終わる辺りで「胸突き八丁」という急坂を登り始めた。これがまた本当にきつい。登山口から山頂までの距離は5キロ弱。羅臼岳よりも2キロ以上短い。しかしその分勾配が急でまっすぐ上に登って行くような道ばかり、雄阿寒岳の時のように、山頂でまたこむら返りが起こらないか気掛かりになった。
鉛のように重たくなっている足を必死に引き摺りながら胸突き八丁を登りきると、山頂への稜線にでる「馬の背」だ。この手の名前はアチコチの山でよく聞く名前だ。例え易いのか。
自分らよりも先に登山をしていた中年夫婦に馬の背で追いついたので、少し話をした。山頂はどっちだとか、風はどうだろうだとか。しかし、ちょっと馬の背に出てから風が気になった。強風ではないがあまりいい風ではない。霧と共に吹き付けてくる山越えの風は猛烈に冷たい。あの「樽前山」の時の様だ。時計を見ると間もなく正午になろうとしている、しかしさっきよりも天気が心なしか悪くなっているように思えた。
馬の背を後にしてさらに小さなガレ場の上り坂を登りきった所で、山頂に到着。約3時間半の登りであった。以外とかかるではないか。帰りはまた、途中から違う道で下りる事になっているので、果たしてどれ位の時間で下りられるのか予想は出来ない。
しかし、「寒い!」晴れていない上にガスが濃く何も見えない。風も強く決していい天候状況ではない。ここで初めて今日の天気予報は外れた事を悟ったのだ。
まず、昼飯を食べる前に上半身素っ裸になってずぶ濡れになった下着を全て着替え、直ぐに雨合羽を着た。それでも寒い。気温は一ケタ台まで間違いなく下がっている。震える手で弁当を食べ、悴んだ指で握り飯を落とさないようにして胃に押し込んだ。何とか昼飯を片付けた後、タバコを一服。まぁこれは天気の良し悪しに変わりなく旨い。だが、そのタバコを持つ手に雨粒が。それも結構大きい。「おいおい、良くならないどころか悪くなって来てやしないかい?」
チャリダ―M氏も、ガタガタ震えている。これは天候の回復を待つ以前の話だ。早々に斜里岳山頂到着の証拠写真を撮り、下山を開始。一時ルートミスしそうになったが、直ぐに気がついてリカバリーした。それほど、ガスも濃くなって来ているのだ。
山頂直下のガレ場、胸突き八丁を通過し、ここで道は二股に分かれている。帰りは新道と言われている「熊見峠」経由の道で下りる。勿論、登ってきた道で下りる事も出来ない事は無いが、あの目も眩むような大岩を降りていく程、自分には度胸も技量もない。怪我したくないので迷わず我々は新道コースで山を下った。
熊見峠までは下山コースだというのに登りになる。用意した登山ストックが邪魔だ。しかし、登ったり下ったりの繰り返し、膝を痛めたくないのでストックはそのままで邪魔にならないように自分で持ち方を変えたりして工夫をした。
熊見峠到着。横殴りの強風、谷間から吹き上がってきて尾根を越える絶える事の無い雲の流れ、這い松がゴウゴウと音を立てる。まるで嵐だ。山頂は今頃エライ事になっているに違いない。
熊見峠を通過し、今度は延々と続く超マッドの急坂を下る。景色を眺める余裕も無い。というか、真っ白で何も見えない。立ち止まって写真を撮るような風景も無い。雄阿寒岳の悪夢が脳裏を過ぎった。
スパッツを買って置けばよかったと思うほどに、自分の黄色いゴアテックスの雨合羽は無残な姿になっていた。両足太ももの上まで泥だらけ、まるで田植えでもしてきたかのようだ。
登りの時と同じ様に、お互いにあまりお喋りもせず(話すような余裕が無かったのもあったが、風景に変化が無いので会話が弾まないのだ)、黙々と山を降り続ける。
やがて、大きな沢の音が聞こえ始め、ようやく下まで降りてきた事がわかり、一安心。
旧道と新道が合流する「下二股」にて下山開始後久方振りの休憩。M氏はさっきから小休止の度に茂みに分け入って立小便をしている。気になったので聞いて見ると汗を殆どかかないのだと言う。それはそれであまり体には良くない。汗っかきも嫌な物だがその分新陳代謝はあるので体の調子が悪くなると言う事は無い。しかし、体温が上がっているのに汗をかかないと言うのは山登りはあまり向いていないのではないだろうかと余計な心配をしてしまった。
そして、休憩タイムが終わりあとひとふん張りでゴールだと歩き始めた途端、前を歩いていたM氏が突如振り返って
「救助隊が来ました」
と言った。
見ると、3人組の制服を着た山岳救助隊が登ってきたのである。その内の一人が
「あなた達、熊見峠から下りてきましたか?」
M氏が答える
「はい」
「誰か、追い越して来ましたか?」
「いいえ」
「だれかと山頂付近ですれ違いましたか?」
「はい、3組の別々の男女のペアとですけど、どうしたんですか?」
「救助要請がありまして、熊見峠付近で転倒して肩を脱臼したという事なんです」
「じゃあ、自分らはだれも追い越していませんから後から登ってきた人たちじゃないんですか?」
「そのようですね、どうも有り難う」
そういって、3人は熊見峠ルートを足早に登って行った。
えらいことである。この天気で怪我、ヘリコは当然飛ぶ事は出来ない。携帯電話で救助要請出来たから良かったような物の、それも駄目だったら大騒ぎになっている事だろう。
それに、大変なのは救助隊の方だ、怪我人は肩を脱臼しているのだから、あの掴まって降りてこなければならないような急坂は自力では当然無理だ。と言う事は負ぶさって降りてこなければならない訳だ。
まぁそんな事も想定して普段から彼らは訓練をしているのだろうけど、肩を脱臼するほどの転倒をするとはよほど急いでいたかボケッとしていたかどちらかだろう。なにせ、急坂とはいえ、地面はぬかるみである。足首まで埋まるような柔らかい地面で怪我をすると言う事は相当に派手な転び方をしたのだろう。怪我をした本人には悪いが、周りの人たちにとっては甚だ迷惑な話この上ない。
再び、沢を右に左に横切る。所が何かがおかしい。
足場にしていた岩が少なくなっているのだ。つまり沢が増水しているようなのだ。しかも沢の上から吹き降ろしてくる風が非常に強い。これも登りの時には無かった。天気は最悪の状態になってきているようだ。早々に山頂を撤収して大いに正解であった。
午後4時過ぎに登山口に到着。
1台の救急車とパトカーが止まっている。
やはり大事になっているようだ。
登山者名簿の登山開始時と言う欄に、スタート時下山予想時刻は午後2時と書いておいたが、とんでもなく時間が掛かった。やはり、天候と登山道のコンディションが悪くなるとこれほどに時間が掛かってしまうのだ。
YHからの迎えが来るまではM氏は登山口で待っていると言う事なので、自分は汚れた色んな物を、近くの水場で洗い流し、相方を充分に暖機させて林道を下った。
林道もガスッっている。これも朝は無かったことだ、夕方になればなるほど気象状態が悪くなってきている、本日の天気予報は外れどころか大嘘付きだったのだ。
その後YHに戻り、グショグショになった下着やTシャツを脱ぐ。最後に靴下を脱ぎ捨ててようやくホッとした。その後昨日と同じ様にYHのワゴンに乗せて貰い、近くの温泉で体の冷えを取り(疲労感は余計に強くなるもんだ)、上がるとそのまままた近くの居酒屋で夕食。生ビールが死ぬほど旨い。最近ビールが飲めるようになった自分にとってこれは極上の清涼剤になった。
今日の夕方にYHにやって来たという、他の部屋の客と一緒に夕飯を食べながら山の話や旅の話をしていたが、自分とM氏は予想通り脳みその半分は既に睡眠状態に突入していた。
YHに戻りオーナーから「お茶でもどうぞ」というお誘いがあったが、返事をしただけで自分はメールのチェックとHPの更新だけで精一杯。おまけに明日は移動だから洗濯物も片付けなければならない。
死ぬほど眠たかったが、やる事は一杯だ。お茶どころではなかった。
洗濯乾燥が済んだ山のような洗濯物を(羅臼では結局洗濯は一回もしていなかった、寒かったから)あくびをしながら全て畳み、決めたバッグに詰め込み終了。
布団に潜り込みスイッチが切れたように寝てしまった。
今回の登山は、完敗である。いくら山頂での展望が悪くとも下山途中には眺めが良かった山は過去にもあったが、今回ほど何も見るもの無しに下山する羽目になったのは、先日の樽前山以来になる。
これで、北海道登山の勝敗は1勝(羅臼岳)3敗(斜里・樽前・雄阿寒)一分け(雌阿寒)と大きく負け越している。今後の天候の回復をじっくり待って何とかイーブンに・・・いや勝ち越した状態で旅を終わらせたい。そう思った。