神の泉
朝の羅臼はカンカン照り。目覚ましを8時ぐらいにセットしておいたのだが、周りの音と、テント内の温度の上昇で外に出ざるを得なくなった。既にチャリダーや、バイクで一泊のみしていったメンバー達は、殆どテントを畳み、撤収の準備をしている。ゆっくりと朝飯を食べ、荷物をまとめ、PCのバックアップバッテリーを例の場所に接続し、テントを閉めてさぁ出発と言う時、またまたアクシデントが発生した。以前から懸念していた入り口のファスナーの引っ掛かりが最近になって酷くなり、ダマシダマシ使っていたのにとうとうスライダーが外れてしまったのだ。これは焦った。こいつが使い物にならなくなったら、入り口を閉める事が出来ない。テントを空けて置く(留守にする)事が出来なくなってしまう。おまけに夜寝る時に虫が入ってくるのは必須、非常事態が此処に来て発生したのである。
まず、心を落ち着かせて外れたスライダーを点検する。幸いにも破損した所は無い、外れただけのようだ。相方の所に走り、工具を持ってきて丹念にスライダーの口を広げ、歯の部分を挟み込み、慎重にニードルノーズプライヤーでかしめる。そして、ゆっくりとスライダーを上げてゆく。もちろんファスナーの口は開いたままになっているので、勢い良く引き上げる事は出来ない、しかし、入り口の半分の所まで引き上げた所で再びスライダーが外れた。「くそっ!!」短気を押さえつけて、もう一度最初からやり直し。
所が、最悪の事態が起こった。広げたスライダーをプライヤーで締め付けるときにテント内部の金具(指で摘む所)が折れてしまったのだ!顔から血の気が引くのを憶えた、万事休すか・・・・しかし良く見ると。折れたのは本当に金具の部分だけ、まだ本体は何とも無かった。これだったら外れてしまった金具の代わりになにか針金でも通してやれば再び使えるようになる。ホッとした。そして、最終工程。スライダーの引き上げだ。先ほどよりも更に慎重に少しずつ引き揚げる。
あと20センチ、
あと10センチ、
あと5センチ
「ジーーーーーッッッ」やった!復活した!そして、いったん入り口を全開にして、そして閉めてみる。スライダーは以前よりも軽く動いてくれるようになり、非常に動きがスムースになった。ピンチが一転して大勝利である。
これで、また当分の間使える。でも、このテントはどう考えても、もう寿命だ。これまでにも一番最初の裏磐梯高原での台風キャンプデビューから、紀伊半島でのボヤ事件や、岩手でのテント落下そして車に轢かれるなど、普通のテントよりも酷使してきたが、よくここまでもってくれたものだ。どんなに叩き付けるような大雨が降っても決して浸水する事が無かったテントだが、やはり毎シーズンごとに縫い目に防水剤を刷毛で丁寧に塗っても、少しづつではあるが、雨が染みて来る様になった、そして今シーズンに入ってからのファスナーのトラブル。今回で本当にお役御免だ。今まで本当に有り難う。そしてもう暫くの間宜しくな。トラブルも無事解消し、キャンプ場を出発。道東屈指のワインディング知床峠を通過する。ここを楽しむのは当分後だ。天気は良く、バイクも駐車場に沢山停まっていたが、今日はここには用は無い。しかも、写真でよく見られる羅臼岳も雲を被っている。これでは写真栄えしない。一気に素通りしてウトロへ。
国道から分かれて道道に入り、直線道路をすっ飛ばしさらにカムイワッカの標識を右に。いきなりダートになる。だが、構わずすっ飛ばす。こっちは空荷同然だし、トムラウシでダートは走りなれている(2年前の話だが)、怖くは無い。次々と追いつくわナンバーの4輪や走りがおぼつかないバイクをゴボウ抜きにして行く。所が、何でも無い所で痛恨の転倒、深砂利にフロントを取られ、その拍子にアクセルを開けてしまったようだ。右ひざを痛打する。しかし、転んだ場所が場所だったのでそれ程痛くは無い、相方もダメージは無かった。
「調子に乗るなと言う事か」
フロントが一気に足払いを食らわせたようにすべったのは、きっと知床のカムイがそうさせたのだろう。
ペースを落として、数分。カムイワッカの滝入り口に到着。とうとう来たのだ。
ここまで、これを目指して。
はやる気持ちを押さえて、靴を脱ぎビーチ草履に履き替える。Gパンを捲り上げ相方をロックし出発。途中で、怪しげなオヤジが「兄ちゃん、そんなビーチサンダルじゃ滑るよ」と言って来たが無視、今までの話ではビーチサンダルでも充分行けるという事位知っているのだ。そんなんで大事な生活資金から金が払えるか。沢登を初めて直ぐに流れの中を歩くようになる。本当に温かい。こんな下のほうでこの湯温と言う事は、最初の滝壷でもかなり湯加減は良いのではと思った。
最初の滝壷に到着。沢山の人、みんな水着を着ている。写真だけ撮って帰る人も居る。肝心の湯加減は「・・・・・・」ぬるい。駄目だ。
これでは一端浸かったら上がれなくなってしまう。それに自分は水着は一応持ってきているが、本当は素っ裸で入りたいのだ。ということで、更に上を目指した。そこから上は、さらに急な崖を攀じ登る事になるので、家族連れや年寄りや冷やかしの客は来ていない筈。本当に勇気とやる気がある人間だけ行ける場所なのだ。
背負っているバッグ類のベルトを更にきつく締め、出発。10分ほどで2段目の滝壷に到着。ここにも人は居た。しかしまだ水着を着ている。「この上にも湯ダマリってあるんですよね?」と入っている人に聞くと、あるという。でも相当上の方らしい。それを聞いて余計に行きたくなった。更に上を目指す。20分ほどして誰も入っていない滝壷に到着。湯加減もバッチリだ。念のため更に上に登って見た、途中横の崖から湧き出している源泉が手足に掛かる、
「あつ!」
猛烈に熱い。昨日の熊の湯のあの小さな湯ダマリに匹敵する温度だ。慎重に沢を登りきり、上の様子を見る。
滝壷らしいものはない、しかもどの流れもかなり熱くちょっと入るには躊躇してしまう温度だ。と言う事でここは止めにして先ほどの滝壷に入る事に決めた。誰も居ないので、一気に服を脱ぎドボンと飛び込む。「!!!!」深い!足が着かない!一瞬滝壷の中が見えたが、猛烈に目が痛くなったので慌てて上にあがる、近くにあった長い木の枝で深さを測ってみる、およそ2メートル強はある深さだ。こんなに深いとは・・・・真ん中辺りでゆら~りと言う訳には行かないな。湯船(?)の端の岩に捕まって立ったままの状態で湯に浸かるというのが、ここでの入浴スタイルのようだ。これがカムイワッカ流の入浴作法なのだろう。温泉は強烈な酸性泉で、うかつに顔を拭うと顔中がヒリヒリする。轟音を立てて流れ落ちる滝一つにとっても、場所によって熱い所とぬるい所、丁度いい所、そして湯船は絶妙の湯加減。楽しくて楽しくてしょうがない。自然に顔がにやけてくる。
「これだ・・・・・これを目指していたんだ。ここに来る為に今までやってきたんだ・・」正に天然露天風呂の横綱である。今までの露天風呂での爽快感の比ではない、まさにここに来た人だけが体験できる場所なのだ。
やがて、一人の兄ちゃんがやって来た。栃木から来たと言うライダーだ。彼に写真を撮って貰い、色々と話をしていた。実は、それまでずっと一人だったのが、内心少々ビビッていたのだ。なにせここは知床、熊の生息地のど真ん中である。しかももってきた熊避けの鈴もこの沢の轟音では音が通りにくい、そして温泉に入っている間はまさに人間は無防備そのものなのだから・・・・・。そして、暫くするともう一人の兄ちゃんが登ってきた。彼は岡山からやってきたという。話をしているうちに、自分を含む3人ともプータローであることが判明した。そして単車乗り。
「ここまで登ってくるのは単車のりだけなんですね~やっぱり」
と自分がいうと、2人とも全く同感といった感じで笑った。
20分ほどして、岡山ライダーが先に下りて行った。その後、自分と栃木ライダーは1時間もの間、この湯船の中をあっちへユラユラ、こっちへユラユラ(なんせ落ち着いて座れる所が無いので、つねに立ち泳ぎ状態、そしてお湯の流れに流されてアップアップするという、間抜けな光景)と、浸かっていた。
そろそろ、と言う事で二人同時に風呂から上がり滝壷を後にした。先ほどの大勢入っている滝壷の上から降りてくると
「あんな所から人が降りてくるのか」
とでも言いた気な顔で見上げている。こちらは得意満面だ。栃木ライダーは、網走の呼人浦にテントを張っていると言う事なので、入り口でお別れ。自分は、元来た道をまた凝りもせずアクセル全開ですっ飛ばした。またまた慌てて避ける4輪、荷物を載せたバイク、対向してくるオフロードバイクも相方の後ろに上がっている砂煙を見て驚いているように見えた。それほど、Z1はオンロードバイクにも拘らずダートロードでもそれなりに走れてしまうのだ。バンクが着いている所では、安心してアクセルを開けられるのでまさにその時はフルカウンター、気分はオフロードライダー時代に戻っていた。ウトロの町に到着。昼飯に久しぶりにうに丼を注文。次に「ボンズホーム」と言う所で明日、知床岬を目指す船「ネイチャーウォッチングボート」の乗船券と乗船の予約を済ませる(平成28年以降運休中)。この船は、同じウトロから出ている大型定期観光船「おーろら」とは違って、漁船を少し大きくしたような船体で、知床岬を目指す。なぜ、こちらを選んだかと言うと。まず、料金が「おーろら」と同じである事。そして、その内容が「なにかしら動物を発見したら大型船でも近寄れないような距離まで近づいて停泊して観察して貰う」と言う事が最大の付加価値と判断した為だ。カムイワッカが終わったあとは、時間は幾らでもある。ここまで来たのならば、心行くまでじっくりと知床の自然を目に焼き付けようではないか。しかし、応対した船長と話をした時、「今日はうねりが高かったから船は出さなかった」と言っていた。小さい船だけにうねりには弱い、危険を冒してまでも出港するつもりは無いのだという。そして、毎日の出港か欠航を決めるのは朝の8時。だが、お店の前に集合するのは8時20分。キャンプ場で電話してからウトロへ行ったのでは間に合わない。と言う事は出港だろうが欠航だろうが、一度は知床峠を越えてお店までの20数キロを走らなければ、どうにもならないと言う事だ。船に無事乗れるまでのリスクはかなり大きいが、これも自分で選んだ旅。なんの不満も無い。こちらが、それにあわせて柔軟に対応すれば言いだけの話だ。
さて、明日はまた早起きだ。体も冷えてきた。何故なら、カムイワッカで温まった体が帰りの知床峠の濃霧ですっかり冷え切ってしまったから。この後、熊の湯に入って体を温めてから夕食にしようと思う。おっと、勿論明日の船の上での食事は自分持ちなので、ウトロのコンビニでその用意は済ませてある。抜かりは無い。明日の船長の判断あるのみだ。もしも駄目だったら、そのまままた知床峠を引き返して(羅臼を引き揚げる頃には知床峠を相当速く走れるようになっているかもしれない)、反対側の海岸線に点在する「セセキ・相泊温泉」を梯子するつもりだ。