OIG/OFFO
暑い夏がようやく終わった。
このレポートの原稿を打ち込んでいる現在の季節は、晩秋であるはずだが、つい最近までじっとしていてもジンワリと汗が漂んでくるような日々の毎日が続いていた。
本文中にもあったように、今年の猛暑は以前に東北を巡ったときと似ていて、連日連夜の真夏日に悩まされていた。
北の方に逃げてもその暑さは一向に緩むことなく、自分の体力を少しずつ奪っていった。
ま、天気が良ければそれに越したことはないのだが、新鮮な海産物を安心して食することが難しくなってしまったり、テントの中でマッタリする事が出来なかったり、異常発生した蚊の来襲に苛まれたりと、それなりに問題も発生した。
今年の北海道ツーリングは特別編として、その内容は例年にはない色合いとなったが、中盤から後半にかけては静かな山中でスッキリとリフレッシュすることができたので、結果としては成功したと思う。毎度必ずある大小のアクシデントやトラブルも無く消化することができた。
今回を以て北海道ツーリングの第三ステージは一応の終了である。続いて来年は、いよいよ当ツーリング最終ステージとなるであろう、「道東」 の始まりの年である。
だが、それと入れ替わるように残念な事が周知のとおり関東と道東を結ぶ、我々の重要なフェリー航路「近海郵船フェリー」が旅客業務を廃止するというものだった。当然関東地方から出発する当方にとっては痛手を負ったのは間違いなく、そのアプローチの方法を大きく変更せざるをえなくなってしまった。
しかし、ここは前の年に失敗して成し遂げられなかった事は、その翌年にはどんな手段を行使してでも必ず完遂させるという自分の方針(単なる頑固者)があるので、来年の北海道へのアクセスはまたも往路は新潟~小樽ルートをとるつもりである。
そして、当地に上陸後は一気に東へと走り、オンネトー・阿寒湖・雌阿寒・雄阿寒岳登山、そして根室半島、霧多布と巡る盛り沢山の内容を予定している。唯一心配なのがやはり天候である。今年の冬の長期予報では暖冬の傾向が続くとの発表がつい最近出たばかりである。ここのところの予報は予想に反して、良く当たっているのでその年の夏の天気が非常に気になってくる。
只でさえ、このエリアは真夏の季節でも平均気温が低く快晴の日が少なく、毎日のように小雨がバラついたり濃霧が立ち込めたりする。つまりは、その時間の殆どを野外で過ごすことになる自分にとっては非常に行動しにくい条件がすでに揃っているわけだ。
だから、ここは変に好天を斯特することはやめて、最初から悪天候の中の行動が中心となる、と覚悟していけば、その落胆の度合いも最小限に抑えられるであろう。そして、一日でも晴れの日があれば儲かったと思って喜べばよいのだ。
さて、この原稿を打ち込んでいる間に二度ほどの泊まり掛けのツーリングに出掛けたのだが、二度目のツーリングの日に交通事故に遭遇するというアクシデントに見舞われた。
ツーリングレポート本文中にも何度か登場してくる谷さんが、高速道路で渋滞のすり抜けを敢行しているときに、急な車線変更をしてきた車の横っ腹に突っ込み、単車はフロントを大破、本人は救急車で速ばれるという事態になってしまったのだった。
一時はその様子からかなりヤバイ状態に見え、ヘルメットには大きなキズが有り重大な脳震盪と骨の一本や二本はイってしまい、内蔵もやられてしまっているだろうと思われたが、幸運なことに全身打撲と左膝がエンジンと接触したときの火傷くらいで済んだのこと。
しかも、運ばれた救急病院は9Rに乗る苗村さんの地元で、彼に連絡をしたら開店前にも係わらずスッとんで来てくれたのである。
当然、当日のツーリングの予定は頓挫してしまったので、現地の宿で落ち合うメンバー以外はキャンセルとなった。しかし、本人の容体は思ったよりも軽くその日の夕方にはしっかりと会話出来るまでに回復した。事故直前直後の記憶は途切れたままだったらしいが・・・・。
その後、自分は単独で妙高の燕温泉に泊まる予定があったので自宅には戻らず、苗村さん宅に泊まらせてもらう事にした。その代わりに彼が経営するラーメン屋「波里」の手伝いをすることが交換条件だった。
翌朝、快晴に恵まれての出発となり気分爽快で妙高に向かったのだが、途中の戸隠村で念願の蕎麦を食べようとしたのだが、そこである筈の財布が無くなっているのに気がついたのだった。
その中には前日に払う事になっていた筈のラーメン屋開店祝いの花環代と前日の宿宿治代と今夜の宿宿治代が入っていたのだった!!
まさに、一文なしの状態になってしまったのである。気を取り直して警察や、カード会社に連絡をし、燕温泉の旅館にも事情を説明してなんとか泊めさせてもらった。
そしてそんな状態でもツイていたのが、運転免許証を別に持っていたことと、二枚持っているうちのクレジットカードの片方を別のバッグにしまっておいたことだった。お蔭でガソリンとSAでの食事には困ることがなく、無事に生還する事が出末たのだった。
自分は、過去に三回ほど財布を落としたことがある。いずれも纒まった支出がある日で一枚的大きな金額の現金が入っているそんな時に限って、財布の扱いがお粗末になってしまい(なんでそんなになるのか分からない。それが分かっていれば紛失したりする事はないのだが・・・・)痛い目に会うのだった。
ここで、いい加減に根本的に見直す機会がやって末たのだと自分で確信し、貴重品の保管方法を大きく変更した。これで後は本人の気持ちの持ち方次第である。
前日までは、事故直後の連絡役を買って出たり、お店の手伝いをしたりそれなりにイイコトをしてきたのに、こんな目に遭うとは当然納得がいかない。ということで、はやくも米年の秋全く同じ日に同じメンバー同じルート、同じ宿での「リターンマッチツーリング」を企んでいる。幹事は当然谷さんである。
こんな状態で諦めてしまうのは余りにも悔しい。だからその後の、単独ツーリングも全く同じ妙高の宿に泊まってやるつもりである。今からこんな先の話をしていて、鬼が笑うと人から言われそうだが、そんなのはこっ
ちがしっかりと万全の体制で臨めば全く以て不安はない。逆にこっちから笑い返してやるっての。
取り敢えず、この後は単車乗りにとっては腰が重たくなる冬の季節の始まりである。しかし一端冬が来てしまえば、後は春が到来するのは時間の問題だけとなる。それまでに谷さんの怪我が完治したら、お馴染みのメンバーで快気祝いをしようと考えている。
まあ、とにかく命あっての物種、単車乗りにとっての勲章とは速いカッコいいとかの一時的なものではなく、なんといっても長く乗り続けることが最高の勲章なのである。
一九九九年 十一月四日 自宅にて