○八月十八日
美深森林公園キャンプ場→トムラウシ
夜遅くに何回か叩きつけられるような雨の音に目が覚めたものの、定刻どおりにテントから這いだす事が出来た。天候は晴れ、ラジオの天気予報も今日一日の天気は心配ないと言っている。
朝もやが立ち込める中、ビショビショに濡れたテントとフライシートを、去年までは芝生が生えていた所に突如建てられた間抜けなオブジェの周りに広げた。荷物を纏め相方に積み込んでいる頃に、隣のプータロ君が起きてきた。
「どーすんの?今日、出発するの?」
と聞くと、
「ええ取り敢えず稚内まで行ってみてそれから考えます」
と答えた。
時間の有り余っている人間の答えだ。
テントが乾き相方の暖機も完了した。パッキングを完了し、お別れの挨拶をして出発である。
何となく、秋の気配が感じられる美深の町を通過、この先は道央へと通ずる大動脈、何度も走ってきた道である。しかし、お盆が終わると同時に対向してくるバイクの数は激減する。ましてや、お揃いのジャケットに身を包んだ団体様や、後ろから追いついてくる飛ばし屋君、追いついてしまうノンビリハーレー野郎等は全く見当たらない。
南に下るにじたがって天気は急速に回復。時間と距離の余裕が出来たので一度は目にしたかった「朱鞠内湖」に寄り道。グルリと回り込んで、例の巨大な慰霊碑のある展望台に到着した。しかし、この展望台はすぐそばにある慰霊碑のせいでもあるが、余りにも味気ない。階段のあるただの鉄塔で、そんなところに付き物のコイン式双眼鏡や、イラストで書かれたここが○×山とか、あそこが□△川とかの説明書きもない。むしろ、天気がいいのに全く人けが無く、しんと静まり返っているので異様な雰囲気である。何か胸騒ぎがするので何枚か写真を撮って、相方にそそくさと戻る。スターターを回す時、もしかしたエンジンが掛からないのでは・・・と考えてしまったのは大袈裟か・・・。
「朱鞠内湖」から更に南下、交通量の多いR40と平行するように走るR275は、嘘のように空いている。ゴーストタウンの様な幌加内町から道々四八号線を東へ折れる。
この道、総延長は三十キロ弱あるのだがその間全くといって良い程車に会うことが無かった。お陰で今度はゆっくりと走りながら、ビデオ撮影する事が出来た。
和寒町からR40に合流、旭川の手前の比布町にて、更に東へR39に入った。上川町にて昼。見慣れた層雲峡をパスしそのまま三国峠をノンストップで通過。屈斜路の美幌峠、知床の知床峠と並ぶ、北海道三大横綱峠の一角である「三国峠」はいつも通過する時の天気にツイているせいか、何時走っても最高に気持ちいい。北海道に来ないと、このケタ違いのスケール感は味わうことは出来ない。
ここでも、ガッツ溢れる走りを見せているチャリダー軍団に遭遇した。総勢二十台強の大所帯である、片手で余裕のガッツポーズで挨拶してくるヤツ、車道いっぱいに蛇行しながら登ってくるヤツ、何人かの男に後押しされながら必死の形相でペダルを漕ぐ女の子もいた。エライエライーー峠はもうすぐだ、その後は極上のダウンヒルコースが待っているぞ!
上士幌にて一服したのち、十六キロの直線道のR274を経て、鹿追町に入る。二泊三日分の食料買い出しを済ませ、新得町から一気に北上する。ここまで、殆どの場所から今夜の幕宮地があるトムラウシの山が見えているお蔭で、方向感覚が失われる事は無かった。
新得町から道々七一八号線をひたすら北上、トムラウシまで約五〇キロの道のりが始まった。
信号の全く無いT本道をただ黙って走り続ける。時々、標識が現れ目的地まであと何キロメートルかが確認できたが、なかなか減っていかない気がした。
烏の姿の方が目立つ東大雪湖を通過、間もなくして今回の難関の一つ、十キロのダートロードが始まる入り口にある「曙橋」を通過。速度を十分に落としフル積載の相方と共にダートに突入した。しかし、全体的に道幅が広いせいだろうか、走り出して間もなく体のほうが慣れてきて、ガチガチになっていた肩の力も抜け、スムーズにコーナーをクリアー出来るようになった。やはり、オフ車に乗っていた経験が活かされているのだろうか。
トムラウシのキャンプ場はダートロードのすぐ際にあるだだっ広い敷地にあった。サイトの片隅に二大二張りのテントが見受けられたが、人けはなかった。適当なところにテントを立て、夕食の準備をしていると背後から「こんにちは」の声、振り向くとこんな山奥には余り似合いそうにない小奇麗なオッサンが立っていた。
米を研ぎながら話しを間くと、彼は横浜から一人車(最新型のテラノ)でフェリーに乗り、此処まで南日か掛けて此処まで来たのだと言う。宿代を節約するためにキャンプ場では車中泊を続け、途中の公衆浴場で日頃の垢を落としているのだそうだ、テールゲートを開けると、出てくるわ出てくるわ大量の食材やキャンプ用品の数々。しかし、こんな旅のスタイルになったのはつい最近で、ストーブを初めどれも新品同様であった。おまけに、コールマンのダブルマントルのガソリンランタンを持っているのだが、「操作がうまく行かず一度も使っていない、壊れているかもしれないのでちょっと見てくれるか」と、頼まれたので、オッサンの使っている様子を横からみていたのだが、原因は直ぐに判明した。
ポンピングの時にバルブをちゃんと開けていないままだったので、ポンプレバーがストロークしなかっただけだったのだ。
「面倒なのは重々分かりますけど、山の中で一人で灯が取りたい暗の事を考えて、ちゃんと説明書読んで下さいね」
と言うと、バツが悪そうに苦笑いしていた。
しかし圧巻だったのは、バーベキュー用の鉄板で、使い方を分かりやすく教えてくれたお礼に今夜はオカズを余分に作るから食べていきなさい、と肉と野菜をぶち込んでジュージューとやりだした事だった。(おいおい、あんたこんなの一人で使うもんじゃないヨ)ま、お蔭で夕食代一食分浮いたから、助かりましたけどね。
そして、夕暮れ時になって何台かのクルマと一台のバイク(TW)がやって来た。関西弁で話すそのTWライダーは、ふた言目には「ここには七年前に来た」と物知り気に抜かしやがり、やたらと此処に執着しているようなフリをして、勝手に一人で懐かしがっている素振りが何かと鼻につく。
自分は「こいつとは、波長があわねぇ」と直感し、それ以後は無視することにした。
鉄板オヤジに、キャンプ場から数百メートル下ったところにある国民宿舎にて温泉に入れるという情報を提供してもらった。ノーヘルのまま薄暗いダートを走ってすぐの所にその国民宿舎はある。行きがけにこの建物があることは分かっていたが、改めて見ると最近改装工事を施したようで、とてもモダンな造りになっている。こんな山奥に、よくもまぁこんな立派な宿泊施設を造ったものである。
受け付けにて料金を支払い、浴室に入る。人った最初の印象は
「へぇ~、こりゃ想像していたよりも立派だぞ」
だった。建物の大きさを十分に活かしたその造りは、天井が高く露風呂との境目は全てガラス張り、打たせ湯やサウナもある。まるでホテル並みの豪華さである。露風呂は二つ有りどちらも湯加減は同じで申し分無い。すくそばをトムラウシ山からの清流ユートムラウシ川が流れており、誉蒼とした深山の真っ只中なのにそれを感じさせない程解放感がある。オフもオンも無難に走りこなせる仲間が居たら、ぜひとも紹介してあげたい、それ程の裏切り感を受けた(最近の国民宿舎は、温泉旅館の設備に迫る改装をして収益を上げようとしている所が、目につくようになってきた)
キャンプ場に戻り、鉄板オヤジよけておいてくれたオカズを、自分で炊いたご飯でおいしく頂いた。その後鉄板オヤジは、車のトランクから一個の夕張メロンを取り出し、
「デザートだ。車に揺られて一日たって、だいぶ熟しちゃってるから全部食ってくれ」といって、幾つかに切りわけ我々に振る舞ってくれた。
甘い甘い夕張メロン、ただでさえ夕食の肉野菜炒めで腹パッツンだったが、砂糖菓子のようなメロンは口直しには丁度良かった。オトッツァン、御馳走さまでした!!!