○八月十五日

稚内→礼文島 桃岩荘YH(桃岩荘 櫓祭りを含む動画有り)

ふと目が覚め枕元の携帯を見る。
「・・・・!!」
思いっきり寝坊してしまった。
携帯の目覚ましは既に仕事を終えたようで、アラームの表示が消えている。今日は四時ごろには起きてゆっくりと飯を食って、ターミナルビルに行こうと思っていたのだが、夕べは何故かなかなか寝つけず、二時間か三時開くらいしか寝ていなかったのがいけなかったようだ。
 でも大丈夫、現在時刻は朝の五時、目の前が港、やっぱりじっくりと飯を食って、その後はサクサクとテント撤収、朝一番の礼文島谷深港行きの船に乗船することができた。早朝の船とあって、まあまあ空いている。あとは、眺めのよい席を確保して到着するまで二度寝をするだけだ。しかも、この船は直行便なので午前中の早い時間には島についてしまう。今年の隠岐島のフェリーのような無駄な時間を船上で過ごすこともない。
 朝の九時頃、定刻どおり船は香深港に接岸した。天気は快晴、しかし本土より幾分気温が下がった程度にしか感じられないほど、ここも暑い。
 以前、ここを訪れた谷さんの話によると、夏の開でも道北の島は二十度を上回る事は殆ど無いそうなのだが、どうやら今年は道う意昧での異常気象なのかもしれない。
 YHにチェックインするまでの半日開か、この島で唯一自分に与えられた自由時間。まず、ターミナルビル前にある土産物量で幾つかのウニがらみのお土産を選び、宅配便で送ってもらうようにした。つぎに、島内の詳しい観光名所をチェックしてどのルートから回っていけば効率が良いかを算段した。
 おおよそのルートが決定したところで(とはいっても、道らしい道は東側の道々しかないのだが)、出航の汽笛が聞こえてきたのでフェリーの所に戻ってみた。
 すると・・・いたいた・・・。船の船尾に近いところの岸壁に三十人程の人だかりがあり、何やら大声で歌を歌いながら踊っている。船上は鈴なりの人だかりが出来ており、皆その踊り狂っている連中を見ている。去年、隣の利尻島でもYHのヘルパー連がこれと似たようなことをしていたが、ここはその比ではない。なにせ、奴らのテンションの高さは一体どこから来るのか、と思えるほどの異常さ。ハッキリ言って浮いていることは間違いない。自分はそのグループから十錨程雛れて見ていたが、そこから分かることはグループの先頭の列の五~六人はどうやらその風体からしてヘルパーのようだ。それ以外は常連の泊まり客なのだろう。しかし、旅人同士のどこかよそよそしい素振りはI切なく、まるで親友を見送るかのように一心不乱になって飛び跳ねだり、グルグル回ったりしている。
 奴らはそんな事を、船が港を出て見えなくなるまでやめようとはしなかった。
  「やっぱり、こいつら・・・おかしい。俺はこんな奴らと二晩共に過ごさなければならないのか・・・・・?」
 時間がたつにつれ、周囲の気温がグングン上昇してくるのが分かる。沿道に常に見え隠れする日本海は南国の海を思わせるような透明度だ。

隠岐島で見た日本海も素晴らしいものがあったが、ここはそれ以上である。なにせ単車で走っていても海のなかの昆布が揺らいでいるのが見えるのだから・・・
 宗谷岬よりも遥かに北の雰囲気があるスコトン岬、

キャンプするなら迷わずここでしたいと思った透海岬、ウニ密漁の後が生々しかった金田ノ岬を巡り、島南端のシレトコでUターン。

途中の海岸沿いの道で利尻島の眺めがとてもよかった所があったので、相方から一端降りて写真を撮っていた。すると、後ろから
「写真撮ってあげますよ」
と女の子の声。


振り向くと、少し日に焼けたエプロン姿の女の子がトコトコとやってきた。(ルックスはなかなか良い、北国の女の子独特の色白ではないのが今年の夏の特微か)自分のカメラは周知のとおりフルマニュアルなので、設定をきっちり合わせてからお言葉に甘えて一枚シャッターを押してもらった。そして、カメラを渡す際にその子から
「キャンプですか?」
「ええ、この荷物の見てのとおり】
「よかったら、うち民宿やってるんて泊まりませんか?」
と言われた。しかし、桃岩荘に泊まることにしているのでと話すと、
「あぁ、あそこに泊まられるんですかぁ。ても、うちはゴハンが美味しいですよ」
ときた。さすが地元、桃岩のメシはマズイことで旅人のおいたでは悪評サクサクだという事を知っている。
彼女はそこを突いてきた訳だ。しかし、今回の旅の目的の一つにある桃岩荘の取材はどうしても外せないので、ここは丁重にお断りした。
「そうですか。じゃまたの機会に是非泊まって下さいよ。家の民宿は〔なぎさ〕と言って、私はみどりって言いますんで、覚えておいてくださいね!じゃ、お気をつけて!!」
 走り出して、な~んか自分はとんてもない勿体ない事をしたような、申し訳ないような事をした気がして、暫くのおいたは複雑な心境から抜け出世なかった。桃岩荘の近くを通りすぎて、大型観光バスがひっきりなしに来襲する元地にて本土の半額のウニ丼を昼飯とした。

 一息ついたところで数百錨雛れた所にある桃岩・猫岩展望台にやって来た。ぐるりと見渡すと、展望台から延びる道の終点に怪しさ満点の木造の建物が視界に入った。

あれが例の桃岩荘だということが分かるまでに、そう時間はかからなかった。その手前にある広場では、櫓が組まれていて、なにやら準備をしている。ここで、なにか催物があるのだろうか、でかい音で演歌が流れている。島のしかもその僻地でのこの光景は、自治会や町内会の主催での盆踊り大会ではないのは明らかだ。
島のなかを一通り周り、時間も少々余ったので港に戻り、どこか涼しいところで昼寝をしよう、と考えつき場所を探していたら先程の連中を見つけた。
 本日二番目の船が着いてそこから降りてきた泊まり客をピックアップしている所たった。
ざっと見たところで十五人ほどいる、彼らは暫くの間ヘルパー遠の説明かなんかを聞いたあと、二台のワゴンに乗せられて走り去って行った、車が走り出す前に「発射、オーラーイーー!!!!!」と全員で叫んで。
 暫くウトウトッとしたあと、ふと相方の荷物に目をやると、ツーリングネットに挟み込んでおいたグローブの片方が無くなっているのに気がついた。時計を見るとそろそろチェックインの時間である。いきなりここで余裕がなくなった、勿論この島の何処かでグローブを落としたことは間違いない。
いい加減、狭い島のなかをチョコチョコと走り回ってきたので、少し疲れてきている。最初はもう諦めてキャンプの時に使っている拾い物のグローブ(第十六回 ツーリングレポート参照)で当面はやり過ごそうとも考えた。しかし、貿ってから六年以上もツーリングを共にしているあのグローブは、未だに穴一つ、ほつれ一つ出さずにもってくれている。両手の分かいっぺんに無くなったのなら、まだいいが(よくないですけど)残った片方が使えないからといって、捨てるのはもっと気分が悪い。よって、今日回ったところをもう一度捜索してみて、それても見つけられなかったらキッパリと諦めよう。そう決めて、相方と共に走り出した。
 シレトコ・元治・桃岩展望台・透海岬・金田ノ岬と、一通り廻って締めかけていたその時、久須湖からスコトン岬に向かう途中の道路で、路上にぺタンコになっているゴムの固まりを見つけた。


ブレーキフルロック、砂の浮いた路上でのアクセルターンをしてゴムの固まりのところに戻り、拾い上げる。何度か車に踏みつけられたのだろう、原型は殆ど無い。
しかし、そこにははっきりと【Kawasak】の文字が。広げてみるとまさに無くなっていた左手のグローブだった。
 見知らぬ土地での落とし物、これは本当に不安である。じつは、数年前に東北を旅しているときに、テントを落としておおわらわになった事があった。その時も数キロの道を引き返して見つけたのだが、見つかったときの身体中の力が抜けていく感覚、その後に沸き上がってくるような歓喜の感覚は強烈なものだった。今、自分は道のど真ん中でガッツポースをとり

「よっしゃーーーー!!!!」と思わず叫んでいた。
 その後のYHへの違のりは弾む気持ちと安堵の気持ちが自分を急かさせ、隠岐島に引き続き、この時間帯に島のなかで最も遠く移動している車両となった、と思う。
 午後四時半ごろ、展望台前の恐怖の深砂利の急坂をズルズルと下り、途中YHのスコンと擦れ違う際によろけ、あわや転倒となりそうなところをどうにか踏ん張り、桃岩荘YHに到着。
 玄関前に相方を停めて、中に入る。建物のなかは薄暗くやけに広い。最初に出てきたヘルパーに事情を話し宿泊の手続きと建物のなかをサッと説明してもらう。
 その間、周囲は既に到着した泊まり客が、上へ下へとバタバタと走り回っていて騒々しい。事前にここの内情を調べてみた時に、
「ここにいる間は、自分の時間が持てない事を覚悟せよ」
とあった。そう、ここでは普通の感覚の時間ではない。チエックインした直後から、三十分早く時が進んでいるので、それに合わせて行動しなければならない。洗濯・風呂・飯、等。特にここ二・三日はお盆の時季と重なって、宿のなかには今現在百人以上の人がいると言う。その様子を二百で形容するならば、「蜂の巣をつついた」と言うのが適当だろう。
 キャンプ用の荷物は、混雑しているので屋内には置けない、との事で五十似程離れたところにある駐絵場の隅に置かせてもらうことにした。だが、深い砂利の上を大荷物を乗せたキャリーを引きずるのは重労働だった。ヒーコラと坂道を登っていく途中で、八時間コースから帰ってきたグループと擦れ違った。「戻ったよ~~~!!!」と全員で叫びながら宿へ向かっていく。振り返ると、宿の屋根の上にヘルパーが仁王立ちになり、ダミ声で

「おーかーえーりーなーさーい、パパヤ♪おーかーえーりーなーさーいーパパヤ♪」

と歌いながら、大漁旗を振り回している。そんな、非日常的な風景が繰り広げられる横を通り、空荷になった相方を駐輪場にしまい、建物の中に入った。
 ヘルパーに教えられた自分のベッドの番号は十二番、その場所は、建物のなかで一番賑やかな「囲炉裏の間」の吹き抜け二階、一周出来る廊下(ここのヘルパーが説明をする際、

「この廊下の周りにあるベッドのことを我々は回転ベッドと呼んでいます。てもベッドが回転するわけではありませんよおおおお!!!」

と抜かしていたが、これでも笑かすつもりだったのだろうか?自分の後にやって来た、野郎学生二人組は爆笑していたのが余計に不気味だった)の壁沿いに五十人は楽に収容できるであろう二股ベッドがビッシリと配置されている、その廊下には二箇所の階段かおり、自分の寝泊まりする十二番ベッドは、下駄箱のすぐ脇の階段を登りきった目の前の壁際の下段であった。この場所は見た感じ結構使い勝手は良さそうである。まず、下段なので荷物にすぐ手が届く、そして広げっぱなしにしても邪魔にならない。
早速、周囲にロープを張り巡らし、洗濯物を千す。明日の為の用意をしたり、洗っていない洗濯物を、人でごった返しているコインランドリーで洗濯機に放り込み、勝手に片づけられないように見張っていたり、網戸がない窓を全開にしているせいで、様々な蛾が天井を飛び交っている食堂で、タメシを食いながら(味のほうは、想像していたよりもマシであった。所謂、昔ながらのYHのメシ、といった感じで不味くはない。最近の泊まり客の味覚が変にグルメ化しているだけではないのか?)、時々風呂場を覗く。
しかし、泊まり客の大半がむさ苦しい野郎ばかりだからだろうか、いつ見に行っても脱衣龍は満員で、脱衣所の中はこれまたむさ苦しい野郎どもが、ひしめき合っている。たまに空いているように見えて、風呂場の中を見ると、三~四人程がキツキツで入れるようなクソ狭い湯船と腰掛けも何もない洗い場には、むさ苦しい野郎どもがイモとなって洗われている。
 タ食と洗濯が片づいてしまい、する事がなくなってしまった。しかし、風呂場は一向に空くことがなく、ムリヤリ人ってしまった時も、脱衣所の床に敷いてあるタオルはグチョグチョ、洗い場の床は石鹸の泡だらけ、排水口はチン毛が詰まって流れが悪くなっている(最悪だ)、しかも湯船は循環されていないただの湯溜まりなので、先客が落としていったチン毛と垢でおぞましい状態になっている(結局、自分はこの宿にいるあいだ、湯船に浸かることはしなかった)。
不潔極まりない状態だ!
 こんな事なら、香深の町中にある銭湯に行っておけばよかった、と後悔してももう遅かった。狭い洗い場で、後ろを通る野郎のケツが背中に触るたびにゾッとしたり、勢いのないシャワーにイライラしたり、排水口の流れが悪いせいで洗い場の床は石鹸の泡とチン毛が一面に漂っている、と一歩間違えればクレームになりそうな状況の中、それにトドメをさす事が起きた。
 自分のすぐ脇にある排水口がついに音を上げてしまい、流れなくなってしまったのだ。
ゴボゴボゴボッと音を立てて、チン毛と垢の塊を伴った(食事中の朗読厳禁)泡がこちらに追ってくる、自分は顛を洗っている時だったので、周りの視界がはっきりしない。他の場所に避難しようとしても、全部塞がっている。仕方ないので、立ち上がったままなるべく高いところに移動して、なんとかやり過ごそうとした。
 そこに、隣で体をあらっていた奴が
「あ~あ、また詰まっちゃったよ」
と言って素手で排水口に手を突っ込み、その汚物の塊を鷲掴みにして(食事中の朗読厳禁)、ゴミ箱に捨ててしまったのである!!!!!
 当然、排水口は元気良くお湯を排水し、洗い場はもとの平静を取り戻した。しかしその素手で汚物を鷲掴みにした青年の顔と、どっちの手でやったのかをしっかりと自分はチェックするのを忘れはしなかった。
 風呂から上がり、本当にやっと一息つけた頃には宿の中には、自分以外にはほんの数入しか人がいなくなっていた。外から中に向かって
「さぁ~~~~!皆さん!外の特別会場で櫓祭りが始まってますよおおおお~!!!早く行かないとビールが無くなっちゃうよおおお~!!!」
と、ヘルパーが怒鳴っている。そうか、昼間見たあの櫓はやっぱりここの物だったのだ。
 ここのYHは、お盆のおいたはミーティングに特別形式を取り入れてイベントを数日間に渡って開催するらしい。今日はそのメインイベントである櫓祭りの日らしい。
 さて、いよいよデジタルビデオカメラの出番である。バッテリーの状態を点検し、テープを装填して出発。辺りはトップリと日が暮れ、すぐ近くの海の波の音だけが聞こえる。
しかし、少し歩くと、小高い丘の上にこうこうと明かりが灯された櫓が見え、その上でアメヤ横町の魚屋バリのダミ声で歌を歌っている何人かのヘルパーの姿が見えた。
 会場に到着すると、こんなに沢山の人間が宿のなかにいたのか?と疑ってしまう程の人間たちが、櫓の周りをグルリと取り囲んで歌を歌っている。その中心の櫓には四~五人のヘルパーが喉から内蔵が飛び出さんばかりの大声で歌を歌い、そのうちの一人はフォークギターを掻き鳴らしている。
 カメラを回しながら集団の横を通り抜け、会場の隅にある出店にたどり着いたそして
「ビールをくれ」
といったが売店のヘルパーは首を横に振るだけで歌をやめようとしない、もう一度

[ビールをひとつ、くれ!]

とゼスチャーを交えて言うと、
「今歌の最中だから後で」
と言われた。
カッチーーーンである。
「もう、ええわ」
と言い捨ててその場を離れた。
ビールーつ頼むのに、歌待ちとはなんとまあ人をなめきったもんである。こっちは歌とは何の関係もなく、ただYHでおおっぴらにアルコールが飲めるというだけで頼んでいるだけなのに、しかもここでの飲み物や食べ物は別料金になっているのにてある。
 むかついているのは、宿に到着してからずっとなので、これ以上怒りのボルテージをあげても馬鹿馬鹿しいので、デジタルビデオカメラのスイッチを入れ、この会場の様子を撮影する事に専念した。
 歌っている歌は、今から二十土二十年前に流行ったものばかりで、ここに来ている客の殆どは
「お前、知ってんのかよ?!」
と言ってしまいたくなるような若者ばかり。しかし、こいつらは何処で覚えて来たのか知らないが、澱みなく唱和しているのは、なんだか不自然な風景である。そして、ガッチャマンのテーマから始まる桃岩荘名物の「フルコース」はそれこそ、バカユースの真骨頂といった感じの踊りと歌のオンパレード。この様子を撮影しながら
「こりゃ、はいれねぇな一無理だわ俺には」
と思わず呟いてしまった。それ程の異様な風景である。
次に、歌が一段落すると勝ち残った人開か景品を手にできるというジャンケン大会に始まり、ケンケン相撲、桃岩荘カルトクイズ等々に、泊まり客達はまるでバカ大学生の大学祭感覚で真剣に参加していた。その様子を二時間強に渡って撮影を敢行したあと、容赦なく襲いかかってくる蚊と、眼前に繰り広げられる光景に飽きてきたので、宿に引き揚げることにした。
 外でのお祭りがお開きとなり、泊まり客とヘルパーが大挙して戻ってきた。途端に静かたった建物のなかは再び蜂の巣状態になった。泊まり客の殆どはベッドに戻ることなく中央の「囲炉裏の間」で車座になって、雑談したり住所の交換をしたりしていた。全員が祭りのあとでテンションが上がったままなのかなんだか知らないが、大声で喋っているので煩くってしょうがない、まるでピークアワーの居酒屋にいるようだ。その向こう側から
「これから食堂で八時間コースの説明会を行います。明日参加する人は集まって下さ~い」
と、ヘルパーのダミ声が聞こえてきた。
 食堂に集まった人数は総勢二十人強、グループは桃チームとアホチーム」の二つに分けられ、自分は「桃チーム」に入った。なぜかグループ名を決める際、「アホチーム」に人気が集まり人数が偏ってしまい、何人かが「アホ」から引き抜かれ「桃」に移された。(もしかして、彼らは「アホ」というネーミングに何か魅力でも感じたのだろうか?)一通りの説明が終わり、べッドに引き揚げる。
 消灯の時刻になった。ヘルパーが次々と近くの灯を勝手に消していく、自分も手元の灯を落とした。しかし、時刻は十時を過ぎて間もない。旅が始まってまだキャンプモードの睡眠サイクルになっていない為か、なかなか寝つけない。外に出て一服、と思ったが時折ヘルパーが巡回しているようで、難癖をつけられたくないので我慢することにした。
 ここのベッドも、近江八幡と同じに汗くさい。前にここで寝た奴は相当の汗っかきだったのだろうか?これがキャンプだったら全然平気なのだが・・・

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