○八月十四日

苫小牧F/P→稚内港北 防波堤ドーム

 飯の時間にムクッと起き出してはフラフラと食堂に向かい、用が済むとデッキに出て煙草の一服をし、ベッドに戻って寝てしまうという、いつもの船内での行動パターンを何度か繰り返して、予定通りにフェリーは早朝の苫小牧港に接岸した。
 ことしは、旅の記録媒体に新兵器を導入した。デジタルビデオカメラである。その購入の動機は、今年のツーリングレポートの表題にもある通り「特別編」として行動予定を組んでいるのだ。そのメインステージは明日渡島する日本最北の人が住む島・花の浮島とも呼ばれている「礼文島】の桃岩荘YHに宿泊する事になっているからである。
 このYHは北海道を旅する者で知らない人はいないという有名な宿で、自分も渡道してからこの宿に泊まったという人に何人も遭遇した。その話を聞くにつけ、これは一度自分の目で確かめる必要が十分にあると確信し、その際の記録をスチル写真では臨場感を充分に伝えられないと思われるので、ここで前々から計画していたデジタルビデオカメラ購入を決断したのである。
 型遅れの展示品を現品引き取りで、という条件でかなり値引いてはもらったがそれでも十万円は軽く越す金額だった。だが、あの桃岩荘にはそこまでしても記録を残すほどの価値は有る、と自分は踏んだのである。
 別にYHマニアでもない自分が、何故北海道に渡って礼文鳥に上陸してYHに泊まるなどという行動に出たのか・・・それは、一年前にツーリング仲間の谷さんたちと福島の方へ一泊ツーリングに出掛け、その夜の宿で桃岩荘の話で異様に盛り上がった時があった。
しかし・・・、その仲間うちのなかで桃岩荘に泊まり、その実態を目撃したものは誰もおらず、話の内容は飽くまでも憶測と想像、そしてロコミで伝わってきた噂ばかりであった。
 さて、いい加減その桃岩荘とはどんな宿なのか?ここで予習も予て紹介しておかねばなるまい。しかし詳しく説明するとなるととんでもない長文になってしまうので、出来るだけ簡潔に纒めてみた。

 桃・所在地は北海道の礼文鳥。その南西部にある集落、元地という所にある
 桃・建物は元々地元の漁師の諌番屋として使われていたのをYHに改装した
 桃・YHとしての創業は今から三十年前に逆上る
 桃・その三十年の間、このYHだけは時流に流されることなく、ある伝統を守っている
 桃・YHにつきもののミーティングを現在でも欠かさず毎晩行っている
 桃・北海道三バカユースの一角を拒う条件がそのミーティングの内容にある
 桃・建物の中で大声で歌を歌い、躍り狂う。それを全員で半強制的に行う
 桃・泊まり客の殆どがリピーターで一週間とか十日間、平気で泊まっていく
 桃・ここの宿だけ時計の針が進めてある、その理由は不明
 桃・日本標準時より三十分進めてあるそれを彼らは、桃岩時間と呼んでいる
 桃・起床の際、建物の中に大音響で流れる音楽は北原ミレイの「石狩挽歌」
 桃・「歌と踊りのユースホステル」・・・これがこの宿の核心たる伝統である
 桃・過去に泊まった事のある人の意見は「最高・最悪」の真っ二つに別れる
 桃・この宿の雰囲気に完全に染まりそのまま社会復帰出来なくなった人も多数いる


 さて前記の通り、我々単車乗りの興味をそそるには余りにも出来すぎた宿である。
 しかし、一歩間違えれば怪しげな新興宗教か老舗の自己啓発セミナーの究極型、ともとられるYHに自分が身を投じてその実態を確かめてみよう、と考えるものは推Ⅰ人おらず
 「行ってはみたいけど・・・ちょっとね・・・」
と二の足を踏んでしまうのが大体の結論だった。
 「あっそ、じゃあ俺が行って確かめてくるよ。なんだったらビデオにでも撮って、編集したらみんなに見せてあげるよ。百聞はI見にしかず、だからね」と自分が切り出した。
 本来ならば、我が悪友たちは□を揃えていつものように

「よかった!、是非行ってみてください。止めはしませんから。もし、帰ってこないつもりだったらビデオだけ送ってくださいよ」
と悪意をこめて激励されるのだが、この時ばかりは違った。
「Tavitoさん。悪いことは言わない、やめたほうがいい。」
と、真剣に會められたのだ。
「大丈夫でしょ、取って食われる訳じゃなし。帰ってきてからの話のネタにはもってこいでしょうが」
と、すでに自分は帰ってきてからの事も考えて言った。

場所は戻って北海道。日本海オロロンラインを走っている。
 上陸した苫小牧は曇り空で肌寒く、気温は二三度。

もう秋が来てしまったのか?
 しかし、またまた、またしても苫前近辺から天気は急速に回復。毎度ここを通過するたびに思うのだが、本当に晴天率の高いところである。
 近年、急速に見直されている風力発電の風車が海岸沿いの丘に幾つも林立している。はて、去年まではこんなのは無かったはずである。風光明媚な日本海ルートも少しずつ変わってきているようだ。
 そして、ビデオカメラを入手したら一度やってみたかった、走行中の風景をカメラを持って撮影する。これも、交通量と信号交差点のほとんど無い北海道だから成せる技である。面白いのは、対向車線からやって来る単車乗りが、自分に向かって通り過ぎざまに手を上げて挨拶をするのは、良くある光景なのだが、この時ばかりは、挙げた相手の手にカメラが構えられているのを見てか、挙げかけた手がそのまま固まっているライダーが半数を占めていた。
 確かに、ビデオを回しながらツーリングをしている奴など、広い北海道とはいえかなり珍しいのかもしれない。
 今日の目的地、稚内ドームには昼過ぎに到着してしまった。
 気温は、ここが日本最北の町なのか?と思ってしまうほどの高さ。周囲の空気が綺麗なためもあるだろうが、日差しがきつい。ひなたに一時もじっとしていられない、途中から袖を捲くり上げてきた両腕は早くも二段階目の色素沈着を始めている。(今年の日差しの強さを考えて、北海道ツーリングの前に何回か日帰りで腕を焼いておいたのが正解だったようだ)
 本当は、サロベツあたりで昼飯にしようか、と考えていたのだが、そこのレストハウスのあまりの混雑ぶりに入り口にも入らずUターン。次の町で食堂でも探そうか、とオロロンラインを北上したら、町らしき町に差しかかることもなく稚内に着いてしまった、という訳だ。
 ま、早く着いたぶんには問題ないので、去年と同じように駐車場門番のニィチャンに一言断ってドームの先端付近の静かなところに幕営した。そう、この時期はドームの中で「いいべや~ わっかない」というお祭りを開いているのだ。
 荷物をおおかた片づけて、去年二食目のウニ丼を頂いた食堂にて昼飯を食べた。その時、食堂のテレビでは某国営放送の歌番組が映っていた。その中でアナウンサーが次の歌手と曲を紹介するのを耳にして、自分は思わず味噌汁を吹き出しそうになった。
―-次は北原 ミレイさんで「石狩挽歌」です。どうぞ!!
 なんという、偶然だろうか。この、あまりのタイミングの良さに自分は嫌な予感がしてならなかった。
 今日の目的地に到着した所で何人かの友人に電話連絡した後、稚内温泉、ビールとツマミと朝飯の買い出し、テントでごろ寝・・・となり、夜が更けた。