○八月十三日

午前七時 お馴染み新潟フェリー埠頭

距離も時間も分かっているので、慌てず騒がずマイペースで関越を走ること五時間、フェリー埠頭駐車場に我々はスルスルと滑り込んだ。
  「別に無理して来んでもよろしい。」と電話口で言ったのに、奴はやって来た。
 その奴とは、自分が辞めた会社の後輩で、自分亡き後班長の片腕となって工場で働いていたが、やはりその激務に耐えきれず先月を以て退職したいわば新米のプータローである。
かれの実家が新潟なので、朝六時頃に起きてわざわざ見送りにきてくれたのである。
 まぁプータローの身だからこの後帰ってからまた寝ればいいのだろうけど。
  「オジサンのバイク、すぐ分かりましたよ。あんなに大荷物乗せてあんなに古いバイク乗ってんのあなたしかいないから」彼は後輩のくせに自分の事をオジサン呼ばわりする、これは同じ職場に居たころからである。これも一緒に辛酸を凪めてきた仲だからであるし、自分自身信頼のおける後輩には礼儀作法は甘くなるものなのだ。
 相変わらず待たせる乗船手続の列に並ぶこと四十分、その間後輩と久しぶりに会った事と、これから北海道に渡るという高揚感もあってか、ベラベラと喋りまくっていた。
 手続きが終わって外に出てみるとなんとまぁ土砂降りである。地面に置いておいたヘルメットが水浸しになっている。後ろの荷物は予めカバーをしておいたので全く問題は無かったが、夏の新潟で本降りにあったのはこれが初めてである。ここ最近信越地方の悪天候がニュースで頻繁に伝えられていたが、この余波が北海道まで波及するのは時間の問題だろう。となれば去年と全く同じ気圧配置となって道北は晴れ、それ以外はいま一つの天気となるかもしれない。
 ひっきりなしに人が出入りするターミナルビルの玄関口に雨宿りをする場所があったので、ふたりして座り込みまたもお喋りである。本日十三日はお盆の帰省ラッシュとしては、ひとつのピークの日となっているらしく途中の間越もここもその人込みは凄いものがあった。今まではそれよりも少し早い六~八日には出発していたので、もうすこし空いていたのだが・・・・・・
 後輩との馬鹿話で適当に時間も潰れ、乗船の時聞か来た。彼は暫く実家でのんびりしてから浦安のアパートに戻り失業保険の手続きと大型一種の運転免許とスノーボードのスクールに通うつもりらしい、その割には「いや~やることないですねI」という言葉が会話が途切れる度に出てくる。
 別れ際に自分は彼にこう伝えた、「お前は俺よりも若いのだから、今直ぐに仕事探しなんかしないで暫くゆっくりと羽を伸ばすといい。部屋に閉じこもってプレステなんかやってないでもっと外で遊べ、どうせなら一人で海外旅行もするといい、絶対に見聞が広がるから。キャンプもうまくいけばこんなに面白いものはないし、宿代も浮く。プータローで有るかぎりは日本一周も世界一周も可能なはずだ」
「それ、あんたの事を真似してるだけじゃないのI
 彼はあまり、遊びに関しては熱くならないようである。相方に火を入れタラップを登る降りやまない雨のなか、傘も差さずに見送ってくれた後輩五十嵐氏に感謝、お土産を楽しみにな~。
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 今回は、この混雑もあってか二等寝台の予約がとれず二等ザコ寝部屋となってしまったが、あの人ゴミを考えたらまず安眠は保証されない。それは、翌日の移動に支障をきたし事故を招くことになる。
 そこで、車両甲板に相方を留め、荷物を下ろしたあと一目散に案内所に走り二等寝台当日キャンセル待ちの申し込みをする。雨のなかカッパも着ずに乗船指示待ちをしていたので、上半身と太股はじっとりと雨に濡れ、おまけに船内の冷房に冷やされて不快このうえない。
 キャンセル待ちの申し込みをしたあと案内所のネーチャンに「ではお早めに二等寝台が一杯になってしまった時の為に今のうちに二等室のご自分の場所を確保しておいてください。」と言われ、ザコ寝部屋を覗いてみたが直ぐに部屋を出て船尾にあるラウンジに走った。
つまり既に難民船の様相を呈していたのである。
ラウンジにはまだ一人か二人しか人がおらず、自分は両手に抱えていた荷物を長いソファーの隅っこに纏め、キャンセルからあぶれたらここで寝る決心をした。
 やがて船は岸壁を離れ出港した。早速キャンセル待ちの呼び出しが始まった。その間じっとしていると寝てしまいそうなので、二等寝台の空き具合を確かめるべく偵察に出掛けることにした。
ぐるりと廻って見たところ十~十五席ほどの空きを確認、さて果して自分は何番目なのだろうか。特等室が埋まり、一等室が埋まり・・待つこと一時間半、ソブルレに座って意識が半分遠のきはしめたころ、ようやく自分の名前が呼ばれベッドを確保、なかには今になって当日キャンセル待ちが有る事に気づいて案内所に駆け込んでくる人もいた。
 二等寝台のキャンセル待ちはどうやら自分が最後だったようで、自分のベッドがある部屋の8つのうち埋まったのは二つだけであった。これはついてるとばかりに抱えていた荷物を向かいのベッドにしまい、濡れた衣服やグローブなどをそこら中にぶらさげた。
 ラフな恰好になり、乗船前に仕入れておいた弁当を平らげ、一息つく。体が少し冷えていたので風呂に入りたかったが、大混雑しているようなのでまずは起きるまで寝てしまうことにした。
 時刻は正午を過ぎようとしていた。