○八月十日

交通事故に遭遇。あわやツーリング即座中止の危機


午前 四時 晴れ

天気は晴れ、朝日がとても眩しい。他のキャンパーが朝食の支度を始めている横を、再び荷物を満載にしたZIが通り過ぎて行く。静かな一日の始まりである。
 キャンプ場を出だのは午前六時、目指す『十勝岳』までは七十キロ足らずなので、食料買い出しやらキャンプ場確保を含めても、午前八時前にはアタックが開始出来る筈だ。
 行き交う車のない国道227を北上する、占冠村に入り、金山峠を越える。ワインディングを駆け抜け、直線道路が続く。しかしスピードは抑え気味で走る、ヤツラは早朝だろうが夜中だろうが天気が良ければ必ず道路で罠を仕掛けているからだ。下金山町に差し掛かった辺りで、国道と根室本線が交差する眺めのよい跨線橋に相方を止め、たまにはローカル線の写真でも擾ったろかと考え、暫しカメラを取り出して待つ事数分した時であった。
ここは北の下金山と南の金山の中間地点にある場所で、丁度その国道は橋の所で二本の直線をシケインで結ぶ形になっている。つまり、橋の両側はカーブになっている訳だ。そこを一台のクルマがタイヤをけたたましく鳴らして走ってくる、車は対向車線,音につられて見るとテールがスラィドしている「なんじゃ?早朝から元気な奴もいるもんだ」と呆れて見ていたが、すぐにそれは攻めて走っているのではないと直感した。
 そのクルマは、そのままアウトに膨らんで左側(車の)の土手に落ちるかと思いきやグリップが突如戻り、対向車線を突っ切って真っ直ぐこちらに向かって来るではないか!
 そいつはそのまま自分の横十メートルの欄干に斜め前からぶつかり、そのまま止まらずにこっちにフロントを擦り付けながら、凄まじいスピードで迫ってきた。
「うっそだろ・・・・・・」
一瞬体が凍りついたが、とっさに目の前の欄干を飛び越え、両手だけでぶらさがったのだ。そこは十m下で線路である。車は欄干の向こう側をガリガリと大きな音を立て、いろんな部品を地面にバラ蒔きながら通り過ぎる、そして橋の真ん中で二~三回スピンしてやがて止まった。
「助かった・・・・ほっとした直後、自分は大変な事に気がついた。相方は無事だろうか?欄干を畢じ登り相方に駆け寄る。幸いな事にテールレンズとキャリヤーの車軸が少し曲がっただけで、他にダメージを受けた所はなかった。相方は車と接触した際にスタンドと反対方向に押された為、欄干に寄り掛かる形(この時相方は、右側車線を逆の方向を向いて止まっていた)で止まってくれていた。だが、これもリヤシートの巨大な荷物がクッションの約をしてくれたので、キズーつついてはいなかった。かくいう自分は欄干を飛び越えた際に軽く脛を擦り剥いた程度、あと一つタイミングが遅かったら命の保証はなかっただろう。

 一方、クルマの人の方は、二人共シートベルトをしていたようで無傷だった。

助手席に座っていた女性が血相をかえて、飛び出して来た。
「大丈夫ですか!!!」
声が震えている。自分よりも相手の方が洛かに動揺しているようなので。
「大丈夫、大丈夫」と答える。彼女は「うわあああ・・・よかったぁあああ・・・」その場にへたり込んでしまった。相手の車は橋の欄干に激しく激突した衝撃でフロントバンパーが吹っ飛び、ラジエーターの水が池のように道路に広がっている。
プ~ンと軽油独特の臭いが辺りに立ち込める、スピンした乗用車はディーゼル車のようだ。とりあえず速攻で火災の心配はないので車に歩み寄る。
ドライバーの兄ちゃんは「すみません、すみません・・・・」と何回も小さな声で言いながら、ガックリとその場に立ち尽くした。
しかし車が横を向いて道路を塞いでしまっているのでこのままでは不味いと思い、二人に
「あんたたち両方とも径我がないのなら、なんとかして車をどかして下さい。自分は近くに電話があったら警察に電話しますから(この頃はまだ携帯電話は持っていなかった)」と言い残して相方を立て直し、二人を残して走り出す。
一軒目の家は玄関の鍵が掛かっていないのに留守、そして二軒目でなんとか人に会うことが出来た。ところが奇遇な事にその家の主はこの町で交通安全の指導をしているとの事。
事情を話すと、その人は直ぐに近くの交番に連絡をとり、車で現場に向かってくれた、勿論自分もその後を追う。スピンした車は、白のディーゼルクラウンハードトップ、型式はLSだろう。自分か通報する為にその場を離れた後、多少は自走出来たようで路肩に寄せられていた。車のカップルは警察が到着するまでの間、盛んに自分と相方のダメージを気づかってくれたが、あの大事故に巻き込まれた割には、殆ど無傷だったのが何に代えても幸運だったので、名前も住所も関かずに相方と共に旅を続きを開始した。・・・・・まぁ一つ不満を言わせて貰えば、あの瞬間を誰かがビデオで撮ってくれたら、ジャッキー・チェンの映画に出演も夢ではなかったかもしれない、という事位か?

気を取り直して北上を始める、これでかれこれ二時間ロスしてしまった事になる。富良野市に入ると町じゅうにツーリングライダーを目にする事が出来た。富良野駅のまえにある広場の芝生にテントを張っている輩が何人もいた。ドラマのロケとラベンダーの町には余り興味が湧かないので、町外れの雑貨屋で食料買い出しをし、一路『十勝岳」に向かう。
天気は最高!
『十勝岳」は活火山なので山頂にはいつもガスがたなびいている。山の中腹の吹上温泉キャンプ場はそのベースキャンプ地として、恰好の位置にある。昨日一夜を明かしたラィダー達と入れ替わるようにして、テントを立て、溜まった洗濯物を千す。剌すような日差しと乾燥した涼しい風が麗から吹き上げてくる(同じ山の上でも羊蹄山とは随分と違うもんだ)。
四メートルー杯のロープに下げられた洗濯物も、半日で乾いてしまうだろう。多めの水と食料を持って早速アタック開始。厳しい気象条件と頻繁に発生する火山性ガスの為か、5合目から上は草木一本生えていない。登山を始める前に管理人から何回も、火山ガスには注意するようにと言われた。しかも、この山で仕事をする人達は皆ガスマスク持参で入山するそうだ。
時刻もあまり早くないので、何回も途中で引き返そうかと思ったが、何人かの登山者と話をしているうちに、皆、頂上を目指しているというので、自分も負けじと山道を登り始めた。
足場は滑りやすく極めて登りにくいが、見通しがよく休める場所もそれなりに有るので、しんどくはない。登山道の途中で大きな勤物の足跡を発見し、冷汗がでる。脛まで潜ってしまうような深い砂が積もった道を登って行くと、辺りは真っ白になった。この高さは丁度、雲がぶつかるのだろう。帽子を持ってこなかった自分の頭は瞬く間にビショビショになった。
霧はどんどん濃く、自分の歩いている尾根道以外は上下左右全て真っ白、道端の石にぺイントされている目印を見失ったら、聞違いなく遭難するだろう。季節は今夏の真っ盛、ふと横を見るとここは改めて標高二千メートルの山であるという事を思い知らせくれるように谷底には沢山の万年雪が残っている。そして、また昼近いというのに濃霧の為に薄暗く時間の感覚がない。もしかしたら、あの白いガスの向こうにヒグマが居るかもしれないという恐怖の念が周りの空気を支配している。


生き物の声一つしない白の静寂の中、時折熊避けの鈴の音がチリンチリンと聞こえてくる。ほんの一瞬だが霧が晴れると巨大な積乱雲が眼前に現れ、自分がえらく高い所に来てしまっている事を改めて実感させられる(この時の感覚は本当に不思議である)。なだらかな道が暫く続き、少し楽になった。幻のように鈴の音と共に下山してくる人が現れ、お互いに挨拶をする。この先の道を間くと、最後の三〇メートルの登りが一番キツイという。でももうすぐだ・・・・,暫くして平坦な道が終わり、あの『岩木山」の登りを思い出させるような大岩が現れた。しかしそこから見えるはずの頂上は次から次へとぶつかってくる雲に遮られ、確認する事はできなかった。


「あの雲の上で終わりだ・・・・、あの雲の上が・・・・」一つ一つ確実に岩を下へ押しやる。確実に空気が薄くなっているのに気付く、スタミナも底をついたようだ。這いずるようにして最後の岩の上に立つ。
『十勝岳 標高 二〇七七米』


風は冷たいしかし其以外なんの音もしない。霧が晴れ三六〇度の絶景が展開する。空は青色ではなくむしろ藍色に近い、殆どの雲が自分の目の前に居る。そう、航空機にのって雲の上に飛び出した瞬間のあの光景だ。
 暫し忘我の境地に陥る。下から荒い息づかいと鈴の音が聞こえてきた。途中の避難小屋で追い抜いた、旭川から来た二人組である。頂上で少しの間世間話をしたり持参してきた食料を分けっこしたりして、下山は三人同時に始めたが、二人とも速く、あっという間に引き離されてしまった。やはり、体力任せの登りとは違って、いい靴と安全なルートを早く見極めて進む下りは思いっ切り経験の差が出てしまう。 何回かコケながら、どうにかこうにか登山口まで辿り着いた。
 帰りの道は行きとは異なるルートにした、何故なら吹上温泉のキャンプ場裏からの道は川を渡ったり、腰の商さまで密生した熊笹を漕いだりして歩かなければならず、現時点ではそんな気力は残っていなかったからだ。だから、多くの人がやって来る『望岳台』から道道に出てキャンプ場までの数キロを歩いて帰るつもりだった。
 バイクや車が出入りする駐車場に着くと、ホーンを鳴らすデリカが一台。あの二人組だ。「ここから吹上キャンプ場まではけっこう遠いし、君のその感じからしてとても歩いていくのはしんどいから一緒に乗っていきな!」正に渡りに船である。旅の恥は掻き捨てここは素直にご厚意に甘えることにした。
 ほんの数分でキャンプ場に到着、何度もお礼を言ったが余りにも疲労困懲していた為、住所も名前も間かずに別れてしまった。う~ん残念!

日没ギリギリにキャンプ場に無事帰還し慌ただしかった北海道四日目もようやく終わろうとしていた・・・・・と思いきや。
が、そのままでは終わらなかったのである。
 キャンプ場には午前中に来た時とは打って変わって、賑やかであった。しかし一つ気付いたのは、大きなファミリーキャンパーのテントはなく、その殆どがソロライダー達の小さなテントばかりだったという事だ。
 完全に日没する前に、食器をバッグから引っ張り出し、相方に駆け寄ってガソリンをストーブに補充する、傍目から見たら何を慌ててやってんだろかと思われるだろうが、楽しい食事は段取り八分と考えているからだ。
 空きっ腹に流し込むようにディナーを終え、やっと一服,辺りはすっかり暗闇に包まれた。すぐ隣では十人程のグループがかなりのハイテンションで盛り上がっている。その話の内容を聞いていると、メンバー全員がソロライダーのようだ。グループとしての集まりではないのは、その.一人一人の話し方がそれぞれ違うからだ。京都弁、東北弁、鹿児島弁などバラエティに富んでいる。いつもなら、只の煩い集団として無視を決め込む自分であったが、ソロライダーの集まりなら、たまにはその斡に加わってもいいかな・・・と考えそのグループに歩み寄って行く。
 丁度彼らは手元のランタンを消して、星空を眺めてはお喋りしているところであって、その表情は全く伺い知れない。
「すみませんが、この覆面座談会に自分も混ぜてもらえませんかね」
と言うと一瞬黙ってしまった彼らが
「どうぞどうぞ」と四方八方から答えが返ってきた。
その後は何処から来て、どうゆうルートを走ってきて、ここまでに何かあったかをこ垣り話し終えた後、全員一致で近くの露天風呂に行く事になった。この時、自分はキャンプ場の周りの森が風でざわめいているのを聴いて、「この後大風が吹くかもしれない」と言ったのだが誰も耳を貸そうとしなかった。
 吹上温泉の露天風呂は旭川市内でも相当有名らしく、市内のホテルや旅館に泊まっている客でも、車を飛ばしてわざわざ山のうえのこの温泉までやって来る程である。
また、最近オンエアされた『北の国から』のロケで雪の中、官沢りえがこの風呂に入ったことで、更に知名度が上がったとも聞いた。
 ゾロゾロと暗闇の中を10数人ほどの野郎共が山道を歩いてゆく、歩いて五分程の所で駐車場が現れそこから砂利道を数十メートル下って行くと風呂があって・・・。という辺見便利そうに見えるが、人工的な明かりは一切なし。だから、自前のヘッドライトか懐中電灯がないと、足元の岩につまづいて痛い思いをする。まぁ、野趣味満点といった所か・・・・・。
 先客が持ってきたランタンでほのかに岩風呂が暗闇に浮かび上がると、そこはまるでイモ洗い状態であった。何人かがあがって隙聞か空くのを見計らって湯船の中に滑り込む。
実は、夕食を食べる前にもここに一回人ったのだが、完全露天のくせにここの湯温は夜になってもまだかなり高く、山登りで日焼けした腕はカラシを塗ったようにヒリヒリする。ソロライダーグループが全員湯に浸かったところで、早速そのうちの一人が若い女の声のするほうヘケツ丸だしで泳いで行く。その先に居た旭川の看護学校から来たというギャルニ人組をとっつかまえて、我々の斡の中に引きずり込んできただけでなく、とうとうキャンプ場まで連れて来てしまった。多少のぼせ気味になって、帰ってきたキャンプ場は案の定大風が吹きまくっていた。
その強さは丁度、深い気圧の谷が上空を通過している時位だろうか。安い華奢なテントを立てていた連中の殆どは、フライシートを聞けっ放しにしていたか、風に対するロープワークを全くしていなかったので、ポールが変形してテントが潰れてしまっているとか、ペグが抜けてしまってひっくり返っている等のダメージを受けていた。
かく言う自分のテントは平地用ながらしっかりと対策を講じておいたので、少々たわんではいるものの何の手出しも無用の状態であった。だから・・・という訳でもないが、いくつかのテントの復旧作業を手伝う羽目になった。
 いくつかのテントを立て直して、グループの音頭を取っていたメンバーのテントに行くと、先程のギャルニ人組がテントの中にいて、その周りをヤロー共が取り囲んでいた。しかし手前味噌ではあるが、話の内容を全員から一通り聞いたが、ボヤを起こしたり(4年前近畿ツーリング)、夜中キャンプ場が見つからず山中を俳諧した(去年道南ツーリング)、金縛りにあった(今年山陰ツーリング)、車に銚ねられそうになった(今日)、とバラエティの多さでは自分は群を抜いていたと思う。(後から気がついたのだが、自分がこのグルーフの中で一番ツーリングのキャリアが長かった)。自分ちツーリングライダーの中堅位にはなったのだなあ・・・と実感してしまった。まぁメンバーの殆どは学生だったみたいだし『ZI』と聞いて分かる奴は居たか居ないか・・・・。
それはそれとして自分のツーリングキャリアの中では珍しいとも言える楽しい楽しい雑談会がお開きになったのは、夜の二時半、はたして翌日は真面に起きられるのだろうか。まぁ、明日は移動だけでその距離も微々たるものだし、あまり気にしないでシュラフに潜り込んだ。

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