○ 八月十七日 色々あった北海道も今日で最終日
午前八時   ポロピナイキャンプ場~カルルス~室蘭フェリー埠頭

直ぐ横で宴会をし、挙句の果てには花火まで始めやがったアホグループの御陰で寝不足気味のまま朝を迎えた。天気は快晴である、恐らく北海道上陸以来最高の行楽日和だろう。
 皮肉にも今日で今年の蝦夷地からはお別れである、今日の予定は高速艇のトッチャンと旭川から来た軽自動車の兄チャンのお勤めであった『樽前山」に登る、帰り道の途中で登別・カルルス温泉を通過するのでひとっ風呂あびて室蘭に向かうつもりだ。ここ二日間の晴天ですっかり乾いてくれた洗濯物を取り込み、テントの回りを綺麗に掃除する。サイトの中央部に当たる広場はすっかり何もなくなっていた、離れた木立の片隅に幾つかのテントが立っているだけである。夏休みが短い北海道、子供の姿が急になくなったのはそのせいだろうか。大きな荷物は殆どパッキング終了、山登りと風呂の用意をして相方に火を入れる。夕べのキツネ達がみているかもしれないと思い、後ろの森を見る。もちろんその姿は見えなかった。
 ポロピナイから『樽前山」の登山道までは十分程で辿りついた。噂通り舗装はすぐ途絶え、ダートとなる。しかし、車で簡単にアプローチ出来る山とあって路面はこちこちに踏み固められている。これなら『ZI』でもハンドルに力を入れずに済むのだが、途中に残土処理所があるらしく、ひっきりなしに大型ダンプと擦れ遠うのが怖い。何故ならコチコチダートとはいえ路肩は蒲鉾状に傾斜しておりフロントがズルッとくるのである。五キロ程の道の終点に駐車場があり、仕切りのオッサンの指示に従い片隅に停める。登山考名簿に記名しアタックを開始。
 蝦夷セミが異常発生し鳴きまくっている林の中をほんの少し歩いただけで視界が開けた。そこから先はひたすら急な登り、タイプ的には『駒ケ岳』だろうか。外輪山の尾根まで見えるので目標を定めて登る事が出来る、だから休むきっかけも扇みやすいし今自分かどこらへんに居るのかがおおよそ把握出来る。
 自宅にある山の写真集に載っていた『樽前山」の写真は遠くからではあったが、とても特異に形をしている。もっとはっきりとしたものを見たいと思い、色々なガイドブックを物色したがどれIつとして写真は掲載されておらず、しかも一昨日の悪天候のせいで近くまで歩いたのだが全く山頂が見えなかったので、今日が本邦初公開とあいなる訳である。 緩やかでフラットな斜面で歩きやすい登山道、三〇分程で外輪山の頂上に到達した。そして、自分はその前方に広がる光景に言葉を失った。まるで、別世界である。
その戦慄は去年の恐山の宇曾利山潮を前にした時と同じであった。草木一本生えていない外輪山と甲子園球場が軽く三つは入るであろう広さのカルデラと、まるで巨大なおこしをそのままカルデラの真ん中に誰かが置いていったような溶岩ドームがそこあった。溶岩ドームのあちこちから火山ガスがシュウシュウと音をたて、噴き出している音も聞こえる、ここからI~ニキロは軽く離れているのにだ。

そして卵の腐ったような臭い。周囲をとりかこむ穏やかな稜線を描く外輪山とはあまりにも対照的なその物体は、なにか内部に生き物がいるのではないかと思わせる程の異様をさらしている。『樽前山』は活火山である、故に大噴火が目前でもし今起きたら生きては返ってこられないだろう。
 溶岩ドームを横目にみながら尾根を歩く、周囲に遮るものが全くないので時折吹きつけてくる強風が怖い。体がオットットと持っていかれる程の強さだからである、緩やかなアップダウンを繰り返して頂上とされる『東ピーク』に到着。
ぐるりと周りを見渡す、 『支笏湖了恵庭岳・羊蹄山」が今日ははっきりと見える。キャンパー場からいつも正面に見えていた『風不死岳」も手をのばせば触れる程に見える。後ろを見やれば剥蒼とした森林に囲まれて『苫小牧市』が見える、それ以外は全て森である。如何に北海道は緑が多いがを実感させられる光景だった。はっきり言って、苫労して『恵庭岳』に登るよりはこの山に登った方が数倍楽しいと思う。
三日前に通った道路を引き返す、『美笛峠』はどちら側も晴天であった。登別温泉に向かう途中にオロフレ峠がある、時間はまだまだタップリと余っているので立ち寄って見る事にした。しかし、ただ単に寒いだけでとくに感動はなく驚いたといえばこの季節で売店の中でストーブが焚かれていた事位か。
 今回の北海道ツーリング最後の温泉は閑静な雰囲気のカルルス温泉となった。
しかし、ライダー達は賑やかな登別を嫌ってここに来るのだろうか、それぞれの旅館に多数のキャンプ道具を満載したバイクが停まっていた。駐車場が広い一軒の旅館でお風呂を与かる事にした。浴場はやたらと広く、プールのような浴槽が六つほどあり(どれも同じ泉質だった)またどれも湯温か高く、小さい子供は入るのを相当躊躇っていた。気に入った浴槽でジトーッと浸かる、大きなな明かり取りの窓から明るい太陽光がサンサンと差して来る、峠越えで冷えた体が芯から温まったのを確かめてあがる。少し、頭がクラクラする当たったのだろうか?まあいいこの先また走って体を風に晒せば元に戻るだろう。玄関の外に出るとガラガラたった駐車場にバイクが万杯となっている、どうやら混雑の時間帯に入ったのだろうか、ついてるついてる・・・・・・。

 さっぱりした所でやはり登別の温泉街に立ち寄ってしまう。さすがにクマ牧場はパスする事にした、その奥のクッタラ湖を見るのが本命だったからだ。途中に眼下に地獄谷を見下ろせる所があった、

まあ箱根の大湧谷を見た自分からすればそれ程の迫力はなかった。白分ちいっぱしに目が肥えてきてしまったのだろうか? 深い山のなかに突如、深い青の瞳のようなクッタラ湖が現れた。水が冷たそうである、湖畔には小さなレストハウスがあり小さなキャンプ場もある。ここら辺はキツネがよく出没するという(どこでも見掛けたが)、売店や大きな駐車場がないのでむしろ裏寂しい雰囲気さえ漂っている、すぐ山の向こうに登別の喧騒があるだけにそれが際立って感じられる。
夕方近くで賑やかになる時間帯だが、もう秋の気配が近づいている。張られているテントはIつか二つしかない、静かそのものである。ピークの時期でもこれだけ静かであれば、内地から室蘭に到着したらまずここにキャンプしたいものである。
 さて、そろそろ室蘭に向かうとするか。大陽がすこしオレンジ色に変わり始めたのを見て相方とともに山を降りR36に入った。真っ直ぐななんのストレスも感じさせない道、先頭を走る時はネズミ取りに注意しながら走る。こうゆう時に限ってつまらない事で捕まってしまうケースが多々あるからだ。


 巨大な煙突が立ち並ぶ室蘭は北海進一の工業地帯である事は、小学校の社会の授業で教わった。大型タンカーが道路のすぐ側まで寄ってきて停泊している姿も幾つも見掛けた、船がいるという事はフェリー埠頭まであと少しという事である。もう本当に終わりなのか。こうゆう時の気持ちはなんともいえない物がある、でも帰る所があるのだから我々は旅に出ているのだろう。
 さて、来年はニセコを起点に道央を走るつもりである。天気が、天気がとにかく良くあってほしい、他に望ものはない!

IG/OFF
 ああ、やっと終わった。ツーリングレポート作成である。
 去年(九五年)は会社の資格試験の講習が続き、休みの日も勉強に費やしていたのでレポートを下書きする眼がなかった。 五月連休のレポートもおかげて年末の休みを利用して辺刄に打ち込んだ、だが夏休みのレポートは流石に年を越してしまったわけだ。とにかくハイペースで作成したので文章に時々辻棲が合わない所があったりして、いままでのツーレポに比べて粗削りな出来具合となっていると思う。ましてや、下書きなしで自分の記憶だけを頼りにやっているのでその
疲労もいままで異常である。
 さて、レポートの話はこれでお終い。去年をざっと振り返ってみる。
 まだ二七年しか人生を送っていないが、自分の記憶する限りでは社会的に最悪の年であった。
 特に五月連休では、二月の兵庫県南部地震、そしてオウム関連の事件で関西方面はその話題で麗の町はもちきりになっていた。高速道路のPAからゴミ箱が消え、大阪から出港するフェリーのダイヤは大幅に乱れた。昼飯で入った定食屋のオバチャンからもその話題を話し掛けられ、テントの中で関くラジオからの話題もそればかり、これでは気分もいやおうなしに落ち込んでしまう。
 なんか、日本の町中の空気そのものが重くなっていたと感じている。
 そして、夏は関東以西は去年に引き続いての猛暑が連日連夜続き、東北から北海道は冷夏となった。涼しい所を求めて自分と相方は走っているが、雨まで降ってくれとは頼んでいない。キャンプをする人間にとって最悪の天気は雨だからである、夏山登りする人間にとって最悪の天気が濃霧だからである。
 新しい年を迎えて十二日がたった今日レポートが無事完成し、後はこれが印刷されるのを待つだけである。そしてそれが終わったと同時に今年の春こ夏のツーリングのプランを立てなくてはならない。そして二月になったら具体的なフェリーや宿の予約を始めなければならない。
 自分と相方にオフシーズンはない。北海道から稲毛に到着した時点から次のシーズンがスタートしているのである。

総走行距離 一七七六キロメートル
日程 平成七年 八月八日~一八日 全十一日間
総費用 約 七万円
トラブル 相方は無し


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