10.28

久し振りの出撃

空が高い。
ぱっとしない夏が終わり、いつのまにか秋になってしまった。
で、涼しくなってきたらこの年中行事の話が仲間内で持ち上がる。
「遠征」である。
去年は、助産婦9R氏の幹事により、宮城県は宮古の「フカヒレ三昧編」を行った。
そのときの相方は弐号機のG/Sだった。しかしハイパワーのリッター車についていくのは正に至難の業。ただひたすら自分のペースを崩さずに峠のワインディングをひたすらやり過ごすだけに終始してしまった。G/Sはツーリングする為に買ったバイクである。しかし元からのキャラが他のバイクとは余りにも違う。単独で淡々と長距離を長時間掛けて、道亡き道を突き進んでいくバイクだ。グループでつるんで、バリバリとバンクしながら突っ走るものではない。と言う事で今回は本当に久し振りにZ1に出撃して貰う事になった。今回の幹事は単気筒使いのTGさんだ。愛機SRX-6はエンジン修理のために入院。サブマシンのSRVでの出撃である。舞台は箱根~伊豆半島を周遊し、海産物を喰らうというもの。これまでのツーリングとはやや趣を異にしたバトルと言うよりはグルメツーリングの様相を呈している。参加メンバーは以下の通り

  • TG氏 メインマシンはSRX-6、しかし今回は急遽SRVで参加。今遠征の代表幹事を務める。
    N氏 お馴染み助産婦9Rである。 相変わらず切れた走りは30を越えても変りそうにない。転職により長いこと暮らしてきた埼玉を出て名古屋に引っ越した、今回のツーリングはその門出を祝うのも兼ねていたらしい。
    M氏 長野に住む子持ちのZRX-1100R乗り。長い手足を駆使してキチガイじみたバンク角で曲がっていくコーナリングは9RN氏すらも舌を巻く。小生と同じ音楽志向を持ち、HR/HMの話題になると留まらなくなる。
    S氏 久し振りの新メンバー N氏の職場の後輩らしい。N氏に誘われて初雪で銀世界になった万座へバイクで走ったと言うツワモノである。この時点でN氏はこの遠征メンバーに同行させても問題ないだろうと判断したらしい(なんちゅう判断だ)
    SRV氏 新規メンバー。バイク暦もまだまだ若い、実年齢もかなり若いというS氏の友人として連れてこられた。たった一泊のツーリングなのに、山のような荷物をもって来たところがなんとも初心者っぽくて、微笑ましかった。
    Tavito 本ツーレポの著者。納車歴12年を超え車齢34年Z1オーナー。

第一集合場所 保土ヶ谷PA

朝の7時に集合。俺は前日までにとりあえず万が一寝坊した時の事を考えて、殆どの荷物をパッキングしておいたので、当日の朝にバタバタするということは無かった。
約束の時間15分前には現場に到着し、一人口の周りをケチャップだらけにしながらホットドッグをほお張り、メンバーが集まってくるのを待った。
まずTG氏が、到着。しかしその後新規メンバーが時間になっても姿を現さない。
しかも悪い事に新規メンバーはあくまでも9RN氏のつながりであって、しかも幹事のTG氏はその二人のメアドや電番すらも聞いていなかったという。
つまりは連絡しようにも出来ない、N氏を経由してでないと無理な訳だ。
でも、こういう時ヤロウだけの集まりはあまり気にしないで済むからいい。一人でも♀が混じっていると「事故ったのでは?」とか「弁当作ってて遅れたんではないか?」などと余計な心配をする可能性があるからだ。ヤロウであれば、置いて行って「後から着いて来い」と言えばどうにか来てしまう物だ。もう数十分しても姿を現さなければそのまま出発しようかとTG氏とは話をしていた。

その刹那。ふとパーキングの反対側にめをやると2台のバイクが停まっている。
一台はSRXもう一台はSRV。ビッグスクーターばかりが目に付く昨今、このような渋好みのバイクではいやでも目立つ。TG氏と共に歩み寄って傍に居たオーナーに話し掛けると案の定、本人達だった。向こうもこちらの様子をそれとなく伺っていたらしく、行こうかどうか迷っていたらしい。てか、時間が過ぎてるんなら迷ってる場合じゃないでしょ。全員が無事に集合したと言う事で早速出発。
次の集合場所箱根峠へ向けて。

 

第二集合場所 道の駅 箱根峠

横浜新道から藤沢BPを経由して、西湘BPを西へと走る定番のコース。
バイクが多い、常識はずれなスピードで飛ばしているのを多く見かけたが、ここでは無茶をしないのが賢いやり方だ。なにせ休日の晴れの日、直線道路で海沿いを走る。
飛ばしたくなるのがバイク乗りの心理って物である。そこを狙っているのが税金泥棒の権化、K察である。ツーリング先で事故を起こしたりK察に捕まるほど気分が悪いものは無い。はしゃぐのは山の中に入ってからだ。天気は申し分なく、雨男が勢ぞろいしている今回のツーリングだが、最近はあまり雨に祟られることが少なくなってきた。年齢のせいか日ごろの行いがいいのか。


途中の西湘パーキングにて小休止。やはり天気のいい日はここで停まるものだ。
バイク人口がすっかり減ってしまったという話を聞いてからだいぶ経っているが、ここに限ってはどうやらそうでもないらしい。
しかもオレの忌むべき存在のビクスクが殆ど居ないのがいい。つまりは無駄に騒音を撒き散らすDQNが居ないと言う事にもなる。多くの人が集って思い思いの息抜きをしているが、おもったほど騒々しくなかったのが何よりもその証拠だ。9時にあわせて、西湘PAを出発。そこから先は現在工事中の早坂出口箱根湯元駅周辺の渋滞をやりすごし、箱根旧道へと回避。
一号線の渋滞を嫌って侵入してくる一般車をかわしながら、芦ノ湖へと抜け9時ジャストには名古屋・長野組と合流する道の駅 箱根峠に到着。
気温が少し下がったくらいで全く問題の無い天気だ。
やがて少し遅れて残りの2台がやってきた。ZRX-1100RのM氏と、9RのN氏。
名古屋、今朝は相当に冷え込んだらしく最低気温が4度。長野はいうまでもなく氷点下だったらしい。さすが。M氏は何処に居ても自然の洗礼を受けられるから羨ましいような羨ましくないような。

快適ぶっ飛ばしの伊豆スカ

全く尋常じゃない。異常そのものだ。
ご新規さんの2台が居ると言うのに、全くのお構いなしに9RとZRX、それにつられるようにしてSRVもピッタリ追走してゆく。ていうかね、なんでリッタークラスのバイクに250のVツインが影のように付いて行けるのよ。幾ら乗り手が腕に覚えのあるからって、それはないでしょ。
一方オレとZはもう、魂の抜けたようにチンタラ走る。とにかくバンク出来ないのだ。
何故なら。タイヤのミゾが全然ないから。あの6年前の全国を渡り歩いた「長旅」で履いていたタイヤを未だに交換していないのである。
いや、アローマックスのコンパウンドは固いと言うことは充分に分かっていたから、ミゾのチェックなんぞは殆どしていなかったのだ。
「長旅」から帰ってきたときにはまだ半分以上山があるものだと思っていた。それがいつのまにか・・・・.
スリップサインは出まくり、中心部は言うに及ばず、通常範囲内でバンクすれば接地する部分はことごとく山がなくなっていた。正直ここまで減っている事に全く気がつかなかった。それほどまでに近日の相方壱号機とオレとの係わりが希薄になってきていたのだ。
「Tavitoさん!こんなので走っちゃダメだよ、危なすぎるよ!」
周囲のメンバーに言われてようやく、踏ん切りがついた。
「よし、帰ったら足回り交換をしよう」
そう、Z1を納車した当初からずっと暖めつづけてきたZ1モディファイ計画の最終段階にあたる「足回り刷新」に着手する決断を下したのだった。
考えてみれば、今のアローマックスを履き潰したらやろうと思っていた計画だった、しかしこのタイヤがいつまでたっても磨り減る様子が無かったので、すっかり忘れていたのだ。

所々の分岐点で小休止を繰り返しながら、伊豆スカを満喫。やはりあとはこの道路が無料化してくれれば言う事無しなのだが、ETCすらもない地方の有料道路ゆえそれはまだまだ先の話か。どうしても磐梯吾妻スカイライン同様に料金所でストップするのが非常にわずらわしい。
若干の暑ささえ感じるようなほどに素晴らしい天気の下、半島の中央部から東部の海岸へと降り、誰しもが走る事を渋る国道に出た。
そこから暫く車の流れに沿って南下し本日のランチポイントである下田市をめざすのだが、相変わらずここのルートR135は渋滞が多い。
特に連休中のこの時間帯はどうにもならない。途中途中のドライブインやレストランがある場所では、脇道からの車店から出てきた車、駐車場へ入ろうとする車で交通の流れが何度も堰き止められる。その度に後ろには大名行列のような渋滞があっという間に出来上がる。
その度にガクッと落ちる車の流れにペースを狂わされたり、狭い路側帯を走ったり、対向する車をかわしながら渋滞の列の先頭に出たりの繰り返し、疲れるしなにしろこの陽気である、皆早起きして家を出てきているから眠くないはずが無い。
とにかく稲取を抜けない限りは車の数は減らないのでとにかく耐えるしかない。これだったら最後まで半島の中央部を走って直接下田市に出るルートを選べばよかったか。
しかし、いつになくこのメンバーにしては小休止が少なくその時間も短かったので、ちょうど昼時には下田市に着く事が出来た。
問題はそこからだ。


今日の目玉の一つである「寿司」を食べるのだが、その寿司屋を探さねばならない。店は既に決めている、その店とはあの「寿司竹」だ。
覚えている人が居るかどうかは分からないが、前回の伊豆遠征の時にもオレがここにバイク仲間を引き連れて来た事がある。今回で三回目の訪問だ。しかしうっかりしてこの店の場所を記した地図を忘れてきてしまい、どこにあるかどうかは既に2年以上の時間が経ってしまっているので、なんとなくしか分からない。
こうなったら、長年のツーリングで培った方向勘に頼るしかない。
あの店のあった場所の周囲の風景を必死に思い返しながら、狭い街中へと入ってゆく。
そして一個目の四つ角を左へ、もう一つの角を左に曲がりふと目を上げると目の前に見覚えのある看板が揚がっていたのである。
「あれだ!あれあれ!」
思わずオレは声をあげた。
適当にしかし何となくの感覚に頼りながら、そして迷っている風を悟られないように走ろうと思い、繁華街の中に入って直ぐ、目指す「寿司竹」の看板が目に入ったのだ。まるで、目に見えない力に導かれたかのように。当然周囲の仲間達からは「さすがTavitoさん、すげぇじゃん!よく憶えてたねぇ!」
「知らない町で地図を見ないで店を見つけ出すなんてなかなか出来ないよ」
当のオレはこのまぐれ当たりに当惑してしまっていたほどだ。まさか適当に曲がって顔を上げたところに店があるなんて、全く予想していなかったからだ。
とにもかくにも、無事に到着。知らない町で路頭に迷うという失態も犯さずに済んだ。
さっそく店の中に入る。今日は比較的空いているようだ。前回お店に来た時には満席だった記憶がある。やはりこの寿司屋は評判が良いのだ。俺の目に狂いは無かった。
その後はお決まりのコースで、大将に握ってもらう。
大将は俺たちの事を忘れていたようだが「前回来たときにはこういう話をしていましたね」などと、本人にしか分からないような事を言うと、流石に思い出したようでたいそう有り難がっていた。まぁ2年も間を開けたら忘れるのも無理は無いか。
そしていざ、盛り合わせやら握りが出てきて、メンバーの箸が動き始めると、会話は一気に途絶える。
「どうよ?どうなのよ?
おれはメンバーに感想を求める。見ると同一もこいつもニヤニヤしている。
本当に美味い物を食っている時は口数が減るものだ。そして一様に笑顔になる。
やがて「エヘ・・・・へへへへへへへ」わらっとるわらっとる。そう、ここの寿司を食うとみな笑うのだ。
余りにも美味くて。おれはツーリングの話が出て、ここのお店を紹介した時にあらかじめメンバーに断っておいた事がある。


「食った時の反応はな、多分笑うぞ」
今、正にその光景が目の前にある。そして一番最後に出された「穴子」でピークを迎える。
「うわ-------はは!!!!」
そら笑うしかないだろうな。あれが美味しくないなどと言うヤツは、舌の感覚がどうかしてるとしか思えない。
今回もこのお店を紹介した事でオレの役目は終ったといえる。

お馴染み石廊崎へ

すっかり胃袋が満足した所で、このまま宿に行ってしまっては時間が早すぎるので、またまたお約束の石廊崎へと今度は移動。
前回はあまり芳しくない天気だったが、今日はちょっとでも歩くと汗ばむほどの陽気、正直バイクを置いて岬まで行くべきか悩んだ。
しかし、「ここまで折角来たんだから行くしかないでしょ」とN氏はかなりのやる気。ズンズンと一人で歩き出した。
そうなれば他のメンバーも付いて行くしかない、今回の幹事はTGさんの筈なのだが大人しく前に出て何かをするという事をあまりしない人なので、こういう所ではニコニコしながら皆と一緒に歩き出した。
オレは気が進まなかったが、やはりあの断崖絶壁からの眺めは何度見ても素晴らしい。
やはりついて行く事にした。

今年の秋は中々秋らしくない。
石廊崎までの道を歩いているだけで汗ばんでくる。10月も下旬になっているというのにこの暑さは一体なんなのか。
だがいい天気なのは申し分ない。寒かろうが暑かろうが、雨さえ降っていなければどうにでもなる。
やはりバイク乗りにとってお天道様は最大の味方なのだ。
帰りの道のりに若干の不安を抱えながら、またまたやってきた石廊崎。
濃厚な潮の香りが鼻をつく、断崖絶壁の上から見下ろす太平洋は静かだ。一体ここには何度足を運んだ事だろうか。
だがいつも一緒にいるのは、野郎ばっかかお袋くらいだ。いずれはオネイチャンを連れて来てこの壮大なランドスケープを見せてあげたいものだ。
岬展望台の近くにある神社にておみくじを引く話がここで持ち上がった。
「どっちが良い運勢か掛けるか!」とN氏がおれに挑みかかってきた。ということでさっそく、御神籤バトルが開催された。


「うぬぬ・・・・・(汗」とおれ。
「むーん・・・・(青筋」とN氏。
眉間に皺を寄せて真剣になって、箱のなかから御神籤を一つずつ選び出す。そして、その場で開けずに展望台の先端にある祠の前にて広げ、それぞれが声を大にして御神籤に書かれた御言葉を音読する。
「おお!オレは中吉だぞ!」とオレ。


「おれ・・・末吉かよ・・・」とN氏。どうやら低レベルでの御神籤運勢争いはオレに軍配が上がったようだ。

てっぽうの宿到着

さて、石廊崎での一服も終わり、宿に移動する事となったのだが、この時期の日没はまさに「つるべ落とし」、松崎をすぎて内陸方面への国道に入った頃にはすっかり真っ暗になってしまった。
天気も昼間は申し分なかったのに、宿に着く直前になった辺りでポツポツとヘルメットに雨粒が当たり始め、「やはりこのメンツでは雨が降るのか!」と思ったがどうにか宿に到着。
宿へのチェックインが夕食時を過ぎていたので、迎えに来た宿の主人はたいそう心配していたらしい。


「もう夕食どうしてくれんのかと思ってたよ!」とは奥さんの弁。
ご主人曰く予約した時に幹事であるTG氏の携帯電話番号を間違って聞き取ってしまい、全く電話が繋がらなかったということも判明。
そりゃぁしんぱいするわな、ましてや相手は70近くの老夫婦、聞き間違いのありえないメールでのやりとりだったらそういうことはなかっただろうけど、彼らには無理な話だ。
宿の中は、昭和の始めの雰囲気をそこここにかもし出している。
というか、それ以前の時代から建っていたのではないかという程の年季が入っている。廃墟好きで古民家にも最近興味を持つようになってきた自分にとっては、久方ぶりのヒットだったと思った。
何処に座ればいいのか分からなくなるほどに広い部屋に通されまずは、既に用意され客人である我々の到着を待っていた夕食を、着替えもままならない状態で頂く事にな

った。


最近の「遠征」はそれまでのとにかく走って走ってヘロヘロになるまで走りまくって、宿では温泉に漬かり、とりあえず腹に入る物だけを食べられれば良いという趣向だったのだが、今はだいぶ色合いが違ってきている。距離を走るのは今までとさほど変わらない、しかし宿での食事は贅沢化の一途を辿っている気がする。一昨年の「フカヒレ」といい、昼食べた寿司三昧といい、今夜の宿の夕食は海産物を中心とした家庭料理の豪華版といった感じ。
やはり参加者の平均年齢が上がってきているせいか、食べ物に拘る人間が増えてきたのが影響しているのかもしれない。腹の具合が落ち着いたところで風呂タイム。

あまり夜更かしする事無く、早い就寝となった。見渡せば新規メンバー以外は全員30代半ばを過ぎた。仕事疲れも抜けぬままここまで走ってきたせいでそれなりに疲れている。
今までは明け方まで話している事も多多有ったが、今はそれも厳しい。やはり年を感じずにはいられなかった。

この投稿の関連画像はこちら。Tavito撮影

この投稿の関連画像はこちら。TG氏撮影。