8.29
怒涛の勢いでチェックアウト
熟睡した。
アルコールも飲まず、ベッドにもぐりこんだ瞬間に記憶が無くなったので、よほど疲れていてのだろう。おそらく盛大にイビキもかいていたに違いない。しかし苦情を気にする必要は無かった。故に泥のように眠っていたに違いない。そして、蔵王の朝である。目を覚まして窓の外を眺めると、目も眩むような朝日が目に飛び込んできた。よっしゃ、晴れてる!今回の単独遠征の3日間は天気に見放されなかったようだ。
今日はマジメに予定をこなそうと考えていた。朝食は階下の宴会場でビュッフェスタイルで用意されているので、急ぐ必要は無い。食べたい食材が無くなっても、直ぐに補充されるからだ。だが山登りに時間を割きたかったので、まずはまとめられる荷物はあらかじめまとめ、朝飯をさっさと片付けた。その足で大浴場へ朝風呂を済ませてしまう。それらに要する時間は1時間少々位だったと思う、ソロ行動でなければここまでソソクサと動き回ることはまず不可能だろう。チェックアウトをさっさと済ませ、荷物を抱えて玄関の外に転がり出た。
相方を見ると雨に降られたかのようにビッショリ濡れている。夕べの夜露が乾ききれずに残っているわけだ。ウェスでふき取りながら簡単な運行前点検をする。
当然駆動系周りは重点的にチェックする。昨晩作業してもらったフロントスプロケには工具を当てて、緩みが無いかどうかをチェック、問題なし。
これでエコーラインは思う存分アクセルを開ける事が出来る。荷物をパパパッとくくり付け脱兎の勢いで駐車場を出る。
起き出したのはそんなに早くなかった筈なのに、駐車場を出る時にはまだ他の宿泊客の車はほとんど残っているままだった。
刈田岳蘇る記憶
何故にそこまでして急いで走りだしたか。その理由はこれから走るワインディングにある。
今日は平日、しかしサマーシーズンの間はこの道は日中になると観光客乗る大型バスや一般乗用車が大挙して山に登ってくるからだ。
まともに走れるのは、その自走するパイロンがこのエリアに集結してくるまでの僅かな時間帯に限られる。遥か彼方の関東地方からここまで走ってきて、パイロンの後ろにくっついて走り、追い越しのタイミングを計りながら峠を走っても面白いはずが無いし、そんな為に来たのではない。
五月連休牡鹿半島以来の峠走りである、気合が入らないわけが無い。宿の場所をエコーライン入り口の真正面にしたのもその為だ。驚く無かれ、ホテルの駐車場のゲートから出て、最初の交差点がエコーラインの入り口になっているのだ。
信号が青になった途端にスウィッチオン。
対向車も先行車も全く居ないワィンディングは、至高のライダーパラダイスだ。「ヒャーッッッッッ!!!!最高ーーーー!!!」
標高が一気に上がり。鼓膜がポンという音を立てる。しかし走りに集中しているのでそんなのすら気にならない。やがて周囲の森林が広葉樹林から針葉樹林に変わった辺りから、視界が開けてきた。そこでお得意の走行写真である。見通しのよさそうな直線区間に出て、前後の車の有無を確認して携帯で写真を撮る、しかも走りながら。
この道を走るのは初めてではない。しかしえらくご無沙汰していたことは確かだ。東北遠征や東北集会は何度も参加してきたが、蔵王周辺を走る機会に恵まれることは無かった。
前回エコーラインを走ったのは、いまからもう7~8年以上前だったと思う。その時の相方は零号機最初期型ZEP400C1で初めてのキャンプツーリングだった。
なにもかもが始めてで、計画をみっちり立てて赴いたはずなのに初日から台風に襲撃されて散々だった。レポートも当時はそういう記録を残そうとは思っていなかったので、その日の出来事をダイジェストにノートに書き残しそれを数年後にWEBにUPしたものなので非常に短く稚拙な内容だった。
今では貴重となってしまった一人乗りリフトに乗って、お釜が望める刈田岳山頂に向かったのだが、今回は蔵王ハイラインにて一気に終点まで登る事にした。その頃はまだ空前のネイキッドブームがやってくる直前だったので自分のバイクが狙われるという意識は無かった。
しかし今自分が駆っているバイクはZ1である。可能な限り自分とバイクと離れている時間を少なくしたかった。
駐車場の入り口近くにZ1を停め、そこから離れる際にあえて誘導をしているオッチャンにZ1を指差して「バイクあそこに停めていいんですよね?」と尋ねた。
「ああ、あそこでいいんだよ」
こうすることによって、Z1のライダーはオレである事を無意識のうちに刷り込んでおく。これがバイク盗避けにも役立ったりする事があるからだ。
で、いざ登山(?)開始。
しかし登山といっても、その道程は山道とは恥ずかしくてとてもいえないようなユルイものだ。サンダル履きのDQNカップルがフラフラしながら上ってこられるようなハイキングコースである。だからだろうか、時間は早いはずなんだが山頂へ通ずる尾根伝いの道にはかなりの観光客の姿があった。多少雲は多かったものの天気が急変するような様子も無く、スナップレベルの写真を撮る程度なら充分に絶えられる空模様だった。
尾根伝いの道を暫く歩き、ピークを越えるとなつかしのお釜が見えてきた。
しかし相手は余りにも大きい。
高いところに登らないと全体像が見えてこない。刈田岳の山頂を目指して歩く。ここからの道は駐車場からのルートとは違ってちゃんとした登山道だ。コンクリートと丸太で足場は補強され、まっすぐに山頂へ伸びているので素人目には楽そうに見えるが、まっすぐに登っていく登山道ほどキツイいものはないのだ。最近の運動不足は深刻。大した勾配ではないその山頂へのアプローチが胸突き八丁の急坂に思えた、前回来た時は休まずに登ったと記憶しているが、今回は途中で2回ほど立ち止まって息が落ち着くのを待たなければ心臓が爆発してしまいそうだった。
満足な水分も携帯してこなかったのは失敗だった。ゼイゼイしながら刈田岳山頂に到着。少々曇り勝ちだった天気は急変し、一気に青空が頭上一杯に広がってきた。見れば見るほど不思議な火口湖である。足場が非常に危険な状態になっているので水際まで降りることは禁止されているが、一度はあの水を間近で見てみたいものだ。
なにせpH1.4前後というレモン水並の酸性度である、スプーンかなにかをもって行って溶かしてみたいと思ってしまう。目的は果たした。もう思い残すことは無い。後は何事も無く無事に自宅まで帰還すればいいだけの話だ。トラブルは前半中盤で出尽くしたから、もう無いだろう。いや、もう有って欲しくない。腹も減ったことだし、さて帰ろうかと山道を降り始めたときである。
見てはいけない物を見てしまったのだ。
尾根の向こうに見えるリフト乗り場。その更に向こう側にもう一つの索道が見える。
それの様子がおかしいのだ。動いていない妙に錆びている。
自然に足が向いた。近くに寄るとやはりと思ってしまった。
「廃リフト」である。
遺物そのものは一人乗りリフトなので、はっきりいってしょぼいことは否めない。しかし厳しい風雪に晒されたケーブルやそれを支え続けたタワー(正式名称は不明)の錆び具合はなかなかの雰囲気を滲ませていたと思う。おそらく廃止してからそれほどの年月は経っていないと思うが、痛み具合はかなり物のだった。
ここも出来ることなら機械施設あたりまで見たかったが、駐車場とは全く違う方向へ降りていっているので今回はやめることにした。ここの様子は少ない画像数だったので、廃墟コンテンツに加えるべきかどうか悩むところだが、最近の廃墟サイトの更新が滞っている昨今UPするネタをケチる理由は無いので、後日取り上げたいと思う。
さて、今回の単独遠征なのだが。
最終日になっていきなり画像数が増えたと思った方も多いと思う。
その理由は・・・・自宅にたどり着くまで平穏無事に終えることが出来たからに他ならない。
無事これ成功也である。
自宅のガレージに相方を停め、エンジンを切る。
久しぶりの遠出をなんとか完遂し自分自身は疲労困憊した。相方壱号機も途中で部品を脱落させるなどのアクシデントはあったものの、大事には至らずしっかりとオレを自宅に運んでくれた。
超長距離移動では弐号機に任せるが、バイクを操る楽しさは段違いで壱号機の方が醍醐味に勝る。
今日の蔵王エコーラインを疾駆した時に感じたアドレナリン値急上昇の快感は、KERKERが奏でる咆哮とTMRが放つ吸気音と衰えることの無い加速Gがあってこそである。まだまだこいつには走ってもらわなければならぬ。