夕べの涼しさは一帯何処に行ったのか。我々が寝ている部屋にはまだまだ夏が終わっていないことを感じさせる強烈な朝日が差し込んでいた。
毎日早起きの医局長に起こされ、布団を出る。頭はスッキリしているし疲労も残っていない。充分睡眠は取れたようだった。
テーブルについてモーニングコーヒーなんぞを飲んでいると、43Qさんが起きて来た。顔を見るとなんだか調子が悪そうだ。
「ゆうべ煩くなかったですか?」
「かなり、来てましたねぇ・・・・・往復でかいてましたよぉ・・・(怒」
あっちゃ~~~~またやってしまったようだ。どうやら43Qさんはオレのイビキのせいで寝不足となってしまったらしい。これはどうやら本格的に隔離政策を施さなければいずれ寝ている間に殺されてしまう可能性もあるぞ・・・・(汗
オレ自身はこんな時間よりももっと早くに毎日起きているので早起きはさほど苦手ではなくなった、ゆえに少々の寝不足でも一端布団から出てしまえば、どうにか気合で目覚めさせることは可能だ。しかしそういう生活リズムではない43Qさんにとっては地獄の責め苦に近かったかもしれない。申し訳ないです・・・・こんど集会で一緒の部屋になったときはオレからすすんで別室に隔離されますので、ご勘弁の程を。
外に出て準備をしているとA沼さんがMKⅡに乗ってやってきた。これでメンバーは揃った。しかし例年に比べてメンバーの参加人数が少ないのがなんとも寂しかった。医局長の奥さんと
セガレのまさぷーに見送られながら病院を出発。ほどなく道を走り繋いでとある一件のコンビニ駐車場に入ると、数十台のバイクが並べて停めてあるのが目に入ってきた。
盛岡近辺のカワサキ乗りの人たちである。その中には医局長のブログでも何度かお話をしたことがあり、オレのサイトの掲示板にまで来てくださった「ヨシムラZ」さんの姿もあった。
「どもTavitoさん、初めまして。そちら方面ではけっこう有名ですよ!」
ヨシムラさんにはそう言われたが、おそらく徒話の事だろう。あのコンテンツに書き込みする人はごく一部だがROMっている人が相当数居るらしいからね・・・・各方面にいろんな意味で影響を与えているらしいし・・・・。
朝の腹ごしらえはこのコンビニで済ませ、さっそく会場へ向けて出発。どのメンツもバイクを綺麗にしていて、それなりに手が入っている。そして驚いたのはその走りだった。
あなた方、農道をぬふわ/hで走っちゃ、農作業しているオバチャンがびっくりして腰抜かしてしまいますよ!
まぁ飛ばす飛ばす。普段からつるんでいる9RのN氏とか、ZRX1100RのM氏とワインディングをそれに匹敵するようなペースで走っているが、この人たちは古いZでそれもいつどこから軽トラックが顔を出してくるかも分からないような農道で、このペースで走る。医局長も普段からそのペースなんでしょうな、普通についていっている。
オレもついていこうとは思った。
しかし今回は分が悪すぎる。まずタイヤが駄目、次に旅装備なので荷物が落ちる、知らない道だからコーナーの曲がり具合も全くの未知。
そして一般車との追い越しのタイミングが関東地方とは明らかに何かが違う、そしてなんといっても500キロ以上の彼方から来て事故はしなくないという気持ちでビビリミッターが掛かりアクセルを開ける事が出来ない。しかし、沿道に潜んでいる危険性を考えたらそれが正解だったのかも知れない。とにかく地元とビジターの違いはどうしようもない。バイクに乗っていない時の見た目とは最も大きなギャップがあると確信できたのは、Z2に乗る(オー)さんだった。
細身で長身のOさんは、メガネを掛けパット見は医局長の医大時代の同級生かと思われるような風体なのだが、この人とんでもない。
交差点で信号が青になるたびにウィリーするんですから。
やりませんよ、自分は過去に一度も。あんな重たいバイク、フォークこそカヤバに換えてはあるけれど、着地に失敗してオイル「ピュー」したくないですからね・・・。しかし、この過激な走りを信条(?)とするOさんにはこの後、奇跡とも思えるお助けをしていただくことになるのです。
まさか、あれがまた外れるとはねぇ・・・・・。
さて、集団で農道やら山道やらを走り繋ぐこと1時間。とあるダムの駐車場に到着。ここで再び全員が揃うまで小休止。
「これが普通」という赤切符間違いなしのペースで走った、先頭チームと「あくまでも自分の走りに専念」というマイペースチームとの間に挟まれる形でオレも駐車場に到着。しばし、バイクを囲んでの歓談タイムとなった。
そして受付時間になったあたりで全員移動開始。いよいよ2001年夏の田沢湖KCBM以来の会場入りとなった。以前参加した田沢湖では、収まり切れなかった川崎車までもが会場の外に停めさせられるという状況も見受けられたが、バイク人口が減ってきたのもあるとは思うがスキー場の広大な駐車場を貸し切った会場は広大そのもので、続々と集結してくるバイクを収容するには充分なキャパシティはあった。
会場に着いたらまずやることは受け付けである。これをしないとステンレス製のKCBMマグカップがもらえないのだ。行列に並んで大人しく自分の番が来るまで待つ。しかしよく見ていると、何度も並びなおして複数のマグカップをもらっている輩がいる。こういうのはどうだろうか?
まぁマグカップが品切れになってゴメンナサイという事になったという話は聴いた事はないが、おそらく会場に来られなかった友人から頼まれてやっているのだろう。しかし、たかがこんなステンのカップごときがそんなに欲しいのだろうか。ズルをしてまで貰って、当の本人はそれでいいと思っているのだろうか?理解に苦しむ。おれだったらそんなことしてまで貰ってきても嬉しいとは思わないし、やってほしくない。あのカップはその場に行った人だけに配られて初めて価値が生まれるからだ。オレはそう断言する。ジャンケン大会も終わり、さてそろそろ移動しようかと相方壱号機の元に戻った時である。
一緒に走ってきたメンバーの方が数人、そしていつのまにか会場に来ていた仙台のZ乗り「たかG」さん達もゾロゾロと集まっており相方を取り囲んでいる。
「オレの相方なんて今更取り囲んで見るような所なんて無いのに、好きですね~」と言いながら近寄っていくと、ヨシムラZさんがこう言って来たのである。
「Tavitoさん、スプロケのナット外れてますよ(^◇^)」
悪夢再び
( ゚д゚)・・・・・・・ま、またかよ・・・・。
見ると確かに外れて無くなっている。フロントスプロケットを固定していたはずの21㎜(だったはず)のナットそしてそれが緩まないように体を張って挟み込まれていたはずのロックワッシャーも綺麗に無くなっている。
悪夢再び。
思い出すこと数年前。あの遠征組(Nムラ氏・Mハラ氏はじめとした御馴染みのメンバー)と共に東北へ赴いた時である。帰りの東北道上り線那須高原SAで昼食を済ませいざ出発使用とした時に、バイクがロックし前後に動かなくなったのである。見るとフロントスプロケのナットが綺麗に無くなり、オレが相方を動かしたことによってチェーンが外れ、リヤタイヤがロックしたのだ。
その後の顛末は長くなるし今更思い出すのも胸糞悪いので割愛するが、いやはや紙一重で命拾いをしたという忘れたくても忘れられないアクシデントだった。それがいま再び眼前で起きた。駆動系の部品脱落は即大事故に直結する。しかし、今回もバイクが停止している時に発覚した。
死なずに済んだのだ。勿論今回も全身にプロテクターを装備して東北にやってきたのだが、ここまでのペースを考えたら骨の一本や二本では済まされなかったかもしれない。今の自分の置かれている状況、家庭の状況を思い出したら背筋が凍る。今の自分にはケガ一つ病気一つ出来る状況ではない。
やはり出かける前に仏前にお線香をあげて来たのがよかったのか・・・・ならば、この部品脱落も防いで欲しかったのだが・・・。
「どうする?Tavitoさん?」「なんか代わりになるようなもの持ってないの?」「置いていく?」
周囲の人から矢継ぎ早にこう言われるのだが、「いやぁ・・・どうしよっかなぁ・・・」と答えるのが精一杯だった。
外れていないのだから、とりあえずこのまま騙し騙し走ってみようとも思った。だが、この後にも予定がある。今夜中に蔵王まで南下して、明日は山登りをするという計画があるからだ。この状態で高速道路を走るという事は正に自殺行為。せっかく大事故の危機から逃れることが出来たのに、恐らくそんな事をしたら間違いなく運に見放され、見事に高速道路の星になってしまうだろう。
今の時点ではこの予定すらもぶっ飛んでしまうかもしれなかった。万事休す、そう思った。
しかしそこに救世主が現れる。
ウィリーOさんだ。おもむろに人垣を掻き分けてこちらに歩み寄り、手にもった小さなモノをアウトプットシャフトにあてがう。
「うん、とりあえずサイズは合いますね。これで・・・バイク屋までもてば何とかなるかも」
手にしていたモノは、ラジエーターやブレーキリザーバータンクの周囲に使われるホースバンドだった。
もっと身近な所ならば、水道の蛇口にホースを繋ぎ、水圧で抜けないようにホースに差し込んでネジを締めこんで固定する金属製のワッカの事だ。これを相方のアウトプットシャフトに差し込んでドライバーで力の限り締め上げる。
「よし、なんとかいけそうですよ。Oさん助かりました有り難うございます」オレはホースバンドがドライバーでぶん殴ってもビクとも動かないのを確認してとりあえず広げた工具をしまった。
問題はまだある、オレはここではお尋ね者だ。バイク屋がどこにあるのかなんて分かりっこない。ふたたび盛岡まで戻ってどうするか作戦を立て直すしかないのか。
と思案に暮れている時に、今度は聞いたことのある声が聞こえた。
「とりあえず、オレのグループについて来られるならば仙台の服部モータースまで案内するけど」その声の主はたかGさんだった。
その隣には、そのバイク屋の2代目社長本人も来ていてその場でロックナットの在庫もあるという確認も取ってくれた。正に渡りに船、地獄に仏だった。とりあえず、そのままフェードアウトするのは失礼なので医局長グループに挨拶をしてお別れ。たかGさんのグループに合流し、夏油高原を後にする。
いやぁ・・・・久しぶりの遠出で気合が入っていたのに、初日は高速道でのガス欠。そして二日目は部品脱落。話のネタとしてはこんなに盛り沢山のツーリングは暫く経験していなかったと思う。
ブログやサイトコンテンツの記事には事欠かなくて済むのだが、やはり実際にこういうアクシデントに身を置くと精神衛生上よろしくないな。疲れるし普段以上に気を使うのでしんどい。
スロットルワイヤーがクモの糸
目的地まではまだまだ距離がある、彼ら仙台グループがどんな走りをするか未知なのだが、とにかくホースバンド部分に余計なストレスを掛けないように、スロットルワークには細心の注意を払った。
お蔭で紳士的で静かな走りを貫くことは出来たが、ストレスは溜まる一方だった。バイクに乗っているのに思うような走りが出来ない、まさに生殺しに近い状態だったと思う。
仙台までの道中の中、オレは同行しているたかGさん達のお仲間をそれなりに観察していた。
医局長のグループの人々の中にもそれなりに個性的な人はいた。しかしたかGさんのグループはその非ではなかったように思える。
その中の一人に、強烈な個性を放っている人が居た。名前は伺っていないのでAさんとするが、まぁこの人・・・言い方に語弊があるかもしれないけど「Z乗りのシーラカンス」とオレは思ってしまった。まずその服装。漆黒のツナギ、ヘルメットは黒でつや消しでシールド無し。もちろんグローブもしない。Zに跨っている姿は、正に往年の雷族。背筋をピンと伸ばしサングラスを掛け、ガニ股で街道を疾走する。Aさんはバイクを降りてサングラスを取ると藪にらみの鋭い目つきで周囲を威嚇する(ように見えた)。身長は180近くあるので更に威圧感はある。これまでにも色々なZ乗りの人たちと接触してきたが、このAさんはその中でも最もクラシカルで、ある意味純日本系旧車乗りと呼べる貴重なライダーと言えるだろう。後で驚いたのはこのAさん、日が沈んで辺りが暗くなったらサングラスを外して走っていた。虫が目に入るのが怖くないのかな・・・・・オレは過去にそれで事故を起こしそうになったので、夜間はシールドをクリヤに交換するか、眼鏡を掛けてでないと絶対に走らない。
さて話は横道にずれたが、この服部軍団(医局長がそう呼んでいた)と一緒に行動を共にしたのだが、途中でこのAさんのZがガス欠になったり、昼飯と銘打って入ったお蕎麦屋さんにて参加メンバーの半数以上が
「オレ生中ジョッキね」
「オレ大瓶一本ね」
などと、アルコールを躊躇無しにオーダーしていたのには目が点になるなどのな出来事があったが、なんとか夕暮れ時の仙台に入り、仙台服部軍団の活動拠点である「服部カワサキ R45店」にたどり着くことが出来た。
修理は初代社長が請け負ってくれ、その上チェーンの張りも調整してくれた。
「これでこの後もツーリングを続けることが出来る」それまでの張り詰めていた気持ちが一気に無くなり、ガクッと疲労感が湧き出てきた。
そう、まだ今日の旅は終わっていないのだ。このあと宮城蔵王まで走り予約したホテルにチェックインしなければならないのだ。
お勘定を済ませ、店を出ようとした時
「Tavitoさん、蔵王までどうやって行くの?」たかGさんだった。
「そうすね・・・とりあえず高速で村田まで行ってそこからは下道すかね」
「それなら、オレが途中まで案内するよ。裏道知ってるから」
「まじっすか!?なにからなにまですいませんです・・・・・」
「上道で行く?それとも裏道で行く?」
「所要時間は?」
「今だったら大して変わらんと思うよ」
「じゃぁ下道でお願いします」
そうして、すっかり暗くなってしまった仙台の町をオレとたかGさんは店を後にする。宿には夕食の時間に遅れるという旨の電話を先に入れておいた。
暗闇の蔵王に到着
山形自動車道に並行する県道を走る。
直ぐ先にはたかGさんのZ2がスイスイとカーブをやり過ごしていく、地元ライダーらしい走り、迷いが無くスムースだ。かなり前の東北集会の時に、磐梯吾妻スカイラインをたかGさんと共に走ったことがあるが、その時もこちらは気合を入れてコーナリングをしているにもかかわらず、たかGさんというと「鼻歌交じり」のライディングをしていた。その上なかなか追いつかない。憎らしいまでに大人の走りをする人だった。それは周囲が真っ暗になっても変わることは無く、蔵王の温泉街の中までの距離を感じさせること無くあっという間に到着してしまった。
「とりあえず、オレはここまで。ホテルの場所は分かってるの?」
「いや、ここからさきは自分で聞いて探しますから」
と言い終らない内に、直ぐ近くのコンビニの中へたかGさんはズンズンと入っていき、ホテルの場所を聞き出してしまっていた。
今夜の宿は、直ぐこの先だという。
ここで、たかGさんとはお分かれだ。何から何まで世話になってしまった。別れ際に堅い握手をし深々と頭を下げてお礼を申し上げた。次回、お会いする時には何かしらの形でお返しをしなければ・・・・・。たかGさん本当に有り難うございました。今回のトラブルは不意を突かれた格好にはなったものの、普段から抜かりない整備点検を行っていれば防げた物だった。
やはり最近相方壱号機に触れる時間が極端に減ったのがまずかったのか、オーナーからの愛情を感じなくなった相方の無言の怒りがこういった形で現れたのか。
予約してあるホテルは程なくして見つかった。フロントに掛け寄りチェックインをする。フロントマンは「お部屋にいかれる前にお食事を済ませてください」
それもそうだろう、時計を見ると8時30分になろうとしている。宿の食事の時間としてはとっくに終わっている。それをあらかじめ仙台市内から電話しておいたので食堂の人には待ってもらっている訳だ。とりあえず考えている暇は無いのでそのまま食堂に向かい、たったひとりでテーブルに付く。
食事の内容は中華のコース料理だった。もう営業時間は30分を残すところとなり、食堂の若い従業員達は「もう帰りたいんだけど」というようなオーラを発しまくっている。
妙に声が甲高いウェイターは、それとは関係なく一品一品きちんと皿に盛った食事を運んでくる。ちゃんとそれぞれのメニューの説明をしてくれる。
オレも疲労困憊して空腹の限界に達しているので、説明を聞きながらどんどん皿を開けて行く。結局営業時間終了と同時に自分の夕食も終了した。そそくさと部屋に入り、まずは身軽な格好に変身する。ずっとここまで我慢してきたタバコを一本吸い、ようやくひと心地つけた気分になった。とりあえず、日中に各方面にお世話になった方々へ向けて無事に宿に到着した旨のメールを送る、あとは風呂に入って、さっぱりしたら明日の用意だけしてさっさと寝よう。もう今日は散々だった・・・・これ以上動きたくない・・・。