8.27

イキナリのアクシデント

ガス欠である。 場所は磐越道の郡山方面で23キロポストが有るあたり。 乗り物に乗るようになってから、幾度かガス欠の危機に遭遇したが高速道路では通算二回目となる。 
撮影場所は磐越自動車道の郡山方面23キロポスト付近の非常駐車帯。
交通量が少ないので比較的恐怖感はないが、道路が空いている分そしてやや登り勾配になっているので、どの車も全開で迫ってくる。朝日が嫌がらせのように照り付ける。ここまでの事の経緯はこうなる。
朝の3時に起床。夕べのうちにパッキングは完璧に済ませてあったので、チンタラ服を着替えて出発したのが4時過ぎだった。国道16号線を少し走り、東関東道千葉北ICより成田方面へ。交通量が皆無に等しい高速道路を淡々と移動する。これまでの自分だったら、普段の安全運転業務の憂さ晴らしにカットぶ所なのだが、免停前歴が消えるまではぐっと押さえなければならない。たいてい終わりが見えてきた頃やふと油断した頃に、サイン会会場に招待されるというのが、こういう時に良くある話だからだ。その時の燃料は、まだ半分くらいはあったと思う。今後のルートを見ても、辺境の地を走るという事はないのでリザーブになってからでも十分給油できると計算していた。途中の大栄ICで降り、国道51沿いのコンビニで最初の一服&荷物の崩れ点検を行う。時間帯が時間帯とあってか、自分が普段運転しているような大型車が轟音を立てて通り過ぎていく。
今時分が休んでいるこの道も平日は自分もトレーラーを引っ張って行き来しているので、なんとなく知り合いに会うのではないかと少し気にはなった。
再び走り出す。霞ヶ浦に掛かる橋を超えて直ぐの立体交差から国道51から降り、国道355に曲がり、麻生の町に入った辺りで鉾田に向かい右折。
このルートは仕事でも使っている道路なので目をつぶっていても大丈夫なくらいに走りこんでいる。鹿島方面を通るR51に比べて若干距離が短いだけの裏道なのだが、大きな違いは圧倒的に交通量が少ないという事にある。今の時間帯なぞは、まさに一台きりなので思うようなペースで走ることが出来る。
鉾田に到達するまでは直線の少ない見通しのよくないカーブが連続しているので人間の暖機運転には丁度いい。そしてなんといってもこの手の道路では絶対にサイン会はやらないものである。ゆえに安心してアクセルを開けることが出来る、だから仕事でもこの道を好んで使うのだ。20分少々で鉾田の町にはいり、R51に再び合流。
時間がまだまだ早いのだろう、交差点にあるGUSはまだ営業していない。こちらのタンクもリザーブにはなっていないので、余裕である。
この先日立市に入った辺りで切り替わってくれれば高速に乗る前にガス補給出来るので好都合なのだが・・・。大洗を通過する。ここから51は二車線になるのだが、一番警戒しなければならない区間である。まず二車線になったということで交通の流れがいきなり良くなる。前を走っている遅い車を抜かさんと一気にみんな加速を始める、信号が少なく見通しのいい直線が数キロ続く、取り締まりをするには絶好の条件が揃っている。仕事や地元で毎日通っている人たちはあえてペースアップをすることはしない。しかし空気が読めない県外やサンドラ達はここぞとばかりにアクセルを踏み込んでかっとんで行く。

で、捕まるわけだ。オレがここを通る時の3回に一回位の割合で覆面に捕まっている車を見る。あーあ、分かりそうなものを・・・。途中からR245に分かれ、東海村方面へと北上。原研のに差し掛かった辺りで左に曲がりR6に合流、ガスはまだあるようなのでそのままノンストップで日立南ICから常磐道に乗った。ここから盛岡まではずっと高速移動となる。更に車量は少なくなり一台きりで走る時間が多くなる。連続するトンネルを抜けいわき市に入る辺りで太陽が完全に昇った。
中郷ASを過ぎ、快適なペースでまもなくいわきJCTを通過しようとした瞬間、相方がぐずり始めた。メーターを見るとちょうどメインが無くなる距離になっていたので、慌てずに燃料コックをリザーブに切り替える。

「まぁ高速道路でメインが切れても、次のASまでは間に合うようになってるからな」
この時はそう思った。ところがいわきJCTを通過してかなりの距離を走った辺りで最初に見えてきた案内標識をみてギョッとしたのである。


『阿武隈高原SAまで70キロ」

・・・・・・っておい!!!


間に合わないじゃネェかよ。なんで次のASまでそんなに間があるんだ?すでに20キロ近くをそこそこのペースで走ってしまったので、かなりの燃料を使ってしまっているはずだ。ここで80~90のエコランモードに切り替えたが、はたして間に合うかどうか。
過去に相方Z1は深夜の房総半島の南端である「野島崎」にてメインがなくなり、そこから木更津のガソスタまで90キロ近くを超エコランで持ちこたえたという記録を持っているが、その当時はキャブレータがノーマルだったし、一般道だったので40~50キロというペースで走れたので成しえたのかもしれないが、今回はそれとは大分条件が違う。こういう場合は、一番近くのICから高速を降りてその周辺の町にあるスタンドで給油をするしかないのだが、こういう時に限って「まだまだいけるやろ」などという甘い考えに負けてしまうのだった。
で、そのまま一定のペースを守って走ったは走ったが、「阿武隈高原ASまであと20キロ」という標識を過ぎた辺りでとうとう相方の燃料は無くなってしまった。
相方とのツーリングを始めて既に10ウン年、通算3回目、高速道路では2回目のガス欠を達成してしまった。時刻は朝の8時。まだまだ夏の日差しが照りつける高速道路の路肩をトボトボと歩いて近くの非常電話にSOSを求めるという無様な一日の始まりとなってしまった。初日からネタの大奉仕である。

しかし、今回のヤラカシは不可抗力に近い物があったと思う。 なにせ、メインが終わったのが常磐道の中郷SAを過ぎてからである。見逃していなければ、そこから磐越道に入って次のSAまでは90キロ近い無給油地帯が続く事になる。 相方はメインが切れてから60キロ弱走ってくれたわけだか間に合わなかったのだ。 何度も通っている場所だったが、甘く見ていたようだ。 初日朝からの事件、幸先は順調その物らしい(汗。 
先ほどJAFにたのみ、近所のスタンドから救援に来てくれるそうだが、早くても1時間かかるそうだ。
朝日が暑い。日陰がない・・・・藪にでもまぎれて救援が来るのを待つか・・・(大汗

ご覧のメーターだが、上部の「268」という数字に注目して欲しい。
この数字は、自宅から出てからの走行距離ではなく、前回ガソリンを満タンにした時点から起算した走行距離である。
つまり、メインを使い果たしリザーブも終わり、息の根を止めた相方壱号機の航続距離は270キロ弱ということになるわけだ。
だが、本日メインタンクが空になったときの数字は「212」キロと記憶しているので、その間の距離「56キロ」をリザーブで走った、しかし次のSAまでは更に20キロ少々走らなければたどり着けない。つまりこういう結論になる。
常磐道下り線「中郷SA~阿武隈高原SAまでの間には50キロ以上無給油区間が存在する」という事だ。

これはまずいでしょう?JHさんよ。あの区間でリザーブになったら、インター降りなくちゃいけないの?そりゃぁ降りた先の町で直ぐに大きなガソスタがあるような所だったらいいよ。でもどうよ?あそこらへん、山しかないじゃないの。でも、今回のガス欠でちょっとした出会いがあった事はいい思い出になった。それは、救援に来てくれた地元整備工場のオッチャンである。ブルーのキャリアカーに乗ってやってきたそのオッチャンは、降りてくるなりこう言った。
「さっき、反対車線でプッと鳴らしたの気が付かなかったけ?」
そういわれれば、藪の中にまぎれてメールを打っていた時、反対車線を何度もクラクションを鳴らしながら走り去っていったキャリアカーに気が付いてはいた。しかし自分はてっきり、JAFのサービスカーがやってくるもんだと思っていたので、あまり気にしては居なかった。あのキャリアカーはその後近くのICで一端高速を降り、再び乗っかって今度はこっちの車線で走ってきたのである。それだけでもこの周辺にはまともなスタンドがあるかどうか怪しいと思えてしまうではないか。そう、そしてなんの偶然だかJAFはいよいよ今年から2輪車の救援も行うという自動車連盟始まって以来の長い歴史の中で大きな改革を断行したのである。
バイクの救援もして欲しいという声は、車も乗っているJAF会員の大多数が訴えていたもので、なかなか叶えられなかった。皮肉にも新サービスの施行が始まったこの年に早速JAFの世話になるという羽目になったのも、何かの因縁か。
よくみると、少々くたびれたキャリアカーの横腹には「JAF」と大きく白い文字が書かれている、間違いなくJAFの要請で出動した事を裏付けるものだ。
ハンドルを左に完全に切り、パイロンを周辺にポンポンと幾つか置くと、荷台からジェリ缶を取り出してさっそく相方に給油を始めた。ガソリンをドボドボと注ぎながら、このオッチャンは、
「いやぁZ1って聞いたから、もっとガソリン必要なんだべぇと思ってたけどさぁ、センターのオネイチャンが5リットルしかへぇんねぇ(入らない)てお客が言ってるからって言ってるんでおっかしいべなぁって思ってたんだべよぉ」
「ああ、それは違いますよ。5リットルもあれば十分だからって言ったの、それをオネイチャンは勘違いしたんじゃないかなぁ」
「だべ?ちなみにこれはZ1ってきいたけど、タンクはZ2だな?」
「あら?なんで分かるんです?」
「前、Z2乗ってたからなぁ」
「え!そうなんだ!」思わぬところでZ乗りとの遭遇である。
このおっちゃん、今は友人の勧めでHOGに乗り換えてしまっているのだがあまり気に入らないのだという。
「部品はたゲェし、コーナリングはきヅいし、高速もそんなに飛ばせねぇっぺ?今考えたらZ売らなきゃよかったっぺなぁって思ってるよ」
「でしょでしょ?もったいないなぁ・・・HOGもそうかもしれないけどあんなのオレだったらセンスタ立てられなくなってからの年になってからでも十分遅くは無いと思ってるもの。それまではこれに乗りつづけますよ」
などと、ガソリン給油はとっくに終わったにもかかわらず、

オレとオッチャンとの高速道路の路肩でバイク談義は30分ほど続いた。


そしてここで発生した料金は僅か700円。それ以外の料金はJAF会員という事で全て無料!!!!いやはや会員になっておいて本当に良かったと思った瞬間だった。なにせ出張料金だけで1万を軽く飛び越えてましたからね。

 

泉まで来ましたが・・・・トラブルはまだ続く。

その後遅れた分を取り戻すべくサクサクと東北道を北上し、泉まで来ましたが、事故通行止め食らって降ろされました。 今日はいろんな事が起きて楽しいですな。

 
画像は小さくて分かりずらいですが、泉IC出口を出たところ。
例によって大渋滞していましたが、自分がたまたま閉鎖していたゲートの前に停まって、財布を用意していたところ、いきなり信号が青に変わりゲートオープン。「バイクの人どうぞ!」と呼ばれ並ばずして一番手に高速を降りてしまいました。時刻は既に昼になろうとしていた。夕方までには盛岡に到着すれば良いので余り慌てては居ないが、朝からまともな食事をしていないのでここら辺で限界がやって来た。

高速を強制的に降ろされたので、インター近くの少し引っ込んだ所にある蕎麦屋にて早めの昼にします。 朝飯抜きましたから腹減った腹減った・・・・。

 。

これはその、お蕎麦屋さん「長寿庵」という奇遇にも自分の地元で行きつけの蕎麦屋と全く同じ屋号のお店で頼んだ「冷やしタヌキ蕎麦大盛り」なんですが、画像からは分かりにくいでしょうね・・・・半端な量ではなかったです。
食っても食っても蕎麦が無くならない、だんだんしんどくなってきて、最後には完食したものの2~30分ほど動けなくなりました。お愛想の時にお店のお母さんに「大盛りにしたことを激しく後悔しました」と告げると、笑いながら「ウチのお蕎麦は並盛りが他のお店の二丁分なんですよ」

それを先に言ってくれ!最近食事量減らして胃が小さくなってるんだから!

しかし、それで940円はかなり良心的。

その後、まだまだ日が高いのとこの先はさほど渋滞する箇所はないということを知っているので、一関までダラダラとR4を北上することにしたのだが、これがまた失敗。
とりあえず日中の一桁国道はペースが果てしなく遅い。そして夏の日差しが十分に残る太陽に焼かれて消耗していく体力。やはり蕎麦だけではスタミナの復活は無理か。
一関にほうほうの体で高速に乗り、最初のSAで休憩したのだがはたと気が付いた。
うしろの荷物にある「ワイン」である。このワインは今晩宿を世話してくれるZ仲間の医局長にそのお礼として持って行くのだが、この天気である前の晩に完全に凍らせたのだが、触ってみるとかなりぬるくなっている。
盛岡まではまだひと踏ん張りしなければならない距離がある。生もののワインがまともな状態で居てくれるかどうか・・・・・こうなったら賭けに出るしかないか。
まぁこのワイン、もともとは「遠征」仲間のN氏が今年の夏蝦夷に渡った時のお土産なので元出は掛かっていない、故にダメージはゼロだ。
ただ、もらってくれる医局長がこれを飲んでどう反応するか、それだけが気がかりではある。

その後、医局長からの「そろそろ?」とか今どこにいんの?」とかの煽りのメールを貰いながら、東北道を更に北上。盛岡南ICを降りて市内に入ったのは夕方の4時。国道から分かれて市内に入る道に差し掛かると、何となく見覚えのある風景が視界に入ってきた。
出発前に医局長からもらった地図データを頼りに、現場に差し掛かると真新しい病院が見えて来る。看板を見ると「○○歯科医院」書いてある。ようやくの到着を果たした。駐車場にバイクを入れると庭の奥のほうでジョウロ片手に水やりをしている白衣を来た医局長が手を振っていた。
最後にあったのは去年の秋保温泉以来。もうかれこれ一年振りの再会となった。
医局長の家にお邪魔するのは、建て直し直前の2001年なので4年ぶりとなる。
当たり前だがすっかり変わってしまっていた。医局長のイエローボールが仕舞ってあった怪しげな二階屋は綺麗に無くなり、病院と自宅を兼ねた立派な家が道路際に建っている。だが、当時田沢湖KCBM前夜祭に集まったバイク達を格納したガレージは健在だった。そのかわり当時寝床を用意してもらった母屋(?)のあった場所は取り壊され家庭菜園に変身していた。
特筆すべきは以前の広さよりも数倍広くなった患者用の駐車場である。大げさではなくトレーラーが3台くらいは楽勝で停められるほどに広げられていた。
医局長と暫しの立ち話の後、「ではさっそく、口の中をサッパリしてもらいましょう」と言われ、中へ。
最初正直何のことだか分からなかったが、新居に上がらせてもらいとある部屋に通された瞬間に状況が飲み込めた。恐ろしく真新しい診察室だ、当たり前か。
そう、この集まりが決まった大分前に、医局長と口約束で歯の検査をしてもらうという事を取り交わしていたのを思い出したのだ。「ウチに来たら保険証を持ってきてください」と言われたのもである。
はたと気付き、バッグの中を見る。
てっきり持ってこなかったと思い込んでいた自分は良く探さないうちに「いけね!保険証忘れた!」そう医局長に思わず言うと、「あそう、では自宅に戻ったらFAXを」と言われ、とりあえず椅子に座るよう勧められた。
すると奥のほうから「彼保険証忘れたからどうのこうの・・・・」という医局長の声と共に、「え!?マジで忘れたんですかぁ!」という女性の声。そちらをみると、膨れっ面をしながら出てきた妙齢の女性。「このコが担当してくれます○×さん(名前忘れた・・・)です」と紹介される。なんだか紹介のされ方がおれが給料日明けに突入するお店のような・・・。
医局長の好みか、はてまたここは東北であるがゆえのレベルの高さか、やはり綺麗な人だった。

美人歯科衛生士に緊張www

見渡すと事務の人や他の歯科衛生士のオネイチャンも綺麗どころを揃えている。医局長・・・・やるな。医局長がやるのではなく、歯科衛生士である彼女がオレの口の中を見てくれるらしいのだが、なんだか恥ずかしい。まいったな・・・。
これまで歯科に掛かる時は、いつもオッサンかニイチャンだったので、若い女性の口の中を覗かれると言うのは、免疫が出来ていない分緊張する。
「まず歯石がいっぱいついてますからそれをとりましょう」
「あい(口を開けっ放しでの返事はこうなる)」
実は歯石をまともに取ってもらうのは生まれて初めてと記憶している。
で、始まったのだがこれが痛いのか痛くないのかが分からない。ガリガリギュウギュウという音を立てて歯と歯茎の間になんか細い針金のようなものをガンガン突っ込んでくる。
「ててて・・・・・」と口に出さないものの痛みが走る。
「痛い時は手を上げてくださいね」とやさしく言われたのだが、ジワジワと痛みが走るのだが手をあげるほどなのかどうか分かりにくい。痛いのは一瞬で手を上げた頃にはもう治まっているのだ。彼女の腕が良いのかオレの神経が鈍いのか分からないが、痛くなっても「まだもっと痛くなってから手をあげよう」なんて思ってしまうので余計に我慢してしまう。結局
「ウえ!」と言って手をあげたのは一回きり。
すぐに手を止めて「痛かったですか?」と聞いてくる。しかしその時には既に痛みは引いているのでいつ手を下げて良いのか分からない。
「もう大丈夫っす」といって、手を下げ、再び除去再開。
「はい、すすいで下さい」と言われ半身を起こし水で口の中をすすぐ。吐き出した水は当然のごとく血で真っ赤になっている、一瞬こっちの方で気を失いそうになった。オレはとかく血に弱いのだ。
「舌で触ってみてください、なんか感じが変わりましたでしょ?」とちょっと勘違いしそうな事を言われたが、確かめてみるとその異変にすぐ気が付いた。
「おお!なんか凄いスッカスカッス!」そう、なんだか歯と言う歯が全部スキッ歯になっているようなのだ。
渡された手鏡で見ると、歯と歯の間が実際に隙間だらけになっている。「こ・・これ歯が痩せてしまったんですかね」とおそるおそる聞くと、彼女は笑いながら「違いますよ!それまで歯石で間が壁のように埋まっていただけでそれがとれて綺麗になっただけですよ!」と言われた。

さて、歯もすっきりしたところで、オレはここでこれまで歯石の除去をしてくれた歯科衛生士の女の子に一つお願いをしてみた。
「すいませんけど、一緒に写真に写ってもらっていいですか?」
「へ?私がですか?」
「2ショットでおねがいします」
「ええっっっ(汗、なんでまた・・・私で良いんですか?」
「はい、アナタに写って貰いたいんです、この画像を地元に持ち帰って友人に自慢します。」
「はぁ・・・それなら別に構いませんけど・・・・」


テナ感じで承諾を貰って映ってもらったのが、このページトップの2ショットである。
この後、地元の友人数人にメールに添付して送りつけたところ、怒り半分呆れ半分のレスが速攻で戻ってきたのは言うまでも無い。普通の歯医者さんではなかなかこういうお願いをすることはできないですよね~、ここの院長がお友達だからなせる技。来年もここに来たら、今度は事務のオネイチャンもとっかえひっかえ写ってもらおうと計画しておるところ。

 

盛岡の夜

 

暫くして、宇都宮からご参加の43Qさんが到着。今回はリーサルウェポンの12Rではなく、ツーリングでは久しぶりの出撃だというZEP11に乗ってきた。43Qさんとも久しぶりの再会である、考えてみたら去年の東北秋保集会以来ではないだろうか。最近は自分自身もバイク乗りの集会に顔を出さなくなってしまっているので、それぞれの人が懐かしく感じてしまう。
43Qさんの到着時間は少々遅かったので、歯の治療は今回は無し。オレが「綺麗な人に口の中を覗かれて興奮してしまいましたよ」と話したら「うわぁ!いいなぁ次はきっと!・・・保険証もって来ますよ」とマジメに悔しがっていた。しばらくして医局長の盟友であるMKⅡ乗りのA沼さん合流。時間も時間という事で立ち話もほどほどに、盛岡市内へと繰り出した。とりあえず飲みましょう食べましょうという事で、「何が食べたいです?」と盛岡市民に話を持ちかけられたのでオレは直ぐに「冷麺が食べてぇっす!」と答えた。流しのタクシーを拾って、4人のヤロウが乗り込む。盛岡市民が2人して「冷麺食べさせるならあそこしかねぇな(共通語翻訳済み)」「あそこいっつも混んでるからな、待つかも知れねぇな(翻訳済み)」などとヒソヒソと算段している間に、人いきれ渦巻く盛岡の繁華街の中にタクシーは停まった。
「Tavitoさん、ここが盛岡冷麺の発症の店なんだよね」と医局長が指差しているそのお店は屋号を「食道園」というものだった。元祖、老舗と呼ぶにはかなりモダンな作りをしているが、おそらく最近改装しなのかもしれない。店の中を覗くと客席はほぼ満席に近かったがどことなく回転が速そうにも見える。
入り口のノートに何故かこのときの代表はA沼氏の名前を書き、暫く待っていると我々の番が回ってきた。
席について、お品書きを見る。オレはもちろん冷麺を食べに来たので冷麺をオーダー。辛さを選べると言うので勿論これも最も辛いものをオーダーした。
暫くして出てきた冷麺を見て、「うわ・・・ちょっと勇み足だったかな・・・?」と思ってしまった。
スープが鮮血のように真っ赤なのである。それもそうだ、トッピングで山のようにキムチが盛り付けられているのだから。後から知ったのだが、冷麺のルーツはもともと朝鮮半島から来たのだそうで、盛り付けの内容に朝鮮の色合いを強く感じたのはそれが関係しているようだ。
とにもかくにも自分で頼んだものは責任を持って食さなければならない、手元にあらかじめお冷を用意しておき、まずはこわごわスープをすすってみる。
「おや?」
思った以上に辛くないのだ、いやむしろ旨い。確かに刺すような唐辛子の辛さはあるが、きちんと作りこんだキムチというのは激辛ではない。強い辛味の中にもほんのりとした甘味があるのが特徴だ。このスープは岩手産の牛を使っているらしく日本人の味覚に併せているように感じられた。しょうゆベースなのでくどさもなく、これだったら週に3日ほど食べても飽きることはなさそうだ。
というか・・・最近年食ったせいかラーメンも味噌じゃなくて、醤油ベースを好んで食べるようになってきてるんだよね・・・・。
半透明の麺も新鮮だった。ただ、この麺だとスープの味は染み込まなさそうだなと思う。日本のラーメンにあるような小麦粉とかんすいで打ったような麺とは明らかに違う。これは食べ方の違いなのだろうか。
まぁとかなんとか言いながらもきちんと完食してしまったオレは充分に満足だった。次のKCBMで来たらジャジャ麺でも食べてみるか。
その次は、医局長とA沼さんの地元らしくお友達が経営しているショットバーになだれ込む。屋号は忘れてしまったが、本当はそのお店の2階にあるライブハウス&パブ(?)のお店に突入したかったのだが、たまたまアマチュアのバンドがライブをやりそうな様子だったので、こちらに急遽変更したのである。
しかし、ここのお店もなかなか雰囲気がいい。大人の隠れ家のような、なんとも一種の閉塞感が不思議と気持ちを落ち着かせてくれる。
自分は千葉から500キロの道のりを延々と走ってきてjヘトヘトになり、その後間髪いれず歯石をガリガリと削られ流血ダラダラになり、医局長のセガレの相手を任されてヘロヘロになり、と少し落ち着いた場所でゆっくり祭りの前夜祭を楽しみたいと思っていたので、かなり居心地がよかった。
43Qさんはお酒が駄目らしく、ちょっと付き合う程度ならといった感じで飲んでくれてはいたが、食べ物やノンアルコールが殆どなかったから、悪い事したかなといまでは思っている。
カウンターに4人並んで、蝋燭のあかりで手元を照らしながら、マスターに色々な洋酒を頼んで飲んでみる。口に合うものから「これはちょっと・・」というものまで。しかし、じぶんが「酒」に関して帰着するところはなんと言っても、「日本酒」だ。これに関しては悪酔いしないという抜群の相性の影響もあって、その考えはいまだもって変ることはない。こんど来た時には岩手の地酒が飲める店を医局長には案内してもらおう。こうして、2次会も終わり明日は早いのでここいらで散会となった。A沼さんは家が近所なので自家用車を病院の駐車場に置い歩いて帰っていった。
オレと43Qさんは医局長の自宅の一室を借りて寝ることに。43Qさんが布団に入る前にオレは忘れぬうちにと思いこう念押しした。
「オレイビキ煩いっすから、先に寝ててください。オレ時間置いてから寝ますから」
「ははは、大丈夫でしょ?オレも疲れてるから・・・」そう笑いながら43Qさんは布団に入った。
オレは、ベランダにでて蛍族をして暫く時間を潰した。そして布団にもぐりこみ仰向けにならない体勢にしてから、眠りについた。一瞬で記憶がなくなったのは言うまでも無い。