テント生活の終わり 5.21 |
この日の日記は23日に書きました。 龍神村の朝は以外と冷え込んでいた。外に出る。青空は無かった。気温の低下もあってかカエルの合唱は終了していた。静かなキャンプ最後の朝。夕べは寝苦しかったので薄着に寝袋を上からかけただけの格好で寝ていたのだが寝冷えはしなかったようだ。体の調子も悪くない。メールのチェックをする。 今晩泊めさせていただく京都の方から詳しい自宅までの経路を教えてくれた。自分の地図と照らし合わせて場所を確認する、ようやく道路が分かった。天気予報をチェックする。昼過ぎから雨が降り出すという、それも南からということはモタモタしなければ、雨からうまい事逃げながら移動出来る訳だ。やはり、今日もツイている。朝飯完了、テント撤収。 いざ、龍神温泉へ。予想した通り走りやすい道路を走り繋ぐ。キャンプ場から20㌔程走って見慣れた光景が見えてきた。最近のガイドブックである程度龍神温泉が変わった事は知っていた。しかし、立派になったものだ。真新しいビルが温泉施設の本館となっていた。勿論、お値段もその分アップしている筈だ。(昔の金額を覚えていなかったので) ![]() 風呂場も勿論立派になっていた、お約束の打たせ湯やサウナは当然の事、ジャグジーまである。それは、まぁ良かった。でも問題はお湯そのものにあった。全く透明なのである。昔入った時には湯垢みたいな湯の花が一杯漂っていて、この温泉が本物であることが素人にも分かった程の「らしい」お湯だった。それで何も知らないお客が苦情でも言ったのだろうか、浴室の壁には「湯の中の浮遊物はこの温泉の湯の花です」とわざわざ断り書きの張り紙が貼ってあったのを良く憶えていた。だが、今自分が浸かっているお湯には何の浮遊物もない。循環してしかもろ過してしまっているのだろう。これでは全然ありがたみがない。あの湯の花は循環機械には不都合なのかもしれない。しかし、そんなに簡単に浮遊物をのけ者にしてもいいのだろうか・・・。 ![]() ふと、浴室の窓の外に見覚えのある建物が見えた。あれは、あの時自分が利用した露天風呂のある2階建ての離れではないか。ドアやそこまで降りる階段は新しくなっていたが、あのトーチカのような薄汚いコンクリートの建物はまさに当時のままだった。ところがそこへの入り口にはトラロープが張ってあり、よく見ると「現在閉鎖中」とある。事実2階の男風呂にはお湯はなく全くの無人になっていた。露天風呂はこのビルにもある。しかし、余り眺めが良くない。あの離れの露天は眺めがいい分、川を挟んで対岸にあるホテルから丸見えだったのが面白かったのだが・・・・あの離れも何時かは取り壊されてしまう運命なのだろうか。なんとも砂を噛むような複雑な気持ちになった。 龍神温泉を後にする。「そういえばこの道は・・・」表に出てふと過去の記憶が蘇った。龍神温泉の前を通る狭い道は、自分がボヤ騒ぎを起こした「小又川キャンプ場」に直結する道路なのを思い出したのだ。あれから、少しは快適なキャンプ場に変わっただろうか。駐車場は少しは広くなったのだろうか、道路からテントサイトに降りる急坂は相変わらず登山道みたいにガタガタのままなのだろうか。 ![]() 相方をUターンさせてそこへ向かう。表通りの国道とは違って、この道はあの時から止まったままのようである。カーブミラーのないブラインドコーナーを幾つもやり過ごしてまもなく見覚えのある場所に着いた。駐車場、狭いままだ。カーブの内側を少し削っただけの申し訳程度のスペース。サイトに下りる急坂、ここは変わった。土の急坂に丸太で補強しただけの道が上から下まで綺麗にコンクリートで舗装されている。しかも、階段の両側にはスロープまで作ってある。これだったらキャリヤを使ってでも荷物の上げ下ろしは出来そうだ。だが、物凄く急だし長いので途中で休憩でもしないとへたばってしまうのは昔と変わらない所だ。昔だったら、そんな事は気にしなかっただろうが今だったら、絶対に他のキャンプ場に移動していただろう。テントサイトに降りる、なんだか狭い。それもそうだ昔自分がテントを立てていたと思われる場所には、盛り土がしてありその上に立派な炊事場が出来ていたのだ。昔も炊事場はあった。でも、もっとサイトの片隅でボロかったはず。その当時でもここのテントサイトは狭いと思ったのに、更に狭くなり圧迫感が大きくなっている。テントを自由に張れるスペースが少ないのは、キャンプ場としては問題だ。他に立てられる場所を確保出来なかったのだろうか? 相方に戻り、国道に戻る。「高野龍神スカイライン」に入る。天気は相変わらずパッとしない、昔ここを通った時も曇り空だった。道路は元からよく整備されていたのであまり変化はない。だから逆にノスタルジーに浸る事も無かった。護摩壇山のふもとにある駐車場にて昼をとる。 ![]() 駐車場から四方に伸びる林道はここから見た感じでは余り変わっていないようだ。 次なるロングツーリングのマシンとしての最有力候補に挙げているBMW-GSで此処にいつか訪れる時にはどれほど舗装が進んでいるのだろうか。あの、「瓶が森スーパー林道」の様に劇的に変わってしまうのだろうか。 そう、そういえばあの西日本林道の雄であり日本最長の連続ダート距離を誇る「剣山スーパー林道」も今、少しずつではあるが舗装が進んでいると言う。Z1に乗っている時は、舗装の恩恵に預かる事が多いが反面ダートロードが無くなって行くのを残念に思うのは勝手だろうか。 「高野龍神スカイライン」を何となく走りきり、R371を北上。この国道も自分の地図には1~1.5車線とあったが、そんな区間は殆ど無くなっていた。もう驚かなくなってしまった。R24に合流、途端に交通量が増える。奈良県橿原市あたりでは、相方のエンジンが不調になるほどの渋滞に遭遇する。辛抱の移動が続く。大和郡山市を過ぎたあたりでようやく状態が緩和、北上のペースが上がる。木津川沿いに走るようになり、我々は京都府に入ったらしい。周りの車のナンバーも京都ナンバーが大多数を占めるようになった。 午後3時自分の地図では田辺町とあるが、現在は京田辺市になったメーリングリストでお近づきになった友人(HN・初代天宝さん)宅の近所と思われるコンビニにて一服。ふと携帯をみたら着信ありの表示が。初代天宝さんが、気遣って電話をくれたのだ。直ぐに電話をして自分のいる場所を説明した。するとまさに初代天宝さん宅の近所まで来ている事が判明したのだ。古い地図で、番地も何も書いていないツーリングマップでよくもまぁこんな正確に近くまで来られたものだ。これも、今回のツーリングのツキまくりの一つか。 Z1100GPローソンカラーの外装に乗った初代天宝さんと道路上で落ち合いそのまま先導して貰った。約一ヶ月少々振りに、初代天宝さん宅に到着。今日は、久方ぶりの長い渋滞にはまったせいか少々疲れた。玄関ドアの隙間から一匹の白い犬が出てきた。このお宅の家族の一人(一匹)のクッキーである。前回お邪魔した時も、その人懐っこさと大人しさですっかり愛情が湧いてしまった犬好きの自分としては嬉しいお出迎えである。クッキーは全く吠えもせず、トトトと歩いてきてクンクンと匂いを嗅いでいる。「おや?なんかこの匂いには憶えがあるような・・・・」てな感じでブーツや地面に下ろした荷物を一通り嗅ぐと、ようやく思い出してくれたのかゆっくりと尻尾を振り出してくれた。 バイク仲間の溜まり場となっているガレージには以前に来た時とは違って、バイクの数が増えていた。まず、KSRが2台になっている。奥にはXJR400が。KSRは先日の耐久レースで本番用に組んでおいたスペシャルエンジンがレース直前でクラッシュしてしまい急遽、ノーマルのKSRを用意して決勝に臨んだとのこと。(すんません、疲れててお話ちゃんと聞いていたんですが今日になって内容があやふやになってきてしまいました、内容に相違があったらお詫びします)凄いのは、いざ本番を迎えた日友人のつてで元全日本GPレーサーを呼んで走らせてしまったということ。本来参戦する予定だった身内のライダーが急遽出られなくなりその代役で彼は呼ばれたのだという。しかも、上州選手。最近全日本は見ていないので名前を言われてもちょっとピンと来なかったが、去年まで現役のレーサーでしかも、いまWGP250で独走体制に入りつつある加藤大治郎に競り勝った戦歴を持つ猛者である。 そんな人を、幾ら元現役とはいえ草レースにエントリーさせるのは無論ご法度である。でも、そこをハンデ付きで参加を認めてしまうと言うのが昔の精神を残している草レースのいい所でもある。 そのハンデが笑える。スタート後1周したらピットに戻って、バイクから降り、ツナギを着たまま縄跳びを20回飛んでリスタートせよとのことなのだ。「なんで縄跳びなんだ?ストップウォッチで時間計測すれば良いだけだろうに」そんな所も笑いにしてしまうのが草レースのいい所なのだろう。だが、結局上州選手はその後4週でトップに立ち、しかも初参加の草レースしかも久方ぶりのバイクしかも初めてのこのサーキットでツギツギとトップタイムを叩き出し、更新し続けていたという。もっと、笑えるのは前日に初代天宝さんのチームと合流した上州選手は、下見が出来る15分間の間、コースを歩いてコースのレイアウトを完璧に覚え、しかもウォームアップ走行の時で出したタイムが今までの身内のライダーが一杯一杯で出せるタイムだったらしい。彼は、そのタイムをウォームアップの時点で軽々と出してしまったという。そしてレース前にかれは一言「スタートライダーでいいですよ」普通は他のライダーの走りを見て様子を伺うものなのだが、彼にはそんなものは要らないと判断したのだろう。「取り敢えず毎週ラップタイムは教えてください。それ以外は特に注文はありません」と上州選手は言葉すくなにそう決勝前にそう言ったと言う。何故か、彼にとっては順位はどうでもいい事だったらしい、ただ自分がこのドノーマルのKSRの性能を何処まで使いきれるかどうかを確かめたかったのだ。なんという、考え方の違い。敵は自分以外に居ない訳だ。それもそうだ、格が違いすぎる。あんなハンデなんて有ってない様な物だったのだ。時速200㌔以上の世界で常に闘いを続けてきた人間は、その時点ですむ世界というか視点が違うのだ。勝負する事自体、無謀ではある。事実、彼にラップされた他のライダーが必死になって追いかけようとしたがことごとく転倒していったという。まさに、「千切っては投げ千切っては投げ」だ。うわ、見たかった~。 結局、その後交代した身内のライダーが頑張ったが4位に甘んじてしまったとのこと。でも、4位入賞は何と言っても序盤の上州選手の爆走が効いている。レースが終わって打ち上げの時、彼は言った。「今度、大型2輪免許取りに行くんですよ。免許取れたらツーリングの時は声を掛けてくださいよ」こりゃ、面白いツーリングになるだろうな、みんな上州選手の後にくっ付いて、入れ替わり立ち代りにじり寄ってその一挙一動を睨み付けるという異様なツーリング風景になるだろう。そして、昼飯は成り行きで間違いなく「上州選手によるライディングクリニック」が始まったりして。 さて、またまた初代天宝さんの奥さんとお袋さんとともに賑やかに鉄板焼・・・・先月の21日のZミーティング前夜祭も鉄板焼だったっけ。その後は、大型テレビがある部屋にて、またまたアルコールを交えてのお話タイム。そこで、初代天宝さんの何気ない一言がとんでもない事になったのだ。初代天宝さんの何気ない一言とは 「実は僕、昔海老江に住んでた事があったんですよ、TNTさんの日記を見て福島区かぁ、懐かしな~思てたんですよ」 そう、海老江と言えば、今回のツーリング初日に泊めて貰った隠岐島で知り合ったライダー、Goppaさんの自宅がある場所なのだ。 「え!そうなんですか!」驚いた自分はその自宅のある場所と彼から貰った名刺を天宝さんに見せた。すると、なんと天宝さんの住んでいた場所とGoppaさんの自宅とは正に近所も近所である事、その日に自分が入った銭湯に昔天宝さんもしょっちゅう行っていたと言う事、銭湯に行くまでの途中にある小さな公園でいつも友達と遊んでいたと言う事まで判明したのだ。 なんという偶然。30年間の空白が自分によって繋がろうとしているのだ。年代もGoppaさんと天宝さんはかなり近い、ひょっとすると同級生の可能性もあるという。これには鳥肌がたった。恐るべしインターネット。自分がこれにはまっていなかったら、天宝さんとの出会いもなかったのだから。これは、面白いことになった。詳しく詳細を確かめるとしたら自宅に帰ってからの方が良さそうだ。そして、じっくりとご両人の間に入ってメールのやり取りをし、最終的にはご両人が30年振りに再会するという事態に発展するかもしれない。自宅に帰る楽しみが出来て、明日が待ち遠しくなってしまった。外では雨が降り始めていた。ようやく追いついたか。予報によると明日も明後日も雨だという、梅雨の走りか。でも、もうそんなのはどうでもよい、むしろ久方ぶりの雨中移動、相方も自分も積もり積もった埃が洗い流されていいではないか。 寝る前に、天宝さんのPCを拝借してZ-MLに天宝さんと連名のメールを送り本日は終了した。いや~最後の最後まで色々あるなぁ今回は。 この投稿の関連画像はこちら。 |