快晴、移動の日、しかし・・・・ 5.12![]() |
この日記は13日の夜に書いている。何故なら、12日の晩に幕営したキャンプ場の電波状態が極端に悪く、送信できなかったからだ。だったら、文章を書くだけ書いてメモ帳にコピーしておけばよかったのだが、それを忘れてしまった。うかつだった。 実は、12日の日記は今までの行動を記したものと色合いが違ったから、長文になってしまっていたのだ、今まで以上に。今晩、それを可能な限り思い出しながら書いていく。 旅に出発してからもうすぐ1箇月がたとうとしている。三週間位と思っていたが、離れ島での予定外の長期滞在が影響したようだ。夕べは久方ぶりに布団に潜ったのだが、何故か良く眠れなかった。そして、それはこの日に始まった事ではなかった。実のところ種子島滞在後半からこの異常は始まっていた。 連休の騒々しさから解放され、毎晩のキャンプ場は静かそのものなのに何故か眠れないのだ。日中やりたいことをやって、夕飯も食べて眠くはなる、しかし、シュラフに入っても何時までももんもんとした気分が晴れず、記憶がなくならない。これが結構辛い。おまけに、食が極端に細くなった。夕食も腹は減っているのだが、食べ出すとすぐに満腹になり、せっかく作った夕飯を残すのは勿体無いと思いながら、無理に胃に詰め込み気分が悪くなってしまうのだ。それは朝も同じ、旅の中盤まではご飯を炊いても平気で平らげていたのに、今は菓子パン2個も食べきれなくなってしまった。 これは一体何なのか?寝不足が原因なのか?それとも・・・・心当たりはあった。 心の高揚感が全く無くなってしまったのだ。つまり、旅をしているのに楽しくないという気持ちで何もかもがしんどくなってきてしまったのだ。 やはり、長旅の疲れが本格的に溜まってきたのか、それともホームシックになってしまったのか。そういえば、毎晩見る夢もおかしな物ばかり、筋書きの全く無い、昼間の出来事となんの関係も無い悪夢とは言わないまでも理解不能な目覚めの悪い内容ばかり見るようになってしまったのだ。酷い時には、親しい友人や親にとんでもない言葉で毒づいたりしている、何がそうさせるのか?やりたいことを半ばやり遂げてしまった開放感と、旅も後半になっての脱力感からか?過去に最長でも11日間と言う限られた日程の中で、ツーリングをする事だけを考え、限られた休暇の中で日常の鬱憤を晴らしていたのが、それまでの旅をしている時の心境だった。しかし、今回はちがう。日程は幾らでも延ばせる、日常の鬱憤も今は無い、ただ自分の行きたい所に相方とともに向かうというだけの毎日。それが、じつは日常生活と入れ替わってしまったのかもしれない。美しい山や、海を見てもとりあえず写真に収めるだけで心が現れるような感情が湧かなくなってきている。これは、非常にまずい事ではないだろうか?大袈裟に言えばただ、毎日を義務感にかられて行動している。 ツーリングを始めた頃は車の少ない郊外の道路を相方とともに疾走するのも、その日の晩の夕食の買出しをするのも、テントを立て夕食の準備をするのも、楽しくて仕方が無かった。明日は何が自分たちのことを待っているのだろうか、という期待感が毎晩あった。朝、撤収するときも早く次の場所へ行きたいという気持ちではやっていた。しかし、いまはそれすらもない。テントを撤収する時ははやくこの場を立ち去りたいという後ろ向きな気持ちがいまは心の殆どを占めている。 自分の中のもう一人の自分が問い掛ける。これでもツーリングか?自分ではじめた事じゃないのか?そう、確かにその通りだ。責任は全て自分にある。誰も頼れない、身寄りの無い見知らぬ土地に今自分は居るのだ。泣き叫んでも、誰も助けてはくれない。その理由を聞いたら「それは自分ではじめた事なんだし、大人なんだから自分で何とかしなさい」といわれるのがオチだ。自分の勝手で家を出て、自宅を一人母に留守番させている事への自責の念があるのも確かだ。しかし、ここは九州。これから真っ直ぐ帰るとしても、高速を1000キロ以上走らなくてはならない。そんな体力・気力は今の自分には無い。そんなことをすれば事故を起こすのは間違いない。フェリーで帰るにしても、一番近くて別府・大分から大阪までの船か、北九州市の小倉からの船が出ているところまで移動しなければならない。1日では土台無茶である。そんなところまで、自分は望んで来ているのだ。だから、この先の帰路も自分の力で相方の機嫌を伺いながら帰らなければならない。 だが、その前にまだ遣り残している事がある。四国の2つの山登りだ。今から5年前と4年前、2度にわたって四国を訪れた。2つの山「剣山」と「石鎚山」の何れも悪天候で登頂する事が出来なかった。限られた日程の中で、天候の回復を待つことはそのときは出来なかったのだ。だが、今回は出来る。もしかしたら、これが最後のチャンスかもしれない。これを逃したら、もう四国には行け無いかもしれない。そう思って、今回のツーリングの後半に四国を入れたのだ。 だから、何が何でも行かなければ何のためにここまで来て、ここまで時間を掛けてきたのか全く意味が無くなる。長い事留守をさせてしまっている母にも申し訳が立たなくなる。全てをやり尽くして、完全燃焼した状態で家に帰りたい。 もしかしたら、今の心境は11日の旅しか経験していない自分を試しているのかもしれない。「お前、こんなに長く旅しててさみしくは無いのか?家に帰りたいんじゃないのか?え?」これが、この「つまらない」という気持ちの元凶だったとしたら、負ける訳には行かない。そうか、そうくるか。なら、やってやろうじゃねえか。最後の最後まで、この旅を成功させたろうじゃねえか。疲れたら、休みゃあいいじゃねえか、何を虚勢を張っているのだ俺は?もっと、肩の力を抜いてリラックスしていこうじゃないか。旅の初めの頃を思い出してみろ、あんなに楽しかったではないか、大阪の友人との再会、Zミーティング、やまなみハイウェイ、九重の山々、阿蘇の草原、屋久島の森、種子島の海。数え切れない人との出会いと別れ。何が不満なものか、誰しもが羨ましがるようなことばかり経験してきたではないか!旅の原点に今、戻らなければ自分は駄目になってしまいそうだ。 倒れたら、そのまま動けなくなってしまいそうだ。でも、誰も助けてはくれない。日常の生活に時間を費やしている人々からみれば、自分は完全に遊んでおり、社会から逸脱した生活を送っているドロップアウターだ。どこかに、後ろめたい気持ちもあるだろう、そろそろ社会復帰しなければという気持ちもあるだろう、でもそれは旅を完了させなければ、永遠に清算されない積み残しの荷物となってしまう。だから、明日も旅を続ける。もう、あとは東に進むだけだ。帰るだけ、ちょっと寄り道するだけだ。前にも行った所だ、なにも不安は無い筈だ。旅を続けよう、そして自分の力で家に帰ろう。そこで旅は完成するのだ。 |
・・・と、こんなモノローグを延々と書き連ねていたと思う。そのときは、かなり自分でもわかるくらいテンションが下がっていたのだ。 では、本筋に戻る。 朝9時に宿を出発、開聞岳が最も綺麗に見えるところで相方との2ショット。出発の朝のTVニュースで何故か池田湖の映像が映し出され、「なんだ普通の湖じゃねえか」ということで、寄るのをやめた。あの湖が「十和田湖」や「摩周湖」のような景観だったら、なお行きたかったがその姿は極フツーの水溜りだった。今日の移動の距離もあることなので池田湖のキャンセルは後になって正解だったことになる。鹿児島県から北上する国道の流れが極端に遅いのだ。いや、地元の車が法規走行を実行しているからに他ならないので、声高に文句は言えない。しかし、なんの障害も無い見通しのよい一直線道路を延々と50キロ規制にするのは考え物である。我々は地元の取り締まり事情をしらないので、無闇に飛ばせないのだ。 ![]() 15時半初の不知火海横断フェリーに乗って、天草諸島の上島に到着。5時ジャストにキャンプ場に着いた。 今日は土曜日とあって、家族連れもいて久しぶりに賑やかである。すこしは、寂しさも紛れたか。明日も、移動日。 ![]() 午前中には船で長崎県の島原半島に渡り、雲仙温泉で2日ぶりの風呂に入り、更に北上。長崎市の東にある町外れのキャンプ場に行く予定だ。そこのキャンプ場は、種子島で話をしたTDM850のライダーが「いい所だった」と教えてくれた所だからだ。 ふう、12日の日記はこれで終了。次は今日13日の分を書かなければならない。 この投稿の関連画像はこちら。 |