誰だ!
サンダル履きで登れるなんて言った奴は! 5.5
午前5時前に起床。夕べ食べ過ぎたマーボー春雨がまだ胃に残っている感じがしてムカムカする。天気は海沿いはうす曇り、振り向くと山は雲をかぶっているが山頂の極高い所のみ。計画実行である。吐き気を抑えつつカロリーメイトを流し込み、えづきながら一平ちゃんを掻き込み、ウンザリしながら買っておきながらずっと食べないで居た鰯の缶詰を空け、出発。簡単な山とは言われていたが、もしもの時の為に律儀に警察に登山届を提出。山の様子をしきりに気にしながら県道を走り、「千尋の滝駐車場」に到着。するとそこには、四人の登山者の格好をした中年の男女がキャンプをしていたのだ。(おい、いい年こいた大人がそんなことしていいのかよ)そこに、その内の一人のオバはんが寄って来て、「お兄ちゃん、今朝の天気予報聞いて来はった?」関西弁である、近畿地方からの人だろう。「ええ、午前中はもつらしいですよ」「ウチらモッチョム登ろか思てんねけど」「自分も登りますよ、多分午前中が勝負でしょうね」と言って、装備をまとめ先に出発した。
モッチョム岳への登山道は「千尋の滝展望台」に通ずる遊歩道の途中から枝分かれして始まっていた。「簡単な山やで、サンダル履きでもよう登っちょる人おるでよ」昨日の尾之間温泉で隣にいた地元のおっチャンの言葉だった。しかし、それが全くのデタラメだと言う事は、登り始めて数分で分かった。斜度にして50度以上、到る所木の根っこがうねり、シダが顔を叩き、大きな花崗岩に足を滑らせ、南国樹林特有のムッとした空気が辺りを支配している。登る前はさぞかし気温が低かろうと思って身に付けていたPPの長袖シャツとゴアテックスの雨合羽は全身から噴出した滝のような汗でグッショリとなってしまった。足場の悪さもあるが、ジャングルの中を漕いで行くような登りは、過去に何度か登山を経験していたが、こんなに酷いのは初めてだった。唯一、救われるのはこの島ならではの沢の多さ。フラフラになった辺りで、丁度いい具合に清流が姿を現す、その度に頭から水を被り、何度も手にすくって飲み干し、持って来ていたお茶のペットボトルに水を補充する。ペットボトルのお茶はそんな事を繰り返すのでどんどん薄くなり、終いには沢の水入れに成り代わった。
我慢できなくなり、雨合羽を脱ぐ。しかし、汗でへばりついてなかなか脱げない、内側がメッシュになっているにも係わらずだ、その状態だけでこの人間がどれだけ汗だくになって登っているか想像できるだろうか?頭にはいつものように汗止めタオルを巻いているのだが、その用も成さなくなり、目に汗が入り何度もTシャツの袖で拭う、しかし、シャツも水に浸した様な状態になっているので意味が無い。
30分ごとに時計を見ながら休憩を取る。水は心配なく飲めるのでその点が非常に心強かった。シダの藪が終わり、標高が多少は上がっただろうと思っていた矢先、目の前にいきなり巨大な杉の木が現れた、「万代杉」である。確かに、その大きさからは「縄文杉」遠く及ばないが、胴回り17メートル、樹高20メートルのこの巨木を間近に見ることが出来、しかも自分の手で触る事が出来るとなれば、圧倒的にその存在感は「万代杉」の勝利である。このモッチョムの主に挨拶をしてから、更に登り続けた。
・・・・・しかし、永い。本当に永い。あの、霧に覆われた十勝岳を登っている時もそうだった、ある程度、尾根に出たあとは厳しいアップダウンの繰り返しが待っていて、何時になったら登りきれるのだ?また下るのか?と不安になってくる。しかも、標高が上がるにつれ下から見て懸念していた雲の中に入ると、ミスコースを防ぐ為の樹に巻き付けられた目印の赤いテープが非常に見にくく、憶えているだけでも数回はミスコースし、かなり焦らされた。森林限界もこの南の島では期待出来る訳も無く、一体自分はどこら辺を登っているのか見当もつかないので、これも想像以上に疲労の原因となった。何度も上り下りを繰り返している内に今度は熊笹の覆い被さるルートとなり、非常に鬱陶しいが、少なくとも高い所には来たのが分かった。霧も濃くなり、ペースはガクンと落ちる。遥か下のほうから、先ほどのオバはん連中の元気な話し声が聞こえてきた。よくもまぁ、この状況であんなに大声で喋る事が出来る物だ、これもオバタリアンパワー(死語)の成せる業なのだろうか。
周囲の気温がぐっと下がり、風も出てきた。いよいよ本当に山頂に近づいてきたのだろう。しかし、その期待を裏切るかのように3階建てビルほどの大きさの1枚岩の花崗岩の上に出た。そこには麓のラーメン屋「大門」の店主が言っていた「ロープで下る所がある、そこを過ぎたら山頂は近い」という言葉を思い出した。渾身の力を込めて、しかも足を滑らせないように細心の注意を払いながら岩を降りる。そして、再びヤブ漕ぎが続く。
いい加減嫌気が差し始めた頃、ふっと上空が明るくなった。樹木が無くなり、這い松帯になったのだ。這い松は極めて標高の高い、しかも常に強風が吹く所に生える高山植物だ。気分は一転して、近づく山頂への期待へと変わった。・・・・・そして、また巨大な花崗岩が目の前に立ち塞がった。そこに一本のロープ。残った力を込め、歯を食いしばりながらロープをよじ登る。
山頂に到着した。

所要時間ジャスト3時間。山頂は霧で覆われ、視界はゼロ。でも、これで片道は終わったのだ、全身の力が抜けへたり込む。程なくして、後続のオバハン達が登ってきた。「あ~あかんわ、こない真っ白じゃな~んも見えへんわ。ええ山なんやけどなぁ・・」と言いながらそれぞれ勝手に記念写真をとり、直ぐに降りていってしまった。
自分は山頂では必ず軽食を取る事にしているので、麓から担いできたパン2個と本日2缶目のカロリーメイトを空けた。ところが、彼女らが降りていっって間もなく不意に視界が晴れ海が見えたのだ。しかも、以前風呂に立ち寄った「国民宿舎屋久島温泉」の建物まではっきりと目にすることが出来たのだ。しかし、カメラを慌てて取り出し構えた時には元の真っ白な霧の中に消えてしまったのだ。正に、山の蜃気楼のようだ。
過去に十勝岳の山頂でも利尻山の山頂でも同じような事があった。そのときは、「このまま待てば、また霧が(雲が)晴れるかもしれない」と期待して待ちつづけ、その通りになり絶好のシャッターチャンスを物にすることが出来た事がある。今回も、標高が低い山とあってそれを大いに期待していたのだが、15~20分ほど待っていても結局は晴れることは無く、おまけにポツポツとやばい物が降り出してきたので、やむなく下山する事にした。まぁ、せっかちなあのオバハン達と違って、本物の下界を目にすることが出来たのだから良しとしなければ。
登りがきつい時は、下りはその3倍近い労力を要する。それは、分かっていた。白馬で痛めた膝に負担が掛からないようにトレッキングポールも当然活用した。しかし、その無限地獄のような下りコースはもう二度とこの山には登るまいと、思うほどの酷さであった。腰に括り付けてあるウェストバッグ(カメラバッグ)も汗ですっかり変色している、PPの長袖シャツは汗の重みで袖がダラリと弛んでいる。下をうつむきながらの歩行なので、自分がかいた汗が地面にポタポタと落ちていくのが見える。2本のトレッキングポールで体重を支えながら降りているのだが、その腕力も限界に近い。下手をすると前方宙返りだけでは済まなくなるので、普段は滅多にしない下山での休憩も何度も行った。そして、再び「万代杉」ここでたまたま暇そうにしていたカップルにシャッターを押して貰い、再び下山を続ける
一つ沢を渡る度に、ここは登っている時のどこら辺の沢だったかを懸命に思い出そうとする。2つ3つ4つと、沢を渡り、森の向こうからどう考えてもただの沢の音ではない、地面を揺るがすような滝の轟音が聞こえてきた。周囲の樹木が何時の間にかシダに戻っている。残りはあと僅かだ。木々の向こうに見当もつかないほどの巨大な花崗岩が見えた。登りの時には気づかなかった「千尋の滝」のあの花崗岩である。
そして、登山道の下のほうから多くの人の声、やがて道は元の遊歩道に出た。モッチョム岳登山完了である。そのまま、まるで何かに呼び寄せられるように滝の音が聞こえる方向へ歩いていき、「千尋の滝」の全景が見られる展望台のベンチに倒れこむように座った。「お疲れさん」滝がそう言っているように聞こえた。
何故か涙が出そうになった。勇壮、豪快、その他の幾多の言葉でも表現できないその滝の姿は本当に感動物だった。周りでは、バスやタクシーやレンタカーで来た「一般」の観光客が入れ替わり立ち代り写真を撮っては帰っていったが、あの滝はそんなあっという間に見るだけでいいのだろうか?と思えるほど、見る者を寄せ付けて離さない魔力の様な物が感じられた。
モッチョム岳の主が「万代杉」ならば、「千尋の滝」はまさに屈強極まりないコワモテの門番といったら、滝に失礼だろうか。
確実に自分の歩みを地面に伝えてくれた靴の泥を落とし、滑落の危険を未然に防いでくれたトレッキングポールの汚れを屋久島の天然水で洗い流し、相方に跨り一路警察へ。下山届を出し、一端幕営地に戻り汗で濡れ鼠となった衣服を全て着替え、山頂から一瞬見えた「国民宿舎 屋久島温泉」に急いだ。
本日の予定はこれで終了。本当に久しぶりにきつい登山行だった。しかし、今ふと思い返して見ると途中から沢の水を飲みながら山を登っていたのだが、お茶だけ飲んでいた時に比べて、沢の水を飲んだ後からは急に休憩する間隔が長くなったのは、やはり屋久島の天然水が本当にビタミン・ミネラルを多量に含んでいるのだと言う事が実感できたのも今回は大きな収穫だった。
あの、杉があんなに育つのもあの水あっての事なのだ。帰り際、屋久島最後の朝食の買出しの時、迷わず自分は「屋久島 縄文水」というミネラルウォーターを買って、安房の町に相方と共に戻った。
おしまい。
・・・・ではなく。最後に、今日の登山で得たおまけの教訓。
地元のオッサンの「楽・短い・すぐ・ゆるい・サンダル履き」の言葉は安易に信用してはいけない。これは、登山以外でも適用できると思う。
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