〇四月二九日
雨の心配が要らない五月連休の初日なんて、本当に久しぶりである。フル積載した相方とともに見慣れきった中央自動車道を西進している。そして、晴天にも係わらずゴアテックスのジャケットに染み入ってくる冷風も何時もの通りである。決まった所で朝食を食べ、吐きそうになり、何時ものところで煙草とトイレを済ませるのも何時もの通りである。
ただ、何時もと違うのは新しく換装されたスーパートラップの野太いエギゾーストノートとハンドル振れの解消したステアリングと快適になった新しいシートの感触と、背中に背負った脊髄パッドの違和感である。
午後二時すぎには京都入りし、チェックインの時間まで近くの喫茶店で時間を潰し、定刻の三時半には今日の宿泊地、京都宇多野YH(記憶間違いで本当は東山YHかも)に到着した。
しかし、例え全てが順調に事が運んで此処まで来ても、その疲労は隠せず、荷物を部屋に運び込み風呂を済ませ夕食の時間が来るまでの僅か数十分が惜しくて、寝てしまった。
その日は、連休初日ともあって多数の宿泊客がいたが話をするのも欝陶しく、夕食を終えると、速攻でベッドに直行そのまま朝まで熟睡した。恐らく、宿のなかで自分の姿を見かけたのは風呂場にいた人間と廊下ですれ違った者だけであろう。 |
三度目 三瓶山 北ノ原CA |
〇四月三〇日
今日も強行軍である。
予想される走行距離は300㌔近く。ひたすらストイックに脇目もふらず走り続ける日の二日目である。でも、こんな日も自分は結構好きである。目的地に向かって、走ることだけを考えて走るのは楽しいと考えている。ノンビリ当てもなくチンタラ走るのもツーリングだが、楽しみにしていることが頑張って走ったその先にあるのも、ツーリングである。
タベは早くからジックリと睡眠をとって体力・気カ共に充実しているので、朝食の始まる一時間前には起床し、荷物をまとめパッキングを済ませ、革パンツ姿で朝食をかき込み、ほかの宿泊客が食後のマッタリしている横をサッサとエンジンをかけ出ていった。
全く無駄のない行動を朝一から始めたおかげで(タベから煙草を切らしていたので、マッタリする気はサラサラ起こせなかったのだ)、京都市内の混雑にも巻き込まれる事も無く、京都南ICから名神高速に乗る。
最初のSAで切らしていたタバコとガソリン補給を済ませ、サクサクと西進する。
吹田のJCTで山陽自動車道に入った、ここの道路を走るのは初めてである、まあ何の変哲もない高速道路だがトンネルが多くて退屈しない、中国道に比べて海側を走行するので多少は海が見えるものと考えていたが、全然見えない。途中の小さなPAで一服していたときに、バスの運ちゃんに話しかけられた「三瓶山まで行くんかいな、ほんだったら中国道で行ったったらええのに」
「そうなんだけど、中国道は何度か走ったから面白くないでしょ、だからこっちのルートで行こうと考えてるの」
「ほしたら、尾道で下りてR184がええよ、道も緒麗だし車も少ないで、R54に比べたら」
オッチャングッドアドバイスありがと!!!自分は、走行ルートを確認し予定の西条ICで下りてR54のルートをキャンセルし、オッチャンの教えてくれたルートに急遼変更した。
(地図では中国道を通過するまではR54は交通量が多くて走りにくい、とコメントしてあったのだ)
尾道ICを下り、R184を一路山陰方面へ。
R184が終点となる、三次市手前の吉舎町でとうとう雨が降りだした、ここが潮時とたまたま屋根付き駐輸場で食料買い出しと雨仕様に変身し中国道をアンダーパスして三次市を通過、ここまで結構な距離があった。ちょっと後悔した、此れも旅ならではか・・・雨風ともに強くなってきた、失敗した・・・・雨の降りだす前が丁度昼時だったのだが、わざわざ遠くまできて混んでいる時間帯に食堂に入るのも考えものと思い、先延ばしにしていたがそれが裏目に出てしまった。簡単な判断ミスである、雨仕様になると食堂に入るのにいちいちカッパを脱ぎ着しなければならないことを頭に入れていなかったのだ。
どうしよっかな~、と考えながら走っているうちに頓原まで来てしまった、このまま一気に北ノ原まで入ってしまって、幕営してからメシ・・・とも考えたが、時刻は三時になろうとしていた、夕飯の時間とくっついてしまう、と一言うことで頓原の山中のクソ暇そうなドライブインで遅い昼食とあいなった。
一年ぶり三度目の北ノ原である。
ここで、自分は初めて身をもってこの山が何故三瓶山と呼ぶのか分かった。
三年前に訪れたとき、雨だった、去年、雨だった、今回も雨。つまりは三べん雨に降られたと言うことだ。
まあ、本来の意味は違うにせよここまで見事に雨天に崇られるのも珍しい。
此処以外思いつくとしたら、全国では小樽の港位だろう、あそこも晴れた試しがない。
前日から、明日は雨天に見舞われると予報されそれが見事に的中したので、キャンプ場には自分の他にはコールマンのドームテントが一張り、ポツンと有るだけだった。
去年は、車両進入禁止を素直に守りすぎて、荷物の搬入に難儀したので今年は去年から目を付けていたバイクの進入ルートからサイト内に入り(こんなことを一年間も覚えておく事自体執念以外の何物でもない、詳しくは一昨年のG/Wツーリングレポ参照)、道路から歩いて数歩の所に幕営した。
時折強風に見舞われ、テント張りには難儀したが此処に来るまで滝のように降っていた雨が止んでくれたので、その点は助かったと言える。
時折ハッキリ聞こえてくる国営放送に耳を傾けながら、夕食の下準備をして取り敢えず寝てしまうことにした。
七時すぎに空腹と為に目が覚めたので、そのまま夕食となった。天売島のキャンプを思い出させるような強風の中、調理は炊事場で食事はテント内で済ませた、そして明日の天気予報がラジオから流れてくる。
「明日は本州の南海上で低気圧が発達、変わって日本海側には移動性の高気圧が東へ進んでいます」との事だった。
晴れる・・・そう直感するまで時間は掛からなかった。三回目にして、やっとあのいまいましい神話の山に登ることが出来そうだ。
コッヘルにこびりついたご飯をスプーンでこそぎ落としながら、テントの外に出る。
目の前に見えるはずの三瓶山は暗闇に紛れて稜線すら確認することは出来ない、地鳴りとも感じる風が森を瞼らせ次第に周囲に広がってゆく、ほかに全く人けがない。
「・・・・ねよっと」
明日の準備をおおかた済ませ、またまた直ぐに爆睡モードに直行した。 |
三瓶山登山 |
〇五月一日
過去にキャンプ初日で熟睡出来た日は殆ど無い、というのは毎度毎度レポートにも書いている様な気がする。この日も多分に漏れず、いつ寝たかのかハッキリ覚えていない、夜通し山野を轟音を立てて過ぎてゆく強風で何度か目が覚め、その度に安眠を妨げられていた、そしていつの間にか朝が来てしまった、という感じだ。
気温もかなり下がっている、時刻は早朝の四時だ。テントから顔だけ出して外をみる。西のほうに移動してきたせいだろうか、辺りはまだ夜のままである、松の木々の間から星が見える。
「よっしゃ!」
とたんに眠気が覚め、外に出て山のほうをみる、暗闇なのにハッキリと稜線が見え、山頂まではっきりと確認する事まで出来た。作戦決行である。登山に持っていくものだけをタベのうちに仕分けておいたので、その分だけをテントの外に放り出す。なるべく腹に残るようにとラーメンはカタめに茄で、流し込む。
気がつくと風もすっかり収まっている、まさに申し分無い。正に千載一遇のチャンスである。
貴重品をテント内に隠し、相方に跨がって出発するころにはようやく辺りが明るくなってきた、相方を登山口に置きアタック開始したのは六時半過ぎだっただろうか、登山コースのアプローチに失敗して、暫く下のほうでうろうろしていたが、インターネットで取り出した案内図に従い、本当のアタックを開始、夕べまでの大雨で標高の低い辺りの林の中は湿度がとても高く、登りだしてすぐに汗だくに、一枚脱ぎまた一枚脱ぎTシャツ一枚になってしまった。昨日までのあの寒さはいったいどこへ行ってしまったのか、と思える程の蒸し暑さだ、その中で今回から下はジーンズをやめジャージにしたのは正解だった。
ゼンマイが群生する低湿地帯を抜け、植生は明るい広葉樹林帯に入ると気分は最高だった、何せ明るい。五月でも多少標高の高いここら辺はまだ葉っぱが出ておらず、横から差し込んでくる朝日に山の斜面が照らしだされて、とても「山の中」を遡行している雰囲気ではないのだ。そして、登山者が押し寄せることのないマイナーな山と連休の谷間が童なって、人けが全く無い。行き過ぎる人と挨拶をしたり道を譲り合ったりする煩わしさも無い、最高の条件である。聞こえるのはピークを迎えた野鳥の囎りタイムと、時折吹いてくるそよ風の音だけだ。
「来てよかった~」登山道の所々に設置してあるベンチで小休止を取り、掟破りの煙草をプカ~っとかましたとき、思わずこの台詞が出た。これが出れば、今回のツーリングは一先ず成功である。

予想通り三瓶山の主峰「男三瓶」の山頂へは呆気なく到着した。ま、それまでの行程はそれなりにきつかったが、久しぶりの登山だし、昨日までは一日走り漬けの連日だったので、それなりに疲れはした。山頂からのランドスケープは近くに高い山がないので360度の展望が効く、自分が好んでツーリング先で登る山で独立峰が多いのはこの眺めを得る為でもあるのだ。日本海側は快晴そのもので、春ならではの霞に遮られているものの、眺めは良い。反対に東ノ原から西ノ原にかけては、こんなに見事なものは久し振りだと言えるほどの見事な雲海が広がっており、下界の様子を伺い知る事は出来なかった。
ツーリングリズムになってきた体調もあってか、頂上に持ってきた食料は、あっと言う間にビニール袋だけになり、ふいに眠気が襲ってきたので、頂上のベンチで仮眠をとることにした。柔らかな太陽光線で、汗に湿っていたTシャツはあっと言う間に渇き、記憶が無くなった。
ふと、目が覚め時計を見ると一時間弱寝ていたらしい。しかし、時刻はまだ午前中を半分過ぎただけである。西の原に広がっていた雲海が頂上にも上がってきた、不意の雨が降るのか?と一瞬カッパに手が延びたが、その雲の固まりは山頂を越えたとたんに、日本海からの乾燥した風に吹き散らされ、まさに雲散霧消となって消えた。
一時間ばかりの短いコースだが、男三瓶から隣の第二の峰「女三瓶」へと縦走する。
今までにも何度かの登山を経験をしてきたが、独立峰ゆえにピストンコースをとるのがいつもの事だったが、今回初めて「縦走」という生意気に
も登山らしいコースを設定したのだ。本当なら、幾つかのピークが存在する三瓶山の山頂沿いに一周も、と考えたが、登山口に置いてきぼりにしてある相方が気になるし、どれほどの時間が掛かるか調べていないので、無理はしないことにした(単独行動で最も危険なことは、無知無理が崇った時。助かる見込みがグループ行動に比べて、遥かに助かる確率がゼロに近いということを自分は百も承知なのだ)
「女三瓶」周遊コースなら、どんなにユックリ歩いても、正午すぎには下山出来る。相方の待つ、登山口に直結する下山コースも調べてあり、問題はない。しかし、「男三瓶」から「女三瓶」までの縦走コースは、適当に荒れていて楽しい。時には縦走路ならではのカミソリの刃を渡るような所もあった。そして、前回の利尻山での教訓を活かし、今回持ってきた新兵器のトレッキングストックの効果は予想以上に絶大で、今までならジャンプしてやり過ごしていたような、急な下りでも膝に負担を掛ける事無くフワリと下りることが出来るのには感動した。「なんでもっと早いうちに買わなかったのか・・・」
「男三瓶」のピークから見たときには、雲海に隠れていた「女三瓶」のピークに到着するころには、こちらも茄るような暑さの快晴に変わっていた。しかし、標高が高いだけあって、風は乾燥している。下界の気温も上昇しているのだろうか、あの雲海はスッカリ消え去り、三次市が遠くに見えた。放送局の中継アンテナが林立する殺風景な「女三瓶」の頂上を後にし、下山。ここから、北の原までのコースは人気がないのだろうか、やけに茎の固い草が登山道に張り出し、非常に歩きづらい、それとも本格的な夏山シーズンになったら、多少は手が入るのだろうか・・・。
途中で、修学旅行の団体さんとすれ違った、みた感じはいま巷を震え上がらせている中学生である。思い出すのは四年前のあの乱痴気騒ぎである。もしかして、この連中が「三瓶山青少年自然の家」から来たのであれば、これまた悲願の「誓いの炎」なる奇妙なセレモニーを映像としてゲットできるチャンスかもしれない。
帰ってからのお楽しみが出来た、と言うわけだ。

キャンプ場に戻って来たのは、昼前で本当は登山口から直接三瓶温泉に行くつもりだったのだが、忘れ物をしてしまい、一端戻って来る羽目になった。昨日までは気が付かなかったが、キャンプ場は今年の夏前に管理棟をリニューアルすることになってるらしく、派手に工事をしていた。しかし、もう自分には関係の無いことだ。些細な思いつきから始まったこの「三瓶山登山計画」。悪天候に阻まれて、半ば意地になって遠くから蓬々ここまで三年にわたって足を運んできたが、もう二度と来ることはない。だって、こんな所よりもっといいところが沢山他にもあるのだから。

地図を見ないでも行けるほどに通い慣れた感のある三瓶温泉でひたすら瞼りながら、下半身の疲れを取る。しかし、ストックを活用したお蔭で、膝が全然痛くない。確かに、全体重を両手で支えて居たので、手のひらに豆が出来てヒリヒリするが、こんなのは全然問題にならない、膝を傷めるのはこれからのライダー・スキーヤー生命に係わることなので、背に腹は換えられない、手のマメだけで膝の故障を防げるのなら、腹一杯になる位にマメを作っても平気だ。
ひとっ子一人居ない温泉街の片隅にある食堂で、昼を済ませ晴天のお蔭で賑わう西の原を経由して、キャンプ場に戻った。
たまった洗濯物をコインランドリーに放り込み、テントを開け放して昼寝である。春のキャンプは、自分は夏よりも全然快適だと考えている、何故なら虫がたかって不快な思いをすることがないからだ。
「あ~~し・あ・わ・せ」今、自分の中に或るものは目的を達成した充足感そのものだった。
好きなことを、自分のぺースで好きなようにやる。これが、ソロツーリングの基本的原則の一つである。 |
三瓶の夜二回目 |
夜のディナーを済ませ、早速ビデオカメラ片手に「自然の家」に向かう。大型車用の駐車場にバスは停まっていなかったが、建物に近づくにしたがって何やら賑やかな騒ぎ声が聞こえてきた。今年は間違いなく宴に遭遇できる、そう考えると自然と足が早まった。
恰もこの建物の関係者のように迷いなくキャンプファイヤー場に到着、裏側のスロープから広場のなかに入ると中心で赤々と炎を上げるキャンプァイヤーを取り囲むように揃いのジャージ姿の中学生が、何やらゲームをしていた、周囲の階段状の座席の足元には生徒の人数分の火の付けられていない松明が用意されていた。まちがいなく今夜は「誓いの炎」をここでやるつもりらしい。足元に修学旅行では、お約東の生徒の栞が置いてあったので、勝手に拝見させてもらう。
早くも先生の話をはなっから聞いていない生徒は自分の姿に気がつき、隣の生徒に何やらヒソヒソと話しかけている、以前の時と全く同じ状況である。
「あれ、だれや?ウチのセンセちゃうで」
ってな感じだ。
今回のお客さんは市立浜田東中学校とある、学年は一年生だ。薄明かりで肉眼では分からないが聞こえてくる声からしてまだ全然声変わりしていない、ビデオカメラで寄ってみると今年の春中学生になったぱかりのガキどもばかりである。そのあまりのガキっぽさに以前の高校生の時のようなエネルギッシュな盛り上がりは感じられず、少々拍子抜けしてしまった。どうやら今回の修学旅行の目的は中学生になったことによる意識付けと生徒同士の親睦と結束力の強化なのであろう。
あまりにも退屈だったが、ふとカメラを見ると電源が入れっぱなしになっていて、バッテリーが上がりそうになってることに気がついた。このままでは、「誓いの炎」を見るだけになってしまう。取り敢えず、一端キャンプ場に引き返し新しいバッテリーを取りにいくことにした。
会場に戻ると、既に全生徒がめいめいに松明を持ち、クラスの代表者が宣誓の言葉を述べていた。しかし、この儀式に付き物の「炎の女神」がどこにも居ない、どうやらこの儀式はこの学校のオリジナルではなく、この「自然の家」で合宿をする際には必ず催行しなければならない決まりになっているのかもしれない。しかし、生徒数が以前に比べて圧倒的に少ないのと全体的な盛り上がりが今一つなのと、高校生でなかったのが残念で、その儀式の一部始終を映像に収めることには成功したが、いまいち達成感に欠けるものがあった。
やはり、こうゆう儀式物と合宿の盛り上がりを期待するならば、クラスの結束が一番固くなっている三年生が一番面白い、それほどに前回目にした宴の乱痴気振りは凄まじかったのだ。
夕方あたりから、ラジオの天気予報では季節外れの猛烈な寒気団が支那大陸からこちらに向かってきているらしく、日本海側は東北から中国地方にかけて大荒れの天気になる・・・・海や山に出掛けている人は引き返す勇気を持って下さい、などど穏やかでないことをやたらと繰り返していた。
それは、普通のニュースの時間でも取り上げられていて、どうやらどえらい天気になりそうな事を言っている。明日はただの移動日なのだが気掛かりである、この調子で行くと雨仕様での出発となりそうである。 |