〇五月二日
晴れ/曇り午前七時
予定では本日は大山登山の予備日で、昨日の天候がおもわしくなければ、本日がアタックの日となっていた。しかし、滞り無く目的を達成できたので、このまま滞在してブラブラと蒜山高原あたりにでも遊びに行くか、とも考えた。しかし、去年蒜山高原を訪れた時、西方の軽井沢適な雰囲気があって、自分の肌には合わなかったのを思い出したので、急遽予定変更し、そのまま西へ移動する事にした。
カーブのない下り坂を一気に米子へ、ここの区間でオービスを仕掛けたら、通過する殆どの車が餌食になるだろう、西日本ではなかなかお目に掛かれない快適な道だ。米子~安来~松江と走り、次回『隠岐島』巡りの起点として考えているので、島根半島は今回パスする。日没時、黄金色に染まる『宍道湖』を素通りし、出雲大社手前の喫茶店にて早めの昼を取る。
出雲大社は、山陰観光名所の一っである、だから車やバイクが多い。自分のロングツーリングの中で、寺社仏閣に立ち寄る事は殆どないのだが、ここだけは特別で、是非自分の目で日本最大規模の神社を目の当たりにしたかった。そして、神社の周りの風景は線香臭い寺が立ち並ぶ京都とは違い、町並みは簡素で整然としている、バイクも参道入口近くに寄せて置く事が出来、本殿への参道も解放的で明るい。もちろん、入場無料だから、ホイホイ入っていく事ができる。

境内はとにかく広い、日本一の規模という歌い文句は伊達ではなかった。建物一つ一つの大きさもさる事ながら、デザインが直線的で古めかしさがない、余計な装飾がほとんど無いから、寺によくあるようなデザインのくどさがない。交通安全、家内安全、無病息災を祈願する。
大社の近くで食料買い出しをし、そろそろ宿探しを考え始める。日程に一日余裕が出来たので、南下の予定を西進に変更する。もう少し足を延ばして、『三瓶山』を折り返し地点として設定した。ツーリングマップでは、『三瓶山』の周辺には四箇所ものキャンプ場がある、と示されている。R9を大田市にて外れ二十㌔弱にて『三瓶山』に到着した。
周辺には殆ど山らしいものはないので、殆ど独立峰となっており、適当なルートで走っていても迷う事はなかった。なだらかな走りやすいワインディングを昇り切った所で視界がいきなり開けた。地図によると西ノ原となっている。日光の戦場ケ原を思わせる一面のダダッ広いススキの原っぱである。そして、この時期は春の修学旅行の季節でもある為か、ジャージ姿の中学生の集団が目につく。天気は薄曇りではあるが、まだ焦る必要はない。
温泉も点在しているので、適当な場所にテントを据え、急遠明日、天気がよろしければ『三瓶山』登山を決行するつもりだ。
しかしレストハウスがある定めの松にて、山周辺の案内標識を見るとどうも様子がおかしい事に気がついたのだ。西ノ原・東ノ原のキャンプ場の表示がどこにもないのだ。
何かの間違いかもしれない。自分の目で確かめるまでは納得いかないので、最も近い西ノ原キャンプ場のあるべき『浮布の池』に向かう。
池はあった、しかしキャンプ場はない。その形跡はかろうじて認められた、炊事場の跡だろうか、煤けたブロックが散らかっている所があった、隅には蛇口だけの水道(水は出ない)が立っていたりはしているが、辺りは草ボーボーで荒れ果てている。テントを立てる事さえも出来ない状況だ、少々不気味な雰囲気も漂っている。レストハウスに戻り、店員に事の状況を話す。すると店員は北ノ原キャンプ場以外は全て閉鎖してしまっているとの事、三瓶温泉に近くて、登山の基地としても向いていた二つのキャンプ場が駄目となっては仕方がない、最も外れにある北ノ原キャンプ場に向かう。
ブラックマークが至所に残っているワインディングを程なく走って、目的地に到着。そこはキャンプ場と国民休暇村が隣接した場所で、表玄関となる広場には何台もの大型バスと揃いのジャージを着た小・中坊どもが、体育座りをして先生の話を聞いている。
「・・・・」思い出す事一年前、あの吉備高原都市でのちょっとした夜遊びの記憶が甦ってきた。「今夜もまた面白そうな事が起きそうやな」
キャンプ場はガラガラ、ここへ来て初めて有料のキャンプ場に泊まる事になったが、考えてもみると、安く上げているものだ、まだ千円プラスアルファ位しか宿代に費やしていない(ユースをのぞく)。オートサイト以外ではバイク・車の乗り入れは不可、ここで久々にSプロキャリヤーの登場である。去年の北海道で事故に巻きこまれて、新品にしてから、全く使わず仕舞いだったキャリヤーも、ここでやっと日の目をみる事が出来た訳だ。相方にシートを被せU字ロックをし、荷物を2~300㍍離れたサイトまでゴロゴロと運ぶ、サイトまでは整備された舗装道路があるので、距離の長さの割りには楽である。この作業、とても欝陶しいものだが国立公園のなかにキャンプ場がある場合は仕方がない事なのだ。 |