IN THE BEGINING

出発前夜、仕事が殆ど手に着かない状態がここ一箇月続いていた。その状態は今、頂点に達しようとしている。上司の「あがっていいよ」の言葉を聞くか否か、自分は誰よりも早くツナギを脱ぎ捨て会社を飛び出し自宅へと走った。
稲毛に差し掛かる辺りで夜空に轟音とともに巨大な大輪が開いた、おりしも今日は千葉のポートタウンで大規模な花火大会が催されていた。「しっかり、旅してこいよ!」その夜空の花はまるで、明日から始まる長い旅の無事を祈ってくれているように見えた。

自宅~山形湯の浜温泉

○八月七日

今、自分は蒸せ返る昼の暑さを保持したままの東京から時遼100㌔をキープして脱出しているところである。時刻は午前五時、現在位置は関越道の渋川伊香保付近だと思う。
関越トンネルを通過する。
吹きつけてくる風も秋を思わせるような涼しさはなく、日本海独特のムシッとした重い感じであった。「こりゃ、沿岸にでたら相当暑いぞ」と、早くも今夜の野宿での地獄を予感していた。新潟県側に出て初めての休憩という事で、越後川口SAに入る。なんとまあ凄い人ごみである、時刻は朝の八時ごろだというのにパーキングは殆ど満車。GSには車の行列が出来ている。新潟亀田ICを降りる。『村上』という地名を目指してR7を走る。
程無くして中継地点の村上市に入った。そして、鶴岡市まであと五㌔のところで、あの海岸の崖に立つ回グハウス風の建物が視界に入ってきた。「また、来たで」と思わず眩いた。
今日は日曜日、だから駅のパーキングはほぼ満車である。

七窪CA再び

湯の浜温泉近くの七窪キャンプ場に着いたのは予定通りの三時頃。一年振りにやって来た.キャンプ場。今年は海水浴場の混雑振りからして、ここも混んでいるかと思いきや、全く先客なし。米を研ぎ終わり、一通りやる事がなくなっので早速フロに行く用意をした。湯の浜温泉に今年は肩まで浸かってやるのだ。お湯はそこそこの適温だったのだろうが、日焼けした両腕を入れるには余りにも熱すぎた、「あつっっっっ!!」と声に出さないようにして、歯を食い縛り片腕ずつ湯船の中に入れた。
その夜は絵に書いたような(?)超熱帯夜でTシャツとパンツ姿で横になっても汗がダラダラと出てくる。外に出てはみても、風が全く吹いてこないので空気が淀んでいる、このサイトにはお地蔵様が奉られており、そこだけ照明が照らされている。寝苦しく、蒸し暑い夜といえばお化けが出てくる時の前振れだ、松林の向こうから何者かが出てきそうな気配がして気味が悪かった。

青森深浦CA

〇八月八日
午前四時
洗濯物はほとんど乾いていたが、着替えたばかりの下着は寝汗でじっとりとしている。たまらなく不快だったが、日中になれば、こんなものでは済まされない事は分かっているのでそのままにした。
さて、今日は更に北上して青森県の深浦町まで足を延ばす、距離的には大したことはないが、下の遣だけで二四〇㌔となると、あまりのんびりはしていられない。だが、飛ばして走る程でもない、そんな中途半端な距離なので以外とぺース配分が難しかったりする。
R7に戻り北上。能代市に入った。ここで今日の食料買い出しをする。更に北上、五能線とともに日本海を見ながら走る。背の高い木は少なく見通しがよい。岩崎村にてR101を離れ、半島をバイパスする県遣に入った。『深浦』に到着。
今日の営巣地となる八森山キャンプ場に荷物を置き、お楽しみの不老不死温泉に向かう,タ方になってから雲が少々多くなってきた、もしかしたら日没が見られないかもしれない、という不安が過る。

黄金崎不老不死温泉

予想していたよりも立派な新館がそびえ立つ不老不死温泉には、平日にも係わらず多くのお客さんが来ていた。目指す海の鍛天風呂は『Z1』を停めた駐章場の数10メートル先の磯の中にあった、湯船は申し訳程度の岩で囲まれているだけで、殆ど丸見え状態である。日没までまだ時問があるので、内風呂で洗濯を済ませておく事にした。だが、ここの風呂も湯温がとても高く、しかも海水が混じっていて塩幸いので、腕を中に入れると飛び上がりそうになるほど痛い。洗濯を済ませ、トランクス一枚とザックだけを背負って外に出た。その露天風呂には何人かの先客がいたが、誰もフルOン(女性にも該当する)で入浴している人はいなかった。
待つこと三十分。水平線と雲の僅かな隙間から夕日が顔を出してくれた。その光景は・・・…「き、来てよかった・・・・マジで・・・・感涙ものだった」
実際に其処まで行りて自分の目で焼きつけてください、一生の思い出になる事受け合いです。

深浦CA~国設薬研CA

〇八月九日
車の姿がない荒涼とした風景が続くR101を東へ進む。鰺ケ沢を過ぎ、屏風山広域農道に入る。
ここで、『Z1』に久々のメカトラブルが発生。タコメーターが全く振れなくなってしまったのである。しかし、原因はすぐに判明した。こいつはスピードメーターと同様にケーブルによってエンジンの回転をひろっているので、肝心のケーブルが老化してブッツリいってしまったのである。
十三湖が目前に迫ってきた辺りで東へ針路をかえる。R339から蟹田へ向かう県道の途中で燃料がリザーブとなる。
フェリー乗り場にて乗船手続きを済ませ、予定では下北の西端の海峡ラインを通って、大間に行くつもりだったので、ここで食料買い出しをしようかと思ったが、乾物しかなく、今夜の献立にそう商品が見当たらなかったので、下北に渡ってから出直すことにした。
フェリーに乗る前に、待合室で知り合った千葉のカワサキ三人衆(三人ともこの暑さの中レザーパンツを履いていたので三羽鳥の方が的を得てるか?)等は空冷GPZ-1100・水冷900そしてZZR-1100という、いかにも飛ぱしまっせ!というマシンに乗り、一昨日千葉を出発して日光辺りで一泊し、今日ここまで一気に走ってきたという。この先の予定を聞くと、彼らは下北に上陸したらR三三八を東進して川内町から県道を北上し、湯の川経由で大間崎、そして下風呂温泉の民宿に止まるのだそうだ。
三人衆とは船着き場で写頁をとった後、互いの道中の無事を祈ってお別れした。
ここで、更に予定変更。脇野沢で商店街らしきものが見つからなかったので、下北最大の繁華街『むつ市』にて食料買い出しをし、恐山で御参りをしてから、キャンプ場に向かっても充分時間が足りるだろうと考え、『むつ市』へ通ずる国遣を走った。自分を見てすぐ旅人と分かったのか、その店のお母さんと世間謡をしたり、下北の観光情報を教えてもらったりした。こんな時、地元の人が提供してくれる情報は信糧性が高いので参考になる。下北以外の近場で遊ぷとしたら絶対にお勧めなのが、やっぱり北海道だという。
麓蒼とした原生林を抜けて、前につんのめりそうになる程の急坂を下った先に、目指す宇曾利{湖が見えてきた・。その吸い込まれるような青さは、日本海や十和田湖とも高知の海で見たそれとも違う神懸かった美しさがあった螂高台から見た恐山の全景は今日の天気の良さもあるのだろうか、旅行雑誌で書かれている程の不気味さはなく、むしろ白い砂と鮮やかな山の緑のおかげで清々しく感じられた。

恐山

正門を一礼してくぐり、境内に入る。最近改装したぱかりという事で、どの建物も夏の陽光に照らされて白く眩しい。足下では有毒ガスがブクブクと噴き出している、その隣では水子の霊を慰める風卓が風もないのに・・・・クルクル・・・・ヒエエエエ!!!!!である。

無理矢理っぽいネーミングの『血の池地獄』を過ぎ、参道は宇曾利山湖の極楽浜に出た。ここからの眺めは正に極楽浄土、湖水は限り無く透明に近く。手前の岸辺の色は言葉では到底言い表せない。

今日・明日とキャンプする薬研温泉のサイトに着いたのは夕方の四時過ぎ。
今日から此処で二連泊する事になるので、なるべくいい場所でテントを張りたい。しかしここは人気のある所なのか、サイト内をグルグル廻ってみたが手頃なスペースが見つからない。
でも、根気よく探してみるものである。カラフルなテントが轟めく中央の広場から、一本の遊歩道が延びているのを発見したのだ。表はあれだけ混雑しているのに、ここには人影すらない、居るのは残飯を漁っている烏の群れだけである。
ケモノが食料を荒らさないようにテントの中にしっかり隠し、恐山が買ったお守りをテント内に吊るして、奥薬研温泉へと向かった。「河童の湯は今時分、虻が凄くてとても入れたもんじゃないよ、手前の老人福祉センターなら百五十円だけどきれいなフ日に入れるよ」と、途中で道を訊ねたオバハンに教えてもらっていたので、今日はとりあえずゆっくり入りたかったので、『河童の湯』は明日の楽しみに取っておくことにした。
ガラ空きのテントサイト『薬研の奥座敷』には、この時間になってもだれも進入してくる者はいなかった様だ。お挑え向きにテントの横にあった、丸太のテーブルと椅子にバルブ全開にしたランタンとタ食の材料を一面に広げ、独りでも楽しいディナーを御馳走になった。時々、背後の森からおかしな獣の吠え声にギクリと振り返りながらだが・・・…。

大間崎~尻屋崎

〇八月十日
五時に起き、軽く朝食をとった後すぐ出発した。今日は本州最北端の地『大間崎』と寒立馬の『尻屋崎』を廻る。
日中の暑さが嘘のような澄み切った空気の中、海沿いのワインディングを走る。R279は大間崎へと直繕する国道なのだが、バイクの姿がない。
のんびり走ること一時間弱、下北に上隆してから、やたらと目につく二重扉の玄関構えた家が立ち並ぷ中、フッと家並みが無くなったと思ったら『本州最北端の土産店』と、デカデカと看板を渇げている売店が視界に入ってきた事で、自分が今回目指してきた場所に到着したことが分かった。
『本州最北端の地』の碑の前に『Z1』を停め、エンジンを切る藺岸壁にぷつかる波の音が途端に耳に飛ぴ込んでくる、頭上には無数のウミネコが舞い、しょっぱい空気が鼻の奥をチクチクと刺激する。
海の彼方に静かに橦たわる北海道に向かって「来年そこへ『Z1』で行くから、首洗って待ってろよ一と眩き、大間を後にした。

尻屋崎

来た道を引き返し、むつ市をかすめて一路尻屋崎へと向かう。
重量車でボッコボコになったダートを脱出し、ほどなく『尻屋崎』と書かれた看板が目に止まり左へ折れる。オーストラリアの道路で見られるグリッドを越えて、予想だにしていなかった縞麗なアスファルトロードを行く,見ると、道の所々に馬の落とし物があり、そんなに風化していなかったので、こりゃ間違いなく近くに居る!と確信して『Z1』を灯台前の駐車場に停めた。
ここから奥に進むには歩いて行かなけれぱならないので、牧場の貫ん中を突っ切るダートロードをテクテクと歩く。

寒立馬との出会い

一頭寒立馬は居た。
売店の前に綱で繋がれ、観光客の記念撮影の相手をさせられているのは見ていた。
しかし俺が見たいのは、この東北最果ての原野で自由気ままに草をはむ馬たちの姿だった。
そこからは車両通行禁止区域だったのでひたすら歩いている。
灯台のある所から20分ほど離れたところで休憩をする事に。
残念ながらそこまでの間、馬らしき姿を一頭も見る事は無かった、彼らは一体何処に行ってしまったのか。
時間が経過するうちに段々と諦めの心境が強くなって来た。
所がである、ドラマと言うのは思いも寄らない時、思いも寄らない場所で起こる物だ。
炎天下の下、歩き疲れたので具合の良さげな大岩が道端に有ったので、そこに腰を下ろしペットボトルのお茶を飲みながら一息ついていると背後の松林から物音が聞こえてきた。
振り返ると、林の中に何かが動いているのが見えた。
 
「いた!!!」
咄嗟にカメラを取り出し、ゆっくりと彼らに接近した。
寒立馬である、俺は彼らを探していたのだ。
彼らを刺激しないように近くの切り株に腰を掛け、そこからカメラで何度もシャッターを切っていると、俺の姿に彼らも気が付いたようで、こちらに近づいてきたのだ。
しまいには、俺のウエストバッグの中身が気になるのか、鼻を突っ込んで匂いを嗅いだり、
比較的人懐っこいきれいな雌馬を撫でていると、焼きもちを焼いたのだろうか、その間に若い牡馬が長い鼻づらを突っ込んできて押しのけたりされるなど、ドキドキする場面が次々と目の前で起きたのだ。
これは売店の前に屯していては絶対に経験できないことだろう、暑いのを我慢して此処まで歩いて来た甲斐が有ったって物だ。

 

奥薬研温泉河童の湯

 

薬研に帰ってきたのはタ方の五時過ぎ。ここは公衆の浴場でしかも無料なので、さぞかし湯船は汚れているのかと思いきや、総天然石の底は苔でツルリッと来ることもなく、とても清潔そのもの。一昨年の和歌山『竜神温泉』以来の湯当たりをしてしまった。フラフラになりながら『Z1」に跨がり、キャンプ場に戻る。
『奥座敷』にはテントが一つ増えていた。そのテントの主は埼玉県新座市からやって来たのと言う。

再び十和田湖

十和田湖観光電鉄の電車を右に左に追い掛けながら、十和田市に入る。その中の大きなショッピングセンターで二日分の食料買い出し。
子の口の交差点、『十和田湖』は何事も無かったかのように我々を迎えてくれた、今年の行動拠点は、明日の八甲田山登頂やら蔦温泉に入ることを考えて『子のロキャンプ場』だ。
明るいブナ林の手頃な場所にテントを立て、タ飯の下準備をし、洗濯物と風呂道具を引っ張り出してキャンプ場を後にする。

蔦温泉

八甲田有数の蔦温泉を銭湯がわりに使うのが、かねてからのたのしみだったのだ。(これは、ほんの少しのお金と行動カと機動カのあるバイクがあってこそ成し得る醍醐味だ)蔦温泉はバスの停留所にもなっている、立派だが渋い本館が真正面に鋒える一軒宿。
明日の準備をして早々にシュラフに潜る、ここは夜になると涼しくなるので、Tシャツ一枚で寝るのは流石にまずい、ランタンの明かりを消して目を閉じる。 

八甲田山登山

〇八月十二日
温泉番組で紹介される東北の定番『酸ケ湯温泉』を過ぎ、城ケ倉を右にロープウェーへの駅を目指す。
ロープウェーの『山麓駅』には長蛇の列が既に出来ており、自分もいそいそとその列に並ぷ。数10分で『山頂駅』に到着。展望台から青森市・弘前市を一望する。いよいよ標高1585㍍の大岳に向かって出発である。
頂上に到達し、普通ならここで「やったでぇ!!」となるがもうそんな元気は無い。腰に手を当ててフラフラと山頂の広場を歩き回り、適当な草むらに崩れるようにして横になった。下山コースは、酸ケ湯に下りるコースがあり、もう一つはそのコースの途中から分かれて田茂萢に戻る道の二つしかない螂山頂から酸ケ湯に下りるとなると5キロ近く歩くことになる。そこの休憩所で水分と食事をする、そして国遣をトボトボと三キロ歩き、ロープウェーの『山麓駅』まで引き返さなければならない、当然買った往復切符は無駄になる。だから迷う事なく、田茂萢に戻るコースを選んだ。
合流してからは賑やかな所に出たせいか、他の元気なハイカー達と同じぺ-スで歩け、道端の高山植物や遼くの山を眺める余裕まで取り戻した。

岩木山登山~温湯温泉

今日も青空の朝となった。キャンプ場を後にする。
69の超ヘアピンがある、「岩木山スカイライン」。料金所で支払いを済ませ、相方のタンクを叩いて「今年最後の難所です。頼みますよ・・…」ステップをガリガリ削りながら、少しずつ標高を上げてゆく。バイクを倒す面白さはあるが、Rが殆ど同じなので楽しいのは最初だけだ。
ハンググライダーが飛び立つ駐章場の隅に『Z1」を置き、暫しのお別れである。
二人掛けのリフトで更に上に向かう。後ろを振り返ると、先程まで登ってきたヘアピンが巨大な蛇の様に山肌にへばりついているのがよく見えた。こんな特異な風景が見られるのは此処しかないかもしれない。
鳥の海噴火口を横に見ながらいよいよ、登山開始である。
意気込んで登ってきた気持ちとは裏腹に、山頂へは楽に辿り着いてしまった。具合のよさそうな大岩の上に座り上半身裸になって、昼食をとる。
ここで、キャンプしたら素晴らしい夜景と星空が一望に出来るだろうに!と思いながら、赤トンボの嵐の中を下山した、3速ホールドでスカイラインを一気に下る。
『岩木山』の周りを時計方向にグルリと廻る道路は、滑走路のように広く見通しがよい。
本日のお宿『みうら旅館』には日も傾きかけたタ方四時頃に到着した。俳優の室田日出男に似ているK100のライダー氏と二台の国産バイク(どっちかが400SFだったと思う)の人達と玄関前で暫く雑淡をする。七日問走り続けてきたという話を聞いて、「やっぱりキャンプしている人はみんなタフだわな…」と呆れ半分感心半分で日出男氏は話していた。

鳴子温泉

〇八月一四日
今日も快晴。K100氏のグループより人足先に旅館を後にする。
津軽の旅を締め括るに相応しい眺望をプレゼントしてくれた『岩木山』に心の中でお礼を言いながら黒石IC.にて東北道を南へ下る。
古川1.C.で降り、二年振りの鳴子に向かう。R47の周りの風景は自分が記憶しているかぎりは変わっていないと思う。二年前、悪天候と酷い疲労で諦めた鬼首の問欠泉を見にいくのである。R108を北上する、
国道から離れ、山間に広がる一大レジャーランドとなっている鬼首温泉の奥に、その目指す『間欠泉」はあった。しかし、ヤッパリ期待した程ではなく(旅行案内のパンフに乗っている写真も公園の噴水みたいな、情け無いものだった)、味気もない。
一回目の東北ツーリングで御世謡になった『湯泉楼』の前に『Z1』を停めた時、一瞬自分の目を疑った軸黒地に白のペンキで[歓迎・O×株式会社御一行様]と、ホテルや旅館の前に看板(?)がよく立てられているが、そのうちの一枚に[千葉(自分の名前)様]とあるではないか!!。
タ食の時も、仲居さんがわざわざ大きなお膳を抱えて座敷まで持りてきてくれて(自分がいる座敷は、ドアから洋闇を挟んで一番奥にある)、おまけに『おひつ」までここに持ってこようとしたので、これは流石に座敷の手前で受け取った。

旅の終わり

〇八月十五日
朝六時、自然に目が覚めた。初秋の目差しを思わせる太陽が窓の宥手から鳴子の町を立体的に照らす。
何度も積み下ろしして来た『Z1』のリヤシートに、一つ一つ確認するようにバッグを積んでゆく。足廻りやケーブル類のがたを点検し、オイル漏れをチェックする。本日も異常なし。
古川ICから東北遣に入り、再びドライヤー風の中を走る。蔵王山を過ぎ、国見SAで一昨日、温湯温泉で一緒になったK100ライダーグループと再会した。彼らも同じ位の時間帯に高速に乗ったのだろう。しかし、その後追いつくことはなかった。
最後まで衰えることのない暑さとの戦いに明け暮れ、東京に入り稲毛の自宅に到着したのは夕方の四時であった。
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総走行距離 約2,626km
日程 平成 6年8月7日~15日
費用 約72,000円
トラブル タコメーターケーブル断裂
[完]