祖谷渓CA
ここがまた凄い渋滞、急な坂道で路肩には30センチ位の側溝が口を開けている。とてもスリ抜けできる状態ではない。一方逆方向の道はガラガラで、時折バイクが何台か逆走していく。スリ抜け逆走を繰り返してどうにか『かずら橋』と『祖谷峡』とに分岐する場所に辿り着いた。

そこからの道は先程まではうって変わって快適なワインディング(とは言っても一車線)が続き、ブラインドコーナーから飛び出してくるクルマの数が増え始めたなぁ・・・と感じ始めた頃にケーブルカーで降りて風呂に入る事で有名な「祖谷峡温泉」に到着。駐車場にはアウトラィダーで何度か紹介されているだけあってバイクがゴロゴロと停まっている。
旅館の一階からケーブルカーに乗り込む訳だが、中は人人人でゴッタ返している。湯治で来ているオジオバ軍団はじめ、ジャリを引き連れた家族遵れやカップルやら、我々の様な単車乗りやら様々な人種が入り乱れている。この温泉がいかに有名なのかが改めて分かった。\1,500という入浴料最高金額のレコードを塗りかえて、意気揚々と順番待ちの列に並んだ。
旅館の一階からケーブルカーに乗り込む訳だが、中は人人人でゴッタ返している。湯治で来ているオジオバ軍団はじめ、ジャリを引き連れた家族遵れやカップルやら、我々の様な単車乗りやら様々な人種が入り乱れている。この温泉がいかに有名なのかが改めて分かった。\1,500という入浴料最高金額のレコードを塗りかえて、意気揚々と順番待ちの列に並んだ。

立ったまま待つこと40分、しかし下から帰ってくる人の顔を見ると、風呂上がりだというのに全然赤い顔をしていない、汗ひとつかいていない、「いい湯だったわ」と言う者もいない。言い知れぬ不安にかられたまま、やっと自分が乗れるケーブルカーが来た。『祖谷の粉挽き唄』が流れる五分間、斜度60度ちかくあるレールの上を明らかに定員オーバーのケーブルカーはゆっくりと降りていく。露店風呂のあるホームに着き、そそくさと湯船に飛び込んだ・・・「ぬるい!」が最初の言葉だった。しかも、上空の天気が下り坂なので、谷間を吹き抜ける風は涼しくとても湯船から出られない。ガキどもはお世辞にも清潔とは言えない湯船のなかを泳ぎ回っている。そして、呆れた事にこのぬるま湯に浸かりながら缶ビールを飲んでいる奴も居る。
長居は無用と判断してさっさと引き揚げることにした、上に登って改めて内風呂に入り直し(露天風呂の料金を払った人は内風呂も利用できる)、しっかり温まって祖谷峡に戻った。
暫く空けていたキャンプ場の中は満杯で、こ碕麗なRVが細い道路の路肩を占拠していた。バイクの集団も幾つか見られ、僅かな隙間に『Z1』を停める事態になった。
勿論、崖っぷちのサイトも殆ど埋まっていて、林間学校の一行や、近所の寄り合いできているのやらで賑やか・・・・いや喧しいくらいだ。炊いた御飯も長時間、水に浸しておいたにもかかわらず、またまたコワ飯になってしまった。雨が降り出す前にタ食を済ませ、シュラフに潜り込んだ頃、横たわった状態で自分の頭の上にある炊事場で、近くから来たらしい学校の先生(?)どもが宴会を始めてしまい、夜中(キャンプ場では)の8時あたりまで大声で騒いでいた、自分は前から寝入りはなを削がれると、その夜は真面に眠れなくなるという体質なので、御陰で頭が冴々としてしまい、僅かな眠気も吹き飛んでしまった。明日の剣山を含めた移動は、今回四国上隆してから初めての本格的な山越えなので、ここで寝ておかないと昼飯後が辛くなる。だが、もう一度目を瞑ってみて眠気がこない様だったら、いよいよ文句を言わなきゃいかんかなと、思った矢先。すぐ隣の家族遵れが立てたテントのジッパーが勢い良く下ろされたと思った瞬間・・・
「あんたらええ加減にせーや!!!!何時まで騒いどんねん!!!あんたらだけのキャンプ場ちゃうねんど!!!」
と、そこのお父ちゃんが怒鳴ったのである。
「すいません・・・・」と小さい声で謝りながら、迷惑宴会連中はスゴスゴと退散していった。
キャンプ場に、静寂が訪れたが、当の自分はもう手遅れ状態になっていた、これは、シュラフの中でモンモンとしていても無駄なあがきだと悟って、表に出る事にした。腕時計をみるとアリャリャ日付は替わって夜中の二時。このまま下手に寝てしまったら、絶対に朝起きられないであろう・・・・だから徹夜しよう。よってこのレポートの前半部分は、遅まきながら襲ってきた睡魔と戦いながら、炊事場の明かりの下で書き上げたものだ。しかし、書き始めると以外と時間の経つのは早く、チョット疲れてきたかな・・・と思い始めた頃には見上げた空の色が瞬く間に薄い水色になっていくのが分かった。
「すいません・・・・」と小さい声で謝りながら、迷惑宴会連中はスゴスゴと退散していった。
キャンプ場に、静寂が訪れたが、当の自分はもう手遅れ状態になっていた、これは、シュラフの中でモンモンとしていても無駄なあがきだと悟って、表に出る事にした。腕時計をみるとアリャリャ日付は替わって夜中の二時。このまま下手に寝てしまったら、絶対に朝起きられないであろう・・・・だから徹夜しよう。よってこのレポートの前半部分は、遅まきながら襲ってきた睡魔と戦いながら、炊事場の明かりの下で書き上げたものだ。しかし、書き始めると以外と時間の経つのは早く、チョット疲れてきたかな・・・と思い始めた頃には見上げた空の色が瞬く間に薄い水色になっていくのが分かった。