有明FP

 
◎OPENING
有明をフェリーが出航するのは午後六時過ぎなので、荷物のパッキングは旧中の温かい時間帯に済ませた。大きなバッグを抱えてそれをリヤシートに乗せる。荷物が一つ一つ乗せられていく度に『Z1」のサィドスタンドがズリッズリッと横にずれてゆく。
天気は春らしくはっきりしない様相である、まあ降られても大した距離ではないから大丈夫だろうと高をくくって、取り出そうとしていたストームクルーザーをザックに仕舞い込んだ。今回の旅の殆どを山の中で過ごすので雨対策は例年に無く万全である、リヤバッグをすっぽり包むバッグカバー、ブーツから染み込んでくる雨を防ぐオーバーソックスがどれだけ役に立ってくれるかどうか見物である。時刻は出発の三時を過ぎようとしていた。

〇四月三〇日
稲毛⇒有明フェリー埠頭・・・・・・
湾岸道路を走行中に市川辺りで雨。またも『出発の日には雨に降られる』のジンクスが戌立してしまった。しかも、予想外の大渋滞で全く前に進めなくなり、急遽千鳥町ICから首都高速に乗ることにした。ところが何を勘違いしたか、名前につられて新木場ICで降りてしまい(ここにも貨物船の巨大な埠頭があるのです)、散々迷ったあげくようやっと午後四時半に晴海フェリー埠頭に到着した。夕ーミナルビルの受付にて乗船手続きを済ませる。自分がこれから乗るフェリーは既に接岸していて、クルマの乗船は始まっていた。フェリーの中は帰省する家族運れと、自分と同じ徳島で降りるであろうバイクのオフローダーで溢れ返っていた。
入ろうとする所入ろうとする所の部屋が次々と満室になってゆく、二等客室の間の廊下をウロウロしていたら、案内の人が気付いてくれて鍵が掛かっていた部屋に通してくれた。このザコ寝部屋をいかに快適に過ごすかはオセロゲームと同じで、角を占領するしかない。しかし一歩及ばず(このとき自分はブーツをしっかり履いたままだった)一人のライダーがそこで既に荷物を広げてしまっていた、加えて、端から順々に場所を割当られてしまったので他の隅っこもとれず、そのライダーの隣で我慢することにした。部屋に入った人達が落ち着くまでは暫くの時間が必要なので、身軽な恰好になって一端甲板に出る事にした。ところで・・・・・・G/Wに入る前に職場の女の子に、ここでの見送りをお願いしてあったが、船が岸を離れてからもその姿は見えずがっかりしてしまった。「一人で行くんですか?すごいなァ!!!こっそりついて行っちゃおうかしら」などと、今年の始め中型2輪免許をとったばかりの彼女は言っていた。「ほんなら、せめて見送ってよ。暇なら」と冗談半分で言ったら「新しいウェアを買ったんでそれ着て行きますよ!!雨でもクルマが有るから大丈夫だし一」と嬉しい事を言ってくれたが、「ま、これる時でいいから」と言ってしまったのが良くなかったのだろうか。デッキの上を岸壁が見えなくなるまでウロウロと歩き回っている自分が至極嫌になって、なんだか初日からテンションが下がってしまった。これではいかんと、景気付けに缶ビールを一気に空け、摘みがわりに持って来ていたカロリーメイトを一個ぷち込んで、さっさとデッキを降りた。
ベッドで隣り合わせた、ツーリング歴十年というXLR氏とはすぐに行動を共にするようになり(ソロライダー同士はその点、意気統合しやすい)、風呂以外は殆ど連れ立って船の中をウロウロしていた。今回乗ったフェリーは食堂もゲームセンターもこじんまりとしていて自分なりに工夫をしないと順番待ちで時間を喰われたり、ゲームにも飽き(もうすっかりゲームに興味が無くなっていたのもある)、おまけにフェリーの中で必要になる荷物を振り分け忘れ、スウェットも本も全てバイクに置きっぱなしにしてしまった。夜になってからも、お約束の夜泣きコゾーが騒いで真面に寝る事も出来ず(イヤーウイスパーも忘れた)半ば朦朧としたままで朝をむかえるはめになった。

徳島県 田ノ浦CA

 

デッキに出ると眩しいくらいの太陽が水平線の上にあり、船は紀伊半島の南東部を順調に進んでいた。海上は凪に近く、湿った海風が少々吹いているだけで見通しは三十㌔位だろうか、二日目は上々の天気である。
鏡のような紀伊水道を航行中、自分は雑魚寝部屋で心底退屈していた、朝の食堂が始まり、しょっぱい鮭でお茶漬をつくりどうにかこうにか胃袋を目覚めさせ、やっと目が醒めたが、XLR氏は未だ爆睡の真っ最中で話す相手もなく、再びデッキに出た。左舷に広がる海に時折水鳥の様なものが波間を飛び交っている。その飛び方が海面スレスレだがあまりにも見事なのでよ~く目を凝らして見てみると、そいつはトビウオであった。飛ぷ魚を見たのは生まれて初めてである。そして定刻通り午後二時三十分、フェリーは徳島県津田港に入港した。
XLR氏とは道中の安全とツーリングの成功を誓って、8割方オフローダーが屯するフェリー埠頭をあとにする。今日の徳島の気温は三十度近く、思いっ切り暑い。
G/Wツーリングでこんなに暑い思いをしたのは一昨年以来だ。渋滞する徳島市内をヒーコラと脱出し今日景初の目的地『鳴門』を目指す。G/Wともなると西日本、特に瀬戸内・四国方面はもう初夏である。今日の教訓その壱「皮パンはいるが、皮ジャンは要らん」
霧にけぶる鳴門大橋が、見えてはきたがその下の鳴門公園は車とバイクが押すな押すなの大渋滞。直ぐ引き返し昼飯と買い出しをしてキャンプ場直行に切り換えた。キャンプヘと続くR1沿いの海岸には名物(?)の赤潮が一帯に発生していた。
午後二時、田の浦キャンプ場に到着。ここは海辺の静かな所でしかも無料解放で設備もよく整っている。バイクも数台来ていたがその殆どはオン車であった。キャンプ場前にあるプライベートビーチは、瀬戸内特有の波の小さな海岸でとてもいいムードである。そこを子供たちが遊んでいたり、オッチャンが釣りをしていたり、と思いっきり休日を楽しんでいる。御飯が炊き上がるまで防波堤の上に寝そべって暫く何も考えず視界一杯に広がる青空をみていた。ふと会社の女の子を思い出してしまった。

ツーリング初日恒例の晩飯、『カレーライス」を平らげ一服して居ると、少し離れた所でキャンプしていたバンディット400氏とTW氏が訪ねてきた。二人はお隣の和歌山県から来てお互い高校時代からの腐れ縁の仲なんだそうだ。歯切れのよい二人の話を闇いていると本当に楽しい、バンディット氏は今は農業関係、TW氏は中古自動車のセールスマン。でも会社が小さいのでそれ以外に洗車や整備もやるそうだ、特にTW氏は営業をやっているだけあって聞き手を引き込む術を心得ているようだ。ツーリングのキャリアについてはまだ二人とも北海道貞(北海道に行ったことがない人の事を指す自分が作った造語)だが十年以上という先輩である。だが近々舞鶴からのフェリーで上陸を果たしたいと言っていた。今迄行った中でお勧めは玄人好みのエリア『北陸・能登半島』なんだそうだ、車やバィクが余り集まってこないので、静かできれいな所がまだまだ残っているという。
そして、面白い話といえばTW氏は以前とある田舎の国道を走っていたら、前に居たトラックが急にハンドルを切ってなにかを避けたらしい、当然その『何か』が自分の眠前にいきなり現れるわけだが、その正体が笑った。そいつは観音開きする箪笥で彼日く「そいつがまたえらい事に全開になっていてこっちを向いとったんですわ。いや・・・私ね、危うくそこに収ってまうところでしたよ、ホンマに」因みにTW氏はキャンプも十年選手で現在使っているダンロップのテントも今年の春で十年を迎えるという。だが驚いたことにこれまでで雨に降られたのは一回だけなんだそうだ!!!
程々に酔いもまわって言い調子でお喋りを続けていたら、知らないうちに周りのテントはみな暗くなっていた。ではそろそろ、といった感じでお二人はそれぞれのテントに引き揚げていった。シュラフに入ったのは九時位だったろうか、音ひとつしない夜となり、直ぐ眠ってしまった。

〇五月二日
田の浦キャンプ場⇒竜王山キャンプ場
朝六時半に目が覚めた。いつもは五時には起きて飯を支度をするのだが、今回のツーリングは移動距離をそこそこにコンパクトに纏めて、ゆっくり走れるようにルーティングしたので、あえて目覚ましはセットしなかった。
テントの外から聞き慣れた声がしてきたので顔を出してみると、夕べの弥次喜多の一行(TW氏は北さんという名前である)がテントを撤収して引き揚げるところだった。「それでは、我々、そろそろ、参りますんで、ほな、お先に、失礼します」と、浜ちゃんがいたら「はよ喋れ!!」とハリセンで突っ込まれるような言い方で挨拶され、パンを頬張ったままで自分もあわてて一礼した。シングルとマルチの不協和音を響かせながら弥次喜多一行はキャンプ場を出ていった。今日の天気が気になったのでラジオをつける。その時耳に入ってきたニュースの内容は、昨年の悪夢を思い出させるものだった。
「只今入りましたニュースです。F-1ドライバー、アイルトン・セナ選手がレース中にコンクリートウォールに激突し死亡しました」
実は前日にもフェリーのテレビでラッツェンバーガーが同じ様な事散を起こして亡くなったというニュースを見たばかりなのである。
このニュースがラジオから流れた瞬間、同じ局を聞いていた人が多数居たのだろう、キャンプ場のあちこちから「えええーーーっっっ!!セナ死んじゃったの!!!???」という声が一斉に上がった。
ここからツーリングの話から横道に逸れるが、自分はF1からポルシェが撤退してからは殆どレースを見なくなっていたが、その後のホンダの活躍でF-1ブームが起こり、その立役者、プロスト・マンセル、セナ・パトレーゼ・ベルガーの走りは良く見ていたし年末に放送する総集編は欠かさずみていた。ロータス・ホンダにいた頃から「若くてとんでもなく早いブラジル人のレーサーがいる」という事でセナは良く知っていたし、マクラーレン・ホンダに移籍してからの破竹の活曜は周知のとおり。シューマッハやハッキネン等の若手が台頭してきてからも、セナは日本でおそらく一番有名なドライバーだったに違いない。最近ではとんねるずの石橋とのカートレースでもトップドライバーによく有りがちな高慢ちきな所は微塵も感じられず、本当にいい奴],という印象を受けた、そして「オヤジさん」こと本田宗一郎が亡くなって、その葬儀に参列した時に見せた涙は今でも忘れる事が出来ない、レースは言うまでもなく危険と隣合わせである、だからこそストリートを走る時とは比べ物にならん位に万全を期して戦っている筈なのに(F1はモータースポーツのなかで最も安全基準が厳しいという)、こうした事故が起きてしまうのは本当に残念としたいいようがない。
このニュースではまだ速報扱いで断片的な情報しか入ってきていないので詳しいことは分からないが、どうも「ピツトロードでのスピードが…」とか言っていたので、もしかしたら去年のWGPの若井選手の事故と同様のアクシデントに巻き込まれたのかもしれない。だとしたら何と言う運の悪戯だろうか・・・・

さて、ツーリングの本題に戻ることにする、本日の天気は快晴、暑くなりそうである。
キャンプ場に住み着いているノラ犬が仕切りに食べ物をせびってくるのを追い私いながら朝食をすませ、カラカラのテントを撤収して(乾いているテントを畳む時の気分の良さといったらない)午前九時頃に出発した。R11にでて一路高松へ向かう。予定では高松経由で塩の江、その奥の竜王山に行くつもりだったが、大幅に時問の余裕が出来てしまいそうなので途中、屋島に寄って遊んでいく事にした。通行料が高い割りには全然面白くない。屋島スカイラインを終点まで走ること十分、山頂の駐章場に『Z1』を停め、早くもセミが鳴いている中を屋島寺周辺散策する。屋島寺までは徒歩で五分位で行ける。そしてこで目に付くようになったのは四国全土で出会う八十八箇所参りの人達だ。
ここ最近、地元千葉で立て続けにバイク小物を盗まれていたので(スクータのバッテリとスワンズのゴーグル)、バイクから離れる時はなるべく持っていけるものは持っていくようにしていたが、通り掛かりの売店のニイチャンが「あんた、今日そんな恰好しとったらごっつ暑いやろ!!」と声を掛けられてしまうくらいにその姿は麓陶しいものだったに違いない。折角引いた汗がまた吹き出してきた辺りで、屋島西の展望台に辿り着いた、そこからの眺望は最高の一言であった。リアス式海岸のお家芸とでも言うべき眺めが視界一杯に広がっている。ただ、この季節特有の春霞を隔てて見えるものといえば、「鬼ケ島」こと「女木島」と「男木島」がぼんやり浮かび上がって見える位。
だが眼下に広がる高松の街の眺めは素晴らしく、戦国時代の武士もここから敵方の動向を伺っていたに違いない、と思うととても単純だが偉くなったような気がする。
この場所での名物「かわらなげ」をやろかと思ったが、周りの目が気になってしまうので、またの機会にすることにした。

午前十一時三十分頃、屋島を後にする。
クーラーをガンガンに効かせている車の間を擦り抜けながら高松市を脱出。針路を南へ向ける。
昼飯と食料買出しの場所に決めていた塩の江には直ぐ着いてしまった。
 

竜王山CA

県道から更に脇道に入ること数キロ、二軒の家だけが立つ山間の集落から更に1㌔山道を登ったところに今日の根城『竜王山キャンプ場」はあった。サイトの中には、山菜取りをしている夫婦がいる位で他にはだれも居ない。トィレは敷地の奥の方にある。極めつけは水道で流しや蛇口らしいものは無く、その替わり竹で組んだ支え木に黒いホースが括り付けられて、そこから水がときれとぎれに吹き出しているだけである(水道の蛇口を探すなんて、まだまだ野宿者になり切つていない)。いうまでもなくこれは天然の湧き水だ、そしてその冷たくて美味しいこと美味しいこと、正に甘露である。これだけでも『竜王山の天然水』として商品になりそうなくらいだ。
今朝パッキングしたばかりの荷物を全て下ろし、無造作に地面に広げ、ゆっくりとテントを立てた。一晩使っただけでもかなり湿気を帯びるシュラフをテントの上に広げ、早速麓の温泉「奥の湯温泉」に出かけた。
団体のオフローダー達が(ここで言うオフローダーとは全て、2輪の事を指す)通り過ぎてゆく塩江町内で買出しを済ませる。だが、あれこれと今夜のおかずを考えているうちにその内容にマンネリを感じるようになってきてはいた。そろそろ1日くらいレトルトメインではない内容の料理でも挑戦しようかとも考えた。
「奥の湯温泉共同浴場」はとてものんびりしていて露天こそない地味なところだが、混雑はしておらず快適である。湯温はとても高く湯船に長時間浸かっている事は出来なかったが、疲労物質が体内から溶け出していくのが分かるほど気分が良かった。
外に出て、汗が引くのを待ってから、キャンプ場に引き返した。サイトに着くと、2台の車と数名の学生がテントの設営をしていた。何か終始賑やかに大声で喋っているので、嫌な予感がした。「夜は静かにしてくれるんだろうなー?」
夜も更け、夕食も済み、暇になったので読書をしている間も連中は「カレーに椎茸入れてみはったらどないや?」等と、下らん話を大声でしていたがその声は山に響いてとても耳障りであった。
この様子を見て、自分が思うに彼らはきっとキャンプをしたことがないのだろう、キャンプニ日目にして耳栓を使うことになってしまった。
山間の日没は早い、東の空が黒くなってきたと思われる頃には一気に夜になってしまった。昼間はあんなに賑やかだった鳥の鳴き声もピタリと止み、その代わり虫達の声のボルテージが上がってきた。学生連中は相も変わらずデカイ声で喋っている。眠くなってシュラフに潜り込んでからは、ちょっとの間気になっていたが、こうゆう目には何度か遇っているので、間もなく眠ってしまった。