龍神村~百間山CA

〇五月二日
明け方、霧雨は降っているものの空は格段に明るくなっていた。流石に五時の目覚ましでは起きれず、かなり寝坊してしまった。起きて暫くのあいだは頭がポーツとしたままで、自分が何をやっているのかが殆ど分かっていない状況だった。しかし今回は目標をはっきり決めているので気力で起き上がり朝食をすませ、タペの豪雨から守ってくれたテントの撤収を始めた。
朦朧としているままで大汗をかきながら崖上のバイクまで大荷物を抱え何往復かし、パッキングが終わり、管理人のオバチャンに挨拶をして、バイクの暖機が終わり、小又川を出発をしたのが午前十時、地図の上では隣村なのだが、実際の道のりは遠く険しい。途中の川湯温泉でひとっ風呂浴びようかとも考えているのだが、果たして日中に次の目的地『百間山キャンプ場』に無事到着するかどうか、甚だ自信がない。

高竜スカイライン入口まで戻って、ガスCHGをする。7リットルも入ったのは先日、キャンプ場を探すために何往復もしたことが影響したのだろう。ガソリンスタンドが非常に少ないこの一帯では数㌔走らなけれぱ見つけることは出来ない。もしも山中でガス欠になったら、この旅行を取り止めるくらいの変更をしなけれぱらないし、下手をすれば事故にも繋がる。だからこれから先延々と山奥の道を走ることになるので、このガスCHGは絶対に欠かせない。
幾度となく行き来した龍神温泉街をパスし、キャンプ場の前を通過して次の人里『十津川村』までの山道、45キロの山岳道路に向けてスロットルを開けた。ツーリングマップでは県道の表示、それまでは林道だったらしいこの道も今は国道に格上げされた。格上げはされたが実際は正に『醜道』という表現がピッタリの南紀らしい、いい意味で走り甲斐のある道路だ。とにかく道という道はタベの大雨で到る所に崖崩れが起きており、湧き出た水で川の様になっていた。
特に気を使ったのは道路に崩れて散らばっている小さな岩である、その一つ一つが出来たてのホヤホヤなので角がナイフのように尖っているのだ。もし避け損なってパンクでもしようものなら・・と想像しただけで身体じゅうにカが入ってしまう、だから余計にライン取りが下手くそになってしまう。加えて道幅が一車線なのでその固まりを避けようとすると大きくアウトに孕んでしまう。
そんな時に対向車でも来ようものなら一巻の終わりである。つまり道幅狭い・舗装荒れている・コーナーのクリッピングポイントで睨みをきかせている尖った岩・沢のように流れる湧き水・ガードレールのない崖っぷち・真ん中を走って突っ込んでくる対向車。考えられるだけの悪条件が道路の上にあり、それが十津川まで続いているのだ。信州の難所が安房峠、上州は碓氷峠、東海道は箱根と鈴鹿峠、と所謂『峠』というピークがあるだけでそれ以外は平穏な道路が結んでいるだけだが、ここは違う。R425全部が難所で正に度胸試しの山岳ルートと言っても可笑しくない。今回から地図との照合をスムースに済ませる事を狙ってコンパスを持ってきた。しかし余りにもアールのきついコーナーばかりを走っているので、地図上では東に進んでいるのに、針は西や北に向くこともある。
バイクは直線よりもワインディングを走っている方が楽しいと言われるが、これだけ険しいとなるとそれも最初だけで20キ回位走った所辺りから「もう堪忍してくれ」となってくる。おまけに交換しなければならない程伸び切ったカムチェーンを気にしなければならないし、前で車同士が擦れ違う時には数分ほど渡って坂道で踏ん張っていなければならない。大きなギャップを越えた時には後ろの荷物のズレも気になる(今回はその心配は無用であった。これは大きな上達であると自分では思っている)。中間地点以降は早くも気力が萎えてきて、正直言うと「このままどっかでリタイヤして誰かに運んでもらおか」などとアホな考えも浮かんできたりした。
だが、その状態も過ぎると頭も完全に冴えて身体もバイクも一体となってくる。途中で休憩できるようなポイントはあるにはあるが、どう考えても車が擦れ違う際のエスケープゾーンにしか見えないのであえてこのまま十淳川までノンストップで走ることにした。
人里はなれた崖道なので展望が開けれぱ南紀白浜の山々が見渡せるのだが、脇見運転などもっての他である。ひたすら無心にコーナーをクリヤーするだけの移動となった、今迄の移動ではもっともきつかったR425が、やがてR168と合流すると途端に道幅は二車線となり、アップダウンがなくなり、舗装もなだらかになり、我慢して走っていた車たちが一気に加速を姶め『Z1』を追い越してゆく。ここでは自分もマイペースで走っているのでは顰蹙なので、流れに乗る程度にぺースアップをする。
更に南下して本宮町に入る、ここで4リットル給油、近場からのライダー達が屯している熊野本宮大社を横目に、川原を掘ればそこが露天風呂になる川湯温泉を目指す。途中の分岐点で右に入り、『川湯温泉』という標識に沿って道なりに走る。商店街を抜け道沿いに民家が増え始め、車の渋滞が始まったところが川湯温泉の入口であった。道路と平行して流れる川(大塔川)の川原には無数のRVと立ち昇る焚き火の煙、色とりどりのテントが見えた。その問は殆ど隙間がなく、まるでキャンプ団地みたいであった。
普段狭苦しい団地に住んでいて、休暇を利用してここまで来たのにまたまた団地の様な住まいを造り、飯を食っている。しかも直ぐ際には昨日の大雨で明らかに水嵩が増している川が流れている、酷いのはそこから1~2mも雛れていないところにテントを建てている家族も居た。
彼らは山の天気はどうゆうものなのか分かっているのであろうか?大雨は明け方まで降っていたのである、その雨が川に流れるまでには多少の時間が掛かるだろう、しかし上流では何が起こりているか分からない。もしも眠っているあいだに鉄砲水でも起こったら・・…と考えただけでも恐ろしい。恐らく自分だったら、タダでも利用しないだろう。
川湯温泉の中心に出た。色々な温泉ガイドにも紹介されているように道路脇の川原で子供たちやらじいさん達が自分だけの野天風呂を作って入っている。しかしただ浸かるだけならよいが、身体を洗えるような感じではなさそうだ。そこを通り過ぎ温泉宿が立ち並ぶ辺りで『公衆浴場』とデカデカとかいてある看板を見つけた。龍神村を出る際に直ぐ風呂に入れるような用意をしておいたのでウエストバッグ一丁で中に入った。重い皮製品を脱ぎ捨て、やっとのことで湯船に浸かることが出来た。といっても今朝も風呂には入っているのだが・・・・
印象としては湯温がかなり高い、しかし癖がないので本当に温泉なのかいな?と思っていたが湯船に入りた瞬間に体じゅうの血管がひらくのを感じたのでそれは無用の心配となった。ここで溜まった洗濯物を一気に洗ってしまうことにした(ここの浴場は洗濯禁止であった!)、旅先で洗濯するのはこれが初めてである。今迄は着替えの分は全て持っていってすませていた、しかし自分は学生時代、独り暮らしをしていたので洗濯をする事については苦ではない。寧ろやる事がなくて退屈している時には洗濯や掃除をして時間を潰していたのだから・・・・・…カンカンに温まった後は早速昼食タイム。少々逆上せて食欲が落ちているが入った喫茶店が冷房していたのと冷たいサラダとアイスコーヒーであっという間に落ち着いた、足腰が柔らかくなったところで、『Z1』に戻り残り半分の道中に戻り、途中で今日のタ食・そして明日の朝/夕食の買い出しも済ませて後は百間山渓谷を目指すのみである。R311に入り広かった車道は再び一車線に戻った、いくつかの小さいトンネルを通り過ぎたが何処もシャワーのような漏水で、トンネルの中だけは何時でも雨であるようだ。箸折峠を過ぎて再び道路は二車線に、ここらへんで中辺路と合川に別れる、自分は合川ダムの近くにある百間山キャンプ場にむけてR311を離れ合川方面へ。国道から離れた途端に道の舗装は荒れ始め、周りの樹木に勢いが感じられるようになった、樹の勢いが良い所は根っこでガードレールが曲げられていたり、路肩の舗装が破壊されていたり、もっと管理が行き届いてないところは顔の高さまで枝が垂れ下がっている)。当然民家の様な建物は一切無くさびしくはあるが、人が飛び出してくる危険がないので周りの景色をゆっくり眺めることが出来る、5~6キロ走った所でショートカットした国道と合流(R371)した。そのままどんどん南下し、眼下に渓谷っぼい光景が見え始めた頃、待望の百間山キャンプ場の案内標識が視界に入った。
R371を離れ舗装林道に入りそのまま東走し川を遡る、やがて広い段々畑にポツポツと立っている民家、そしてなによりも感動的だったのはこちらの崖から遙か向こうに30~40m隔てた山の間にロープを張り、そこに何十匹もの鯉が気持ち良さそうに泳いでいる光景を目にしたときだ。
延々と険しい山道を走り、幾つかの峠を越え、幾つかの集落を通り過ぎやっとのことで辿り着いたキャンプ場である。しかしこんな山奥とは言っても既に先客はいた。以外とも思えるほど混雑しているので果たして利用させてくれるだろうか心配ではあったが、バイクだったら適当な場所でいいですよとのこと。とてもとても感じのよいおじさんとおばさんはこの黒ずくめの単車乗りを快く迎えてくれた。あまりにも、応対が丁寧なのでこちらのほうが恐縮してしまうほどだったが、次第に慣れ持ち前のしゃべくり上手を生かして色々と世間話をしてしまった。たとえば昨日の天気はどうだったとかここいら辺の見所等など・・・・…。今回のテントサイトはいままでになく広大である。何やら村合同の盆踊り会場らしい砂利の広場でそこからさっき自分が走ってきた道が一望にできテントの前を人が行き来しない眺めのよい場所を確保した。
天気は薄曇りではあったが雲の切れ方から伺うとどうやら今夜は久々に野外ディナーと酒落込むことが出来そうである。と、そのまえに洗っておいた洗濯物をバイクとテントの間に張ったロープに引っ掛ける。パンツだろうが薄汚れたTシャツだろうが構わず干しまくる。山から吹き下ろしてくる涼しい風が見る見るうちに洗濯物の水分を奪ってゆく、多少肌寒いのは空気が乾燥しているせいだろうか。あんなに大雨が降ったのに霧ひとつ出ないのも不思議ではある。
明日はまた寝坊出来る、しかも天気は上々のようだ。御飯も昨目の失敗を取り返すかのような上出来。嫌が上にも食欲がでる、しかし間違えて買ったレトルトカレーは3人前の大盛りでとても食い切れそうになかったので、明日の朝食に回すことにした。
片づけも終わり、ラジオを聞きながら記録を纏める。明るいランタンの光りと涼しい風、時折聞こえる家族の笑い声(隣にいた二家族は夜中までベラベラと喋っていて、ここにもモラルに欠けるのがいたのがちと残念であった)、罐陶しい虫もいないのでテントは解放したままだ…正に至福の時問。後は眠くなるのを待つだけである。

連泊

〇五月三~四日
午前八時くらいだったろうか、テントを通して伝わってくる太陽熱で目が覚めた、見渡すとフライシートの隙間から強烈な日の光りが差し込み自分の顔を照らしていた。外に出てみると今迄頭の上に覆い被さっていた灰色の雨雲は消え、早くも夏を思わせる青空が一面に広がっていた、まだ季節の変わり目とあって快晴とまではいかないがツーリング五日目にしてやっと太陽を拝むことが出来た。
夕べも雨一滴も降らなかったようで、洗濯物は全てカラカラに乾いていた。寝坊はしたものの時刻は未だ朝である、まずは腹ごしらえとシュラフの虫干しをし、満足に乾かせないでしまい込んでいたレインウユアとスニーカーもテントの周りに並べた。食事も終わり、おてんと様がええ感じの高さになり、周りの空気も温かくなってきた頃、いよいよ楽しみにしていた一日探検の始まりである(連泊の最大のいいところは、近くにべースキャンプを構えての冒険ゴッコが出来ることである)。
行き先は目の前の百間山、しかし本当は山頂まで登りたかったのだが、いかんせん大きく膨れ上がったバッグのなかにはこれ以上の衣服の入る余地はなく自宅に置いてきてしまったのである。しかし次固からは、更に荷物のシェイプアップが進むので、山登りなどする時の服装も持って行く事が出来るだろう、そうすれば行動範囲が広がるだろうしその格好なら町中の食堂に入っても地元の人に好奇の視線を浴びせられることもないだろう。
とりあえず、上はトレーナー下は皮パンとブーツて固め、ザックの中にはタオルとウーロンの巨大なタップボトルを詰め込み(食料と呼ばれるものは用意してこなかった)、おおよそ登山者とは思えないいでたちで『百間渓谷遊歩道』に出発した。入口でおばあさんに入園料(ここは県立自然公園なので入園となる)を払って、杉の生い茂る間を縫うようにして山道を登り出した。
歩き出して間もなく、和歌山中に野性として生息している国の特別天然記念物『ニホンカモシカ』が保護されている飼育舎に着いた。しかし身体の色が周りの崖や岩とほとんど同じなので、彼らが動き出さないと何処に居るか分からない。たまに金網の近くによって来ると、周りに居る観光客がわっと集まるので折角のシャッターチャンスも逃してしまう、これ以上待ってもまともな写真を取れそうにないので先を急ぐことにした。その先は険しい登山道となっており、かろうじて細い階段や梯子が設けられてはいるが、自分の今の恰好では具合が悪くて仕様がない。
しかし所々に点在する瀑布は先を急で者の足を止めさせる程の見事な眺めであり、そこから流れてくる涼風は吹き出していた汗を一気に引かせてくれる。その他にも昨日までの大雨のせいなのかは分からんが道のすぐ上を根から倒された樹木が横切っていたり、足下を見ればイモリやら普段そこらへんの川ではお目に掛かれないような小動物が、流れの中にじっとしていたりするのを見つける事も出来る。
他の家族違れやらカップルやらが、まるでクロスカントリーでもしているかのように駆け足で通り過ぎてゆく中、自分はあっちで岩の後ろに行ってみたり歩道から崖下に降りていったりと、一行に前に進まない。しかしこれが本当の自然の申の歩き方なのではないだろうか?
本格的な登山の恰好をしていれぱ、一般コースだけでなくその先の登山者向けコースも踏破出来たのだが、普段からあまり『歩く』という事をしていないし、旅はまだ先があるので大事をとって途中の帰り道から引き返ずことにした。鬱蒼とはしているがきちんと管理されている歩道は到って歩きやすく、地面は槍や杉の枯れ葉が赤く積もっており、独特の雰囲気を醸し出していた。
 程よく疲労が出てきた頃に出口に辿り着き、ものの数分で我がねぐらに到着した。ふと周りを見渡すとあれだけ喧しかったファミリーキャンパーの姿がない、そう、通常であれぱ今目でG/Wはおしまいなのである。巨大なテントと夕ープと大型のRVなんかで場所を占領していた連中がいなくなった御陰で、いきなり自分の周りは閑散としてしまった。
他にも、遅く迄もたもたしていた家族違れもテントを撒収して次々と山を降りていった、連なって山道を降りてゆく車から子供がまだ遊び足りなさそうにこちらを見ている。かくゆう自分はその光景を高台から見下ろしている、そのなんと気分のよいことか、昼食をぬいて山歩きをしたせいでかなり腹が減っていたが、リズムを乱すと節制がなくなってしまうので定刻通りにタ食の準備に取りかかった。(ここが自分としては意志が硬いところだと思っている)ストーブに火を入れやることが無くなり、ふと向かいの山を見上げると真上にあった太陽がその山の向こう側に隠れ、後光が射している。そして光線の回折作用でその山も暗闇の中に浮かび上がっている、そこから連なる山脈から光りのカーテンが斜めに谷を照らしている、空は薄い青から濃い藍色と無段階に変化している。
自分はその蔵王山ほどのスケールはないものの、あまりにも幻想的な光景に暫し時間を忘れた、「こんな景色が見られなけれぱ旅に出た意味がない」
 その夜は今回のツーリングでの最後のキャンプとなるに相応しい満月の夜となった。山から吹き下ろしてくる風はとても冷たいが、シュラフに潜り込んでもテントに差し込む月光と風の音でなかなか寝つけず、暫く外にでて月光浴をすることにした、自分は昔から月光の夜が好きで、真冬でも雨戸を閉めずに夜中でもずーっと外を眺めていて母親に怒られたことがある。
 バイクで会社に通っていた頃も満月の夜の京葉道路では無灯火のまま家まで帰りたこともあるくらいだ。その独特のモノトーンの光景には、見る者全てをイマジネーションの世界へ引き込む魔力があると思っている。以前に真冬の成田街道を犬吠崎にむけてナイトランした時も満月の夜であった、刃物で切り付けられる様な寒風吹きすさぶ中を走っていた自分はふと、街路灯がなくなった辺りでライトを消してみたのである。その瞬間に視界に浮かび上がったのは昼間のようでそうではないモノトーンの世界が広がっていた。丁度その頃の月は太陽で言う夏至の位置にあったので、影は短く光線もいつになく強烈であった。それは正に真夏の昼間の景色である。
分かるだろうか?
 鼻水をたらしながら、手足を障れさせながら自分は単車に乗っている、しかし季節は真冬。殆どの人達は家の中に閉じ箭もって温かい布団の中で夢の世界に浸っている頃だろう。しかし自分は現実に眼前に広がる夢の中に出てくるような深夜の夏の真昼の光景の中を走っている。
 つまり、映像は真昼の夏の片田舎の風景である、しかし本当は夜中の真冬の風景なのだ!実際に走った人間でしか絶対に昧わえないこの超幻想体験も路肩に雪でも積もっていれぱ一気に醒めてしまうが、自分はその光景に感動してしまい涙が出てきてしまった。
バイクは真冬の夜中に乗ってこそが大五味であると前々から自分は言りているが、大の男がアーティスティックな感覚で感動するには、ナイトランで月光の下を走ればだれでも味わうことが出来る、と言いたい。
 別に音をたててもいないのに、隣に夫婦でやって来たキャンパーがテントから出てきて「あらまあ、おとーさん見なはれ見なはれ。きれーな月夜やなあ」とおばはんが声を上げて見上げていた。自分も時間を忘れ、寒さで我に帰るまで暫し夜空を見上げていた。
どこかで鳥とも獣とも判らぬ鳴き声が渓谷を渡り、月明かりに浮かび上がった南紀の山に何時までも木霊していた(まさに木霊(コダマ)とはこの現象を指すのだろう)。

百間山~潮岬YH

〇五月五日

子供の日の天気は上々であった、相変わらずすっきり晴れない空模様ではあるが、これから南に下るにしたがって天気が良くなりそうな気がしたので、レインウェアの用意をせずに出発することにした。舗装林道が終わって国道371に再ぴ合流。そこの集落の名前が『木守・コモリ』というのから昔の林業が盛んだった頃を忍ばせる。そしていよいよ緊張の連続ダート走行が始まった。雑誌やツーリング守ツプでは走りやすい未舗装道路とあったがとんでもない!一昨日のR425を恩い出させるような、尖った岩が路面のそこここに顔を出しており池のような水溜まりもあり、重量車と重装備のダブルリスクでヒヤヒヤものであった。しかも峠に差し掛かった頃にはポツポツと雨も降りだし、溢々条件は悪くなった。此処まで来てしまうと引き返すという事は出来ない(道がないのだ!!)ここを通らなければ潮岬へ行けないのだ。
 だが所々で崖の補強作業の工事や舗装工事もやっており(こんな山奥で御苦労様です)直にオン車でもストレス無しで近畿から南紀白浜まで縦走する事が出来るようになるだろう。
だが、わざわざ林道に入ってまでダート走行しないかぎり体験できない未舗装路は、なかなかスリリングで面白かった(オフ車なら楽勝だろうけど・・…)やがて、見晴らしの良い峠道が再び山林の中を通るようになると、僅かながら沿道に人の手で管理されている樹木が目に着くようになってきた。
民家がすこしづつ増え始め勾配もひたすら下りのみ。コーナーのRも大きくなりスイッチバックの様な物は無くなり、エスケープゾーンもたっぷりとってある快適な道路に変化してきた、目の前に立ちはだかるような崖もなくなり、遠くまで続いていた山並みも知らないうちに姿を消した。渓流となっていた崖下の川も緩やかな流れに変わっていた。そしてすっかり御無沙汰していた鉄道線路も沿道に姿を現した。
『海はもうすぐだ』
普段、埋め立てとはいっても海の近くで育った自分にとってあまりにも身近な『海』に対して特別な思い入れは無かった。寧ろ、日本アルプスのような険しい山の側に住むことに一種の憧れを抱いていた。
そして殆ど平坦な二車線道路になって、幾つかのコーナーをクリアした時それはその目の前に突如現れた。幼い頃から見てきた太平洋が阿の前触れも無く眼前に広がっていた。
そして何日も自分を苦しめ、楽しませてきた酷道(ちと大袈裟か)R371もそこで終点、そして紀伊半島唯一の幹線道路R42が横切っていた。
何時の間にか天気はすっかり回復し、春の暖かな日差しが道路脇に立つ電柱に黒い影を映し出していた。信号待ちの時、今迄自分が走ってきた方角を振り返るとそこには紀伊の山は見えないが、その上に立ち込める雨雲だけがあった。
 龍神村を出発する際に発見した、センタースタンドのシャフトボルトが脱落しているのを発見していたので、串本市内のバイク屋にて探してみたが呼び径がM20位ありそうな特殊なボルトは探す以前に無いという事が判明したので、残りの道中をだましだまし走る事にした(これで、カムチェーンとドライブチューンの両方の心配をしなければならなくなった)。
 串本駅前のラーメン屋で久し振りに油でギトギトした料理を頂いた、天気はすっかり初夏の日差しである。走っている間もシールドを開けてしまいたくなる程、周りの気温は上がっていた。今日は前回果たせなかった目的の一つにあった『YH』に宿泊する予定が組まれている宿予約もセオリー通りにとってはあるが、チェックインの時間にはまだまだなので、大荷物はYHに預かってもらい身軽になったところで潮岬最大の休憩所である『望楼の芝生』に椅子と街中で買ったバイク雑誌を抱えて、一番見晴らしの良い場所陣取った。
子供やら家族連れがキャッチボールとかやっていて、たまに流れ玉が飛んでくることもあったが、頭の上をクルクルとまわるトンビと海から吹き上げてくる温かい風と流れる雲ですっかり気分はナチュラルハイになっていた。
 YHにはすでに数人のライダーが居た。揃いも揃ってソロライダーで自分以外は皆、関西方面の近場から走ってきたという。
 ライダー仲間で潮岬名物の日没を見に行き、見事なばかりの正にGWツーリングの最後を飾るに相応しいタ焼けを見ることが出来た(むさくるしー野郎ばっかだったのが玉に傷)。当然の事ながら食事中や風呂に入ってからも、今迄の自分らが辿ってきた道中の話で盛り上がった。殆どのライダーは一日にして一気に此処まで来たので大して話のネタはなかったが、大雨にあったりボヤを起こしたり公衆浴場に入ったりと聞き手を引きつけるには充分バラエティーに冨んでいたと思う。
食堂に置いてあったカラオケマシーンや古ぼけたフォークギターを見て、もしやミーティングで歌わされるんじゃないかと嫌な予感がしたが、それもなく無事に就寝の時刻を迎えることが出来た。今迄の野宿の疲れがドッと出たのであろう、ここ最近なかったと思ったくらいあっと言う間に記憶がなくなってしまった。(翌日、同室のライダーに
「あんた部屋の電気こうこうと点いてんのに真先に寝てしもて、ほんで鼾かいて、やかましゅうて寝れへんかったわ」と文旬を言われた。

潮岬~那智勝浦FP

〇五月六日

翌目、旅行中これほど熟睡したことが今までにあったろうかと、思った位に爽やかな朝を迎えた、そして、いよいよ明日早朝に出航するフェリーに乗る為、まるまる一日『望楼の芝』にてビバークしなければならない、その場所もYHから数秒の所、軽く荷物をくくりつけ次々と荷物を無料キャンプサイトに運び込んだ。日中はなんとか天気はもつ様な感じだったので、去年果たせなかった那智大社に参拝がてら行ってみることにした。
あの悪夢のような渋滞に合ったR42も今となっては閑散としたもので、殆どの車がかっとんでいる。後にも先にも無いと思われた鬼のようなすり抜けも全く無く、快調そのものである、焦燥感に追われながら宿探しをした道沿いの観光案内所もみな閉まっていた。
ことごとく門前払いされたのを思い出して「おめーらの世話になんなくても、充分に楽しかったわい」と通り過ぎざまに怒鳴ってやった。『那智黒』の看板が乱立する那智大社への道路、去年行った時にZ1-ドラッグレーサーに乗っていた人から聞いた通り、御神体にしてはあまりにも小さな滝であった。その後那智スカイラインを登り、一番奥の阿弥陀寺まで行った。このお寺の周りには商店や宿泊施設がなく境内に鋒え立つ竹林のなかで時々キツツキがコツコツとつついている音がするだけでとても静かで幽玄な雰囲気が漂っていた。
夜はちょっと怖い気もするが・…一通り眺める所は回って、廃嘘と化した展望台に撃じ登りそこから眼下に広がる熊野灘を暫し眺め今迄の道中を振り返った。

所かわって潮岬、望楼の芝。天気は再び下り坂、海から吹き上げてくる風は更にムシッとしていて肌にまとわりつく様な感触がする、さてこれから退屈極まり無い一日が始まる。タ方にはとうとう雨が降りだし、昨日まで賑やかだった潮岬展望台も四時位には、全部の売店が閉まってしまいまるっきり人気がなくなってしまった。予定では目の前に見えるカレー屋でゆっくりとタ食をとって、のんびりと夜を迎えようと考えていたのだが、何時までたっても店に明かりが灯らない。腹が減ってきたので近くまで行って中を除いてみたが全く人気なし、雨も降りが強くなってきたのであまりうろうろしている訳にもいかない、かといって串本の市内までバイクで行くのも面倒臭い。どうしようかと考えながら歩いていたらなんと天の助け、ハンバーガーの自動販売機があるではないか、さっそく4つばかりまとめ買いし、それが今日のタ食とあいなった。
ランタンも出さずヘッドランプだけで読書をしていてかなり目が疲れてきた頃、いよいよ潮岬を離れる時間になった。雨もあがり絶好のラストナイトランになった、テントを撤収し今迄になくしっかりと荷物をパッキングし、エンジンに火を入れた。深夜ということもあって、ヘッドが熱くなったと同時にチョークを戻した(無論、ここから先はGSが全く開いていないので燃料節約も兼ねて)、暖機しているあいだ、浦安からやって来たというBROSに乗るライダーと話をした。彼は一日かけて千葉からここまでやってきたと言う、全く世の中にはタフというか物好きな人もいるもんだ。ここに来るまでに色々面白いところもあったろうに、一日で来たのだから全部素通りであろう。これからどうするのだ、と聞いてみたら特に決めていないそうだ。GW終わってから来たのだから何処もガラガラであろう、ちと羨ましいようで他人事ながら、人が居なさ過ぎて寂しかないだろかと余計な心配をしてしまった。
余り長い間話しているとR42を全開で走らなければならないので、途中で切り上げお互いの道中の無事を祈って出発することにした。


午後十時五十分 潮岬出発

午後十一時五十五分 那智勝浦フェリー埠頭着

五月七目午前二時 さんふらわあ『土佐』フェリー埠頭出港

午後三時 東京都新木場フェリー埠頭着

午後四時 自宅無事到着

全走行距離 1266㎞



[完]
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