出発
ツーリングの経験はある程度積んでいるとはいえ、今回ぱかりは単章も『Z1』になり、ある意味何が起こるか楽しみである。
自宅~曽爾村
ソニムラと読む。
AM4時20分、星の見えない夜空を見上げて溜め息をついた頃、新しくて古い相方の『Z1』のシリンダーヘッドが熱くなり暖機が終了したことを知らせていた、荷物のチェック、オイル漏れ、ガスの残量を確認して、ギヤをシフトし、ゆっくりとクラッチを繋いだ。恒例の3番地廻りをすませ十分後『Z1』は湾岸高遼を走っていた。早朝とあって交通量も極端に少なく白分なりのぺースが走ることが出来た、しかし出発前日に行き着けのバイク屋の人に「カムチェーン伸ぴ切ってるね、早急に交換しないと切れちゃうよ」
といわれたぱかり、しかし部品の入手にはあまりにも時問がなさ過ぎた、ということで高速もZEP400時代よりもスローぺースで走らなけれぱならない。そんな走り方だからDOHCの903㏄の発売当時世界最速のエンジンは相当苛立っていたに違いない。
去年は此処で降りた用賀ICを通過しいよいよ未踏の高速道路『東名高速』に入った訳だ。しかし東京料金所を過ぎてから雨が降り始め、自分はおろしたばかりのまっかっかのレインウェアを皮ジャンの上から着ていざ出発。足柄SAにて給油、朝食。静岡県の牧之原SAにて給油、自宅に電謡。その時点では雨も上がりうす明かりが照ってきたのだが、今は最も天気が変わりやすい季節でもあるので着たままで先を急ぐことにした。
退屈極まりない高速を予定通り岡崎ICで降り、いきなりの渋滞、R152を行く。あまりにも流れが悪いのでここらでいっちょ擦り抜けでもしたろうかいと思ったがさにあらず、格好はレインウェアで着膨れしているし、手はグローブカバーでウインカーSWを押すのもままならない、足はブーツカバーで踏ん張りが効かないしで仕方無くトラックの間に挟まって大人しくしていた。R23に入ってからも大型車の数は減るどころか一層増え、雨足も強くなってきた、用のない町で渋滞に会うと自分はどうしてもその町に対してマイナスイメージを抱いてしまう、「バイパスも真面に造れないなんて何て遅れているのだろう、金がないのか、それとも建設省からソッポむかれているのか?」と只でさえ名古屋弁、あの緒婚式の醜態で嫌悪感を持っている名古屋が更に嫌いになった。
やっと市街地を抜け、桑名ICから東名阪自動車道に乗る。雨は再び上がり薄曇りなった、今日は一日こんな感じなのだろう、ドライになった走行車線を少しぺースアップして走る。後ろの荷物は今迄の教訓を生かして出来上がったロープワークスタイル(といっても極々オーソドックスなバッキングではあるが)に落ち着き全くバランスを崩していない。荷物が気にならないというのはライダーに対する負担を大幅に軽減してくれるものなのだ、だからきっちりやっておかないと事故の原因に直接的に係わってくることもある。名古屋市内で取りそびれた昼食を御在所SAで取る、食堂の中に入ると沢山の家族連れの中に何人かのライダーも見えた、しかし自分のような重装備でやって来た者は居ず皆小綺麗なジャッケットとジーンズ、或いはカラフルなツナギ、果ては蛍光灯が歩いているようなオフローダー。それに対して自分はボサボサの頭、ええ感じに生えてきた不精髭、そこから下は黒一色のバンダナと皮ジャン皮パンツ、そして大分風格が出てきたNB-101。当然好奇の視線を受ける羽目になる、しかしそれに対してはすっかり慣れっこなので気にはならない、寧ろ他のライグーよりも旅人らしい風体だと思っている、だから平気なのだ(一日目にしてこんな事を考えている。最終目はどうなることやら)、しかし人の出入りが激しくとても一服していられる雰囲気ではなさそうなので早々とカレーを平らげSAを出る。
八耐の時期になるとバイクの長蛇の列が見られる鈴鹿ICをパスし、亀山ICで日本で唯一の無料自動車専用道路『名阪国道』に入る、渋滞もなくだらだらと流れに任せて西進する。そして降りる『針IC』まで後数㌔の所だろうか、5年近く単車というものに乗っているが居眠り運転しそうになったのはこれが初めてである、それまでに何回か瞼が重くなり前方のピントが合いにくくなってきてるなとはうすうす感じてはいた。しかしその直後に大波がきてスーツと引き込まれるように意識が薄れ、目が寄り目になった直後。我に返り反射的に逆ハンを切った、その時は既に『Z1』は側線を越え路側帯に入りかかっていたのだ!!!!!
真面目に死ぬと思った。滝の様な冷汗が吹き出た、一瞬体じゅうがコンクリで出来たようにコチンコチンになった。御陰で今迄溜まっていた眠気が一気に吹き飛んだ、そして計ったかの様に『針IC』の標識が視界に入ってきた。名阪国道は距離はそれ程でもないが信号やPAがないのでどうしても先へ先へと走ってしまうそれが眠気を誘ってしまったのかもしれない、これから先何年か後に5ヵ年計画であの北海道を巡る事を考えると止まれるところでは素直に止まって休憩した方が良い、これはもう基本中の基本なのだが、卓ならともかくまさか自分が単車に乗って居眠り運転しかけるとは思わなかっただけに今回はちとショックでもあった。
『針IC』を降りてすぐの所にコンビニを見つけたので、すぐさま食料の買いだしに取り掛かった。今回は御飯はハンゴウで炊いてつくると決めていたのでレトルトの御飯と言う地方の小さなコンビニではなかなかお目に掛かれない物は探さなくてもよいので、あっというまに買い出しはすぐに完了した(これは大きい)。そしてR369を南下、ほどなく今日最初のキャンプ予定地『奈良県青少年野外活動センター』に到着、しかしそこにとって自分が招かれざる客だということは入口に立てられている看板をみて察することが出来た。『此処は学校の修学旅行や三十名以上の団体、且つ前日に予約の有るもの以外は使用できません』とデカデカの書いてあったのである!「どうやら初日には何かが起こるというジンクスは本物みたいやな」こころの中でそう思った。
とりあえずもしかしたら受付まで行って直淡判してみよう、そうすれば薄情な関東人とちがって関西の人はおせっかいやきが多いからビバークさせてくれるかもしれない、という灰かな期寺を持って、管理棟に向かった。そこへ通り掛かった若いオネエチャンにその旨を言ったら申し訳なさそうに断られてしまった、そこで素早く切り換えて「近くにキャンプ場はないのか?」と聞いてみた、しかしそれも知らないとのこと。諦めて単車に戻り、ツーリングマップを広げ近くにキャンプ場がないかどうか探してみたところ、隣村の曾爾村にあることを発見、しかし此処から三十㌔以上離れている、迷ってる暇はない。来た道を少しぺースアップして引き返しR369を更に南下する、榛原町のGSにて給油した、辺りも天気の悪さも手伝って大分薄暗くなってきた。GSのオバハンに道をきいてこれから走る道で間遺いのないことを確認して先を急いだ、車の少ない山道を『Z1』は着干の不安を泡えながら走る。
だいぶ走ってからやっと『曾爾村』に入った、村の中心部あたりに差し掛かった頃、最も確実な情報が得られる施設を見つけた、村役場である。そこで聞いてみたところ「これで電話してみてください」と、キャンプ場案内のパンフレットを渡された。早速分かりやすい所にある『高原ロッジキャンプ村』に問い合わせてみた。答えは0K、そして単車を走らせること20分、地方になると一つの目的地に行くのに数㌔を走らなけれぱならないのが時には楽しく、時には非常に麓陶しい)かなりの標高を稼いだところにそのキャンプ場はあった。そこには、池こそ無いものの視界の開けたキャンプサイトには二組の小さなテントしかなく、今迄に利用してきたキャンプ場のタイプから言えぱ正に『池の平池キャンプ場』を思い起こさせられた。つまり地元の人しか知らない穴場とでも言いたくなるような雰囲気を漂わせているのである。
しかし到着した時刻は決して早くないので周りを散策するのをやめて設営に取り掛かった、久々のテント設営だが簡単な吊り下げタイプを選んで購入したので手問取ると言うことはなかった。荷物を全てバイクから下ろし室内へ放り込む。そして楽しい楽しい今年初めてのディナータイム。しかし、自分が食事をはじめてから何処からともなく自転章の大集団がやってきて(二十人位)テントを張り始めた、またこいつらのうるせえ事うるせえ事、食器を洗う時に自転章に書いてある名前を見たら『電通中』とあった、ここから察するに中学生の集団かと思うが違中の面樽えを見るとどうみても大学生にしか見えないのだ。とにかく訳が分からんが煩くてしょうがない、どこにいってもキャンプ生活をする上でのマナーに欠けているやつが多すぎる、それでまた質の悪い事に自分が間違っていることに気付いていないから注意すればムッとするしでいいとこ無しである。御陰でまたまた寝不足だ。
本筋から少し離れてしまったがそういうことだ、さて、肝心の御飯だが本番にコケルという悪い癖を持っている自分にしては上手く行き過ぎた、と言える位の素晴らしい御飯が出来た。まあ片手に腕時計を握り締め、ハンゴウの乗っかったストーブから片時も離れずに睨めっこしていて失敗したら泣くに泣けなかっただろう。お焦げも電気炊飯器で炊いたように殆ど無く寧ろ気味が悪いくらいだった、味のほうはカラメシでも充分いける位にほんのりと甘味がでていて涙物だった。加えておかずの豪華さも手伝って(マーボの素・牛の大和煮)最高のディナーとなった。腹一杯でシュラフに潜り込み・ええ感じで寝入った頃・夜中の2時3時位だっただろうか何処からともなく犬が走ってきてテントの直ぐ側でやたらマジに吠えまくっているのである。
その吠え方たるやまるで猟犬が熊のような動物を相手にしている時のようで、自分は大の犬好きなのでまず表に出て、余り物のパンでもくれてやれぱ大人しくなるだろうと思ったが、もしかしたら熊の様な奴かそれとも獣は霊感が強いというから幽霊かもしれないと考えるようになり、恐ろしくなって出るのをやめにしてひたすら犬がどこかへ行ってくれることを願うだけの羽目になってしまった。
曽爾村~龍神村
いつものように(キャンプにて)朝五時に目が覚め、その直受目覚ましのアラームが鳴った。外を見てみる、雨は降っていない。周りの御騒がせ連中はまだ夢の中のようで静まり返っている、まあせめて朝くらいは静かに過ごさせてほしいものだ。まずいつものように一杯のコーヒーを立てる、高原の朝は春の半ばとあってまだまだTシャツと短パンでは出歩けない位に冷え込む、だから温かいコーヒーが有り難いのだ。
今日は山に始まり山に終わる山岳ルートを一日中走る予定なので早めに出発した。山を下りると雲間から時折、太陽が顔を出す。すると途端に周りの気温やジャケットが温かくなる、ルートの前半は国道クラスの幹線道路ぱかりなので標識にいわれるまま迷うこともなく順調。桜井、桓原、大和高田をパス五条市にて食料買い出し(二日分)、持って来るのを恵れたティッシュペーパーをここで調達、これでバンダナが汚れることもない、そこから更に南下、橋本市から悪名高い南紀の3ケタ国道『R371』に入る。これから延々とお付き合いしていく道の入口は何の標識も目印もなく立ち並ぶ家の間に延びる路地であった。かろうじてそこを横切る踏切に『371』とあったのが確認出来ただけであった。

まえぶれもなく現れたその国道はハナっから酷道であった、ここが首都圏なら一方通行間違いなしの幅しかない道、ブラインドカーブの向こうから突如現れるダンプに突っ込みそうになったり、採れたての野菜を山のように積んでのんびりと走るトラクターをなかなかパス出来ず延々と後を伴走したり、照明の全く無い手掘りのトンネルをビビリながら走ったり、『OUTRIDER』に載っていた写真のコーナーも通り過ぎた、いよいよ紀伊の山に入ったのである。一年待ちに待って、この日が来るのをずっと待っていた。一つ一つのコーナーを噛み締めるように丁寧にクリヤーしてゆく、観光バスはこのルートを使わず隣町の高野山町が起点の県道で登ってくるので、麓陶しい上り勾配での渋滞もなく以外と快適に走ることが出来た(これもバンクさせて走るのが楽しいバイクならでは)。
人気のない山道が突如開けて眼前に商店や休憩場、観光バスや爺さん婆さんが犇く高野山に到着した。時刻はちょうど正午、何台かバイクが止まっている中に目立たぬようにして停めて昼飯にした、これから暫く食事も粗食がメインとなるやもしれないのでスタミナ補充を考えてカツ丼を注文した。当然、『Z1』の食事タイムもありである。
高野龍神スカイライン
そう、それは正に去年のGWにフェリー埠頭で知り合ったドラッグ仕様初期型『Z1』に乗っていた人に
「峠でレプリカに刺されてもわしは『Z1』に乗っとるんや、せやからよう追い掛ける気にはなれへん、。大トルクがあるから5速ホールドのままで、グオッグオッ(バンキングさせるタイミングに併せてスロツトルを開ける真似をしてみせた)と走らせるのがおもろいんやないか、アホみたいに回しとったらバイクよりも先にライダーの方が疲れてまうわ」
と言われたことが眼前で起こったのだ、だからかえって余裕が出来るので峠を下りてくるバイクに挨拶が出来る、相手もリヤシートにうず高く積まれた荷物とキャンパーの証である泥だらけのブーツと、何時でも何処でも水が飲めるようにと腰にぷら下げているシェラカップをみて(要はいかにも旅人然といった風体だから)すぐ挨拶をしてくれる。シーズン中というのにここら近辺は目立った観光ポイントがないせいか渋滞に悩まされることもなく途申の休憩ポイント、スカイラインの中間地点でもある『護摩壇山』に到着した。ここに来るまでスカイラインと名が付いているわりには視界の効かないルートにイライラしていたのだが、やっと近畿・南紀白浜の山々が一望に見汲す事が出来、ようやく「もう簡単に町中へ脱出することも出来なくなったな」と感じた、護摩壇山から竜神村に辿り着くのはあっという間であった、しかし下り急勾配で狭い道路を観光バスに占領されなかなかぺースが上がらないのには困った。龍神温泉手前でようやくやりすごし、さてさて本日のキャンプ場はどこかいなと地図で確認した場所付近を探してみたがどこにも看板や標識がない。おかしいと思い国道をはなれ十津川に繋がる県道(ツーリングマップには県道と記されてあったが、実際は国道425線に昇格されていた)に入りさらに先を探してみた、しかしそれらしい車や家族連れの姿が全く見えない。
やばいと感ずいてすぐ引き返す、龍神温泉街まで戻り何人かの人に尋ねてみる。話を聞いているうちにだんだんと不安になってくるのがわかった、何故ならその地図に示されている『龍神山荘』というキャンプ場は年々酷くなるキャンパーのマナーに業を煮やし、とうとう閉鎖してしまったというのだ。
なんということだ!!マナーが悪くて閉鎖とは、こんなことがあってよいものか!最後に聞いた人が言うには「何が酷いて、入場料を払わんと夜中にこっそりやって来て勝手にテント張って翌日の早朝にはそのまま片づけてトンズラしてまうねんから、ほんでゴミはほかしたまんまとかで、ええ加減管理人も切れたんちゃうの」という事実も聞かされた。その連中のなかにはバイクの集団もかなり居たとかでショックは倍。そこらへんの河辺でもキャンプしても大丈夫ともいわれたが何時何処でスコールが降って川高がいきなり増えても可笑しくないこの地方ではそれこそタブーであり「もすこし他を当たってみますわ」と言い残しその場を後にした。
龍神村小又川CAボヤ騒ぎ
結局、散々走り回ったあげくのは温泉街から2キ回離れたところにある『小又川キャンプ場』が今日の宿泊となった、申込はその場所から数百㍍はなれた家で済ませた、所がそこの管理人を務めるオバハンと話が盛り上がってしまい二十分位立ち話をした(どうも自分は話好きの人にぺースに巻き込まれやすい所があるようだ)。しかしその内容はシリアスな所もあった、それは正に先程の龍神山荘と酷似していた。小又川キャンプ場のキャンプサイトは道路から二十㍍下の川沿いにあり、車等で来た人は道路の反対側にある駐卓場から荷物を下ろして担いで下まで急坂を下りなけれぱならない。これはかなり重労働である、だがその御陰でサイト内はテントしか立たないので広く、排気ガスの臭いや轍の後がない。当然サイトは車両の進入は禁じられている(マナー以前にその急斜面を見れば危険極まりないということは火を見るよりも明らかだ)しかし、世の中分かっていない奴が居るもので、その丸太で段を付けた急斜面をオフロードバイクでムリヤリ下りて、折角管理人のオッチャンがこしらえた階段を壊して、そのままで知らん顔で帰ってしまうのだそうだ。只でさえ多雨地帯なのに一旦階段が壊されると雨で全部丸太が崖下へ流されてしまうのだそうでオジサンは誰にも文旬を言わず(言えず)また階段を造る、それが何回か繰り返して過去にあったそうだ。自分はその話を闇いて余りの単車乗りの気質の堕落に情け無いやら腹立だしいやら、そしてその黙々と丸太を運び上げて階段を造るオジサンの姿を想像して涙が出そうになった。 |
〇五月一日 今までのキャンプ生活で初めて寝坊を許された朝、しかし周りは朝早くからテントの撤収やら朝飯の用意やらで騒がしくグッスリ寝られる状況ではなかった、目覚ましも兼ねて公衆浴場に出掛けたものの、やはりここら近辺では貴重な温泉とあって朝から脱衣所は混雑している。露天風呂はまだ使用できる時間ではなかったので仕方無く内風呂に入ることにした。湯船に浸かってみると湯温がかなり高く、肩まで浸かっていると瞬く間に逆上せてしまう。湯の中をよくみると、垢のようなものが無数に揺らいでいるので一瞬ギョッとしたがそれは湯の花だそうで浴室の看板にもはっきりとそれが書かれていた。 あまりにも温まり過ぎたので慌てて湯船から飛び出し、床に座り込んで窓から見える景色を眺めていた、しかし露天と違って浴室はサウナ風呂のようになっていて、大して体温が下がってくれない。身体じゅうから大粒の汗が吹き出してくる、何のために風呂に入っているのか分からんようになってきた。 数分たってやっと落ち着き、もう一度湯船に浸かる。しかし余りにも効能が強烈なのか、ただ単に湯温が高すぎるのかは良く分からないがあっと言う間に茹であがってしまうのだ。おまけに気分も悪くなってきたのでまずいと思い、そそくさと脱衣所に脱出した。しかし先に上がったお客が扇風機を占領しているので、自分はその邪魔にならないよう扇風機の首振りに併せてその周りをウロウロとタオル一丁で歩き回っていた。だが、先客が出ていって扇風機が自分のものになった時は既に遅く、ウロウロ歩き回ったせいで余計に気分が悪くなり、暫くの間近くにおいてあったパイプ椅子に腰掛けてフーフー言いながら回復を待つ羽目になってしまった。 やっと真面に歩けるようになり(それまで酷い時には何処かに捕まっていなけれぱ立てないぐらいだったのだ)、再び悪化しないようにゆっくりと衣服を着て外に出た。外は再び下り坂でポツ堺ツと雨も降り始めていた。本当はヘルメットなんか被らずに帰りたかったのだが距離と道の状況を思うとそうもいかない、うっとおしかったが『ボーツ』とした状態で運転したらコケルかもしれんと考え被ることにした。 今日はついていない事に一日中雨、との予報だった。天気が良けれぱ近くの山でも探検したろかと思ったが、諦めてテントの中で大人しくしていた。入りは良好だが、時間帯が時間帯だけにしょうもない内容のNHKを聞きながら、本も持ってこなかったのでツーリングマップを読んで時間を漬すことにした。朝飯はどうしたかというと、本日は移動しないので節制も兼ねてカットしたのである、だから昼までガマン。 買い溜めしておいたパンや六条麦茶があるのでそれを昼に当てることにしてある、食べたけれぱいつでも手が出せるのだが、今これを食ってしまうと昼の分が無くなってしまう。 早く飯を食っただけ早く腹が減る、即ちタ食まで待てない、ということになり、だらしなくなってしまう。食事というのはやはりハラペコにしてから頂いた方が断然美昧しいに決まってる、だからガマンしているのだ。 一日中退屈を凌いでくれたラジオからは、発達中の低気圧が接近しつつあり宵のうちから大雨になる、と何度も繰り返して言っていたが、タ方まだ周りが明るいうちから雨がポツポツと降り始めた。ランタンに火を入れ米を研ぎ、そのハンゴウをストーブに乗せて間もなくランタンがガス欠のせいで炎が揺らぎ始めた。その間が悪かった、今バイクまで燃料補給に行ったら御飯が焦げてしまう恐れがある。しかしこのままだと、使いたくないヘッドライトの明かりで食事しなければならない、と思った時自分は傍らに山中でバイクがガス欠した時の予備の燃料を入れたシグボトルがあることに気付き早速それでランタンに給油を始めた。この直後とんでもないアクシデントが起こるとも知らずに・・・…。 さて、ここでそのアクシデントが起こる寸前の状況を説明しておくと、まず雨は本降りとなりとても外で煮炊きをする状態ではなかった、しかたなくテントの前室でする事に。 テントの出入り口に座って下手にグツグツと湯気を上げているハンゴウと快調に働いてくれているストーブ、真ん中には次の出番を待つオカズの入った鍋、上手には消火したぱかりのランタン、その下の地面は降り続く雨で水溜まりと化していた(勿論、野外で数ヅの池が目の前に出来るほどの大雨は初めてである、この時ばかりはグランドシートの防水性が気掛かりでならなかった)。そこで、シグボトルから直接ランタンの口にガソリンを注ごうとすれぱ当然下に零れる。地面が乾いていれぱその場に浸透して終わりであったろう。 ![]() しかし下は水溜まりが川となり、さらに悪いことに上手から下手に向かって流れていたではないか!ランタンに入らなかったガソリンは水の流れに乗って燃え盛るストーブに向かって流れてゆく。その様子を見て「なんかいやだなあ。引火しなきゃいいんだが、まぁ雨水で薄められているから大丈夫か一などと思った直後・・・・『ボッ』と言う音と共に青い炎がストーブから飛ぴ、あっと言う間に手に持っているシグボトルに襲いかかってきたのである、とっさにシグボトルを外に放り出したは良かったがその弾みで1リットル近く入っていたガソリンが流れだし、その炎はテントの数センチの所で一メートル近くの火柱を上げたのである。近くでタ食を作っていたキャンパーのオネェチャンの 「キャァ!火事よ!」 と声を上げたのが聞こえた。「やべえっ!!!」思わず叫んで裸足のまま外に飛び出した。反射的にフライシートをひっぺがしたは良いものの、余りの火の勢いで熱くて近寄れず、何時テントに引火するか分からない状況だった。火事対策の用意まではしてこなかったので、なす術もなく呆然と立ち尽くしていたそのとき向かいのバンガローで魚を焼いていたキャンパーの人が古新聞紙を持ってきてくれて、それで火元のシグボトルを立てて口を塞いだ。水の表面にガソリンが浮いてくれた御陰で火柱は大きかったものの間もなく自然鎮火した。あまりの炎の大きさに一時周りは騒然となったが、大粒の雨音で殆どの人は気付いていないようだった。 あまりのショックにガックリとなったが、なんとか気を取り直し・散らかったテント前を片づけた。フライシートは焦げひとつせず全くの無傷、これは奇跡だった。 それを見てもしもテントが全焼していたらと考えると背筋に改めて寒気を感じた。あちこちに飛んでしまったペグを探して元の位置に打ち込む。真っ黒焦げになったシグボトルを点検する。 火を消すためにかなり大きな岩を乗せたりしたが流石である穴一つ開いておらず、ススを拭き取って再び使用することが出来た。残念ながらお米の方は、外に飛び出した際に水が零れてしまったらしく、大変固い御飯が炊き上がってしまった。しかしこれも経験である、ちと『火』というのをなめてかかったトバッチリがもろに返ってきたのだから。 ですから、皆さんも野外で『火』を扱う時には心して掛からないと自分の住処も失う羽目になりますよ、本当に。その晩は叩きつけるような大雨になり、キャンプを何固かしているうちに、だいぷ余裕をもつ事が出来るようになって、自分もキャンパーとして白信が持ててきただけに、今回の『ボヤ』事件を起こしてしまったことがとても情け無く、恥ずかしく思った、加えて先程のショックで興奮していたらしく、なかなか寝つけず最悪の二晩目となった。この事はほとぼりが冷めるまでは絶対に親には言えないであろう。 そして、大雨の中アホな自分の為に飛び出して消火に当たってくれたキャンパーの皆さん、御迷惑をお懸けして、大変申し訳ありませんでした。紙面をお借りして、お礼申し上げます。 ![]() この記事の関連画像はこちら。 |