記念すべき日は台風只中

◎ワタクシメは現在のロングツーリングスタイルは、専ら一人でテントを担いで宿の心配をせずに自由に走り回るのが当たり前になってしまったが、それまでは幾つかの宿を泊まり歩いて旅を続けると言う、いたってコストのかかるスタイルであった。それを、一転してキャンプ生活に転じたのは同じ年の五月連休中の南紀白浜ツーリングにて、全て飛び込みという無謀な宿探しをして大失敗したことで、スッカリ懲りてしまったからである。
そして、夏になり会社の休日も余裕のある日程だったので、これを機に東北巡りをしようと思い付き、キャンプ用品を買い集め、北上を開始したのである。出発当日の天候は最悪、台風の北上と共に自分達も北を目指すと言う象徴的な船出となった。当時のワタクシメのマッシーンはZEP400C1つまりはゼファー400の最初期型だった、非力でかつカウルの全く無いこの単車にワタクシメは必死になってしがみつき、高速道路に吹き荒れる横風と戦いながらの第一日目と相成った。
初めてのキャンプ地は福島県裏磐梯高原にある曾原湖キャンプ場であった。天気は相変わらずの強風と時折叩き付けるように降りだす大雨の繰り返し。新品のテントは早くもその防水性を発揮する事になった。勝手が分からず何もかも自分で用意しなければならないので、一時たりとも落ち着いていられなかった。当時ワタクシメが夕食用のゴハンとして用意したのは、レトルトパック入りで茹でるだけで食べられるものを利用していた。しかし、これがなかなか無かった。コンビニエンスストアを何軒も梯子しなければならなかったのを憶えている。飯盒で米を炊く自信がなかったからだ。今考えれば、笑えてしまうが当時のワタクシメは真剣そのものだった。

裏磐梯高原~蔵王山

翌日の天気は晴、幕営場所をお隣の桧原湖の「ママキャンプ場」に移した。
翌日は朝早くキャンプ場を出発し、磐梯吾妻スカイラインを登り切り、浄土平駐車場脇にZEP400を停め眼前に聳え立つ(ってほどでもないのだが)吾妻小富士に登った。次の舞台、蔵王山に移り、幕営場所は「坊平キャンプ場」にした。余った時間を利用して、蔵王エコーラインを登り、さらにリフトを使って(1人がけ!!)刈田岳山頂に立ち、雲上人となった。
 

山形月山~池の平池CA

蔵王山を下りて、更に北上。「池の平池キャンプ場」に幕営した。前日の「ママキャンプ場」は難民キャンプ場の様を呈していたが、ここは人里からずっと奥まった所にあり静かそのもの、目の前に少し薄気味悪さも漂う「池の平池」。
テント張りの手際もこの頃になると流石によくなり、初日にかかっていた所要時間の半分ほどで設営が終わるまでに上達した。
このときの場内に居合わせたキャンパーはたった一台の単車のワタクシメと2~3台の地元ファミリーキャンパーぐらいだった。今日から帰り道、山を下りて東北道に乗って一気に宮城県古川ICまで南下し、有数の温泉地域「鳴子温泉」に向かった。今までキャンプと自炊で節約してきた資金の残り具合を見て、温泉ホテル「湯泉楼」に一泊した。久しぶりに大の字になって寝られる幸せ、豪勢な夕食に舌鼓、一晩で4回も入ってしまい、泳ぎまくった温泉風呂。ああ幸せ・・節約した甲斐があったもんだ。翌日はここから一気に高速を南下し、自宅へ帰るまで。
でも帰りたくない。しかし帰らねばならない・・・。そう思いながら静まり返った部屋の中で、来年へのプランを練る東北最後の夜であった。