仕事自体は充実していて、海外案件にも従事をして、自分が思っていたキャリア

は築けていたと思っていたが、それでも部門を持って、何か事業を牽引して

行くということができない状況に、ヤキモキしていた。上司にもその旨話したり、

上手くいかない状況を少し不満を垂れたりして、

何か壁のようなものを感じ始めていた。

 

上司とも衝突し始めていた頃、その上司から海外現地法人で

新規事業立ち上げをする話をもらった。

海外現法の責任者とも話をして、事業が立ち上がるまでとりあえず6ヶ月

短期赴任をすることとなった。

正直、全くやったことの無い事業でもあったが、バックエンドの仕組みや

業務を立ち上げることはやったことはあったし、何とかなるだろうと思い、

引き受けることとなった。

 

海外での初業務、海外メンバーに囲まれての業務、やったことのない業務、

本当に新鮮だった。現地では半年という短期間で、業務、システム、関係各社

との調整などをしながら、1ヶ月に1回は日本に帰国して、本社や関係会社と

話をして、立ち上げまでのタスクを何とかこなしていったという感じだった。

 

事業内容はあまり詳しくは言えないが、業務を立ち上げるにしても、

業務フローやQAを作り、その内容を現地メンバーやオフショアメンバーへKTをして

行くという事を1からやったり、システムも自分たちの自社システムを

構築するだけではなく、周辺の関係システム複数と連携したり、

その為に1から複数のベンダーを評価したり、、、、。

それだけではなく、とある会社とマーケティングについて議論をし、

海外市場で協力指定くれる会社を探したり、代理店を探して、

自分たちの事業を代理販売してくれる人を探したりと、本当に大変だった。

 

これだけやるのも本当に大変だったわけだが、事業を立ち上げることが

目的ではなく、実際にその事業が黒字にしなければ成らないわけで、

その計画を立てることも本当に大変だった。

 

とは言え、何とか全てのタスクを完了させて、ローンチ日には間に合わせ、

事業を開始するに至ったのであった。

 

 

 

 

 

日本に帰国してから直ぐに転職先での業務が始まった。

仕事の内容的には、CXO向けのコンサルティング案件創出、海外新規事業投資先への

Business Due Diligence。当初そこまで海外での仕事はないと思っていたが、

入社当初からアジア某国に行き、Due Diligenceの準備を現地の投資会社と話し、

協力してもらう現地コンサルティング会社と話をして、パートナー選定をした。

そこからは本当に怒涛の様な何ヶ月かを過ごしていたが、本当に面白かったと思う。

 

1ヶ月に1回某国に出張し、その間位にDue Diligenceを進めつつ、

コンサル案件の提案書作りや社内調整をする毎日。

役員といってもまだペーペーで、一人も部下がいない状態だったので、

結構自分でやらなければならないことも多かった。

とは言え、社長、オーナーに話をして、投資を進めるのか否かを判断頂くことも、

これまでの仕事にない話だった。案件の中身的には淡々と事実を集めて、

本当に投資価値があるのかを見極めて行く作業と並行で、

先方との関係性を築いたり、先方の親会社との関係性を深めて、

我々とのシナジーを検討していく内容だった。

飛行機も電車もない国で、車で何時間も揺られて、投資先の親会社を訪問し、

交渉を進めたり、現地の投資会社とも作戦を練ったりすることで、

非常にこれまでにない経験を積めたし、何より英語で全く戦略コンサル、

しかもやった事のない業務をすることは非常に新鮮だった。

結果的にはこの案件は社長、オーナーの投資エリアに対する魅力度に欠け、

NGとなった。本業に対するシナジーはかなりあったように感じたが、

社長の新事業に対する思いと現行に対する感度に負けた感じではあった。

 

半年ほど忙しい毎日を送りながら、次は新規事業創出、

次は某国での新規事業投資先、と案件を着々とこなしながら、

アジア諸国を3ヵ国ほど歴訪する状況が数ヶ月経っていた。

正直、自分のバックグラウンドとは全然違う仕事をしていて、

楽しくはあった。私を採用してくれた上司には本当に感謝している。

2人上司がいたのだが、1人はコンサル部門のトップ、

一人はどちらかというと新規事業部門のトップ。

どちらも私に自由に仕事をさせてくれて、やりたいことを只々自由にできていた。

ただ、人間欲が出てくるわけで、そろそろ自分の部門を持ちたいなと思っていた

頃に、私と同じクラスの役員が入ってきて、いきなり部門長、部下持ちみたいな

状況になった。

 

流石にこれには憤慨して、上司には話をしたが、

諸々の諸事情があって取り合ってもらえず、悶々と仕事をすることとなった。

一人で仕事をし続けるというのも、ちょっと限界を感じていたその頃、

海外現地法人へ経営として行く道もあることを知った。

アジア歴訪をしている中で、いろんな現地法人の社長とも仲良くなり、

その人たちからそんな話を聞いた。

と、そんな中、その新しく入った役員が数ヶ月で辞めるという話を聞き、

またまた憤慨してしまい、こんなことなら自分にやらせてくれればよかったのにと。初めて、部門を任せてもらうか、海外に行かせてもらうか、

どちらかないと辞めるとまで言ってしまった。これには上司も怒り始め、

色々擦ったもんだがあったが、話し合いの末、休戦をしたのだった。

 

冷静に考えると、上司もその役員もそうだが、最高学府を出ていたり、

MBAを出ていたり、戦略系コンサルを出ていたりとピカピカである。

自分もそこそこいい大学を出ているつもりではあったが、

やっぱり自分の経歴書は綺麗な方がいいんだなと思った。

そう言った人は、なんだかんだ言ってもクオリファイされているというか、

出来ることは証明されている。

だからこそ、社長もオーナーも重要な仕事を任せるし、

それなりのポジションを与えるんだと。

30代後半になって、学歴格差を受けるとは何ともなあと思いながら、

現場で頑張って上に行って自分のやりたいことをやるという、

某刑事ドラマで言ってた話は、現実問題難しいということは痛感した。

これが世の中だと。

あの時勉強していれば、海外に留学しておけば、何て色々と考えた時期ではあった。

確か、11月末に辞めることにした為、10月1ヶ月間丸々有給休暇を貰ったと

記憶している。引き継ぎは終わっていたが、プロジェクトメンバーからの連絡を

貰ったりする可能性があったので、PCを携帯していた。

 

私は某国に英語留学に1ヶ月していた。貧しい国なので色々心配なことはあったが、自分の貯金と妻から出してもらったお金を使って、単身英語をビッチリ勉強することにしたのだ。年齢的にも30代後半ということもあり、勉強するには

最後の年齢かなと思いながらの渡航だった。

 

某国の辺鄙な田舎で、かつ周りに何もない環境で、平日1日8時間英語で会話をし続けるという、何ともスパルタな環境。とは言え、最初から全然着いていけない状況になったら嫌だと思い、2ヶ月くらいオンライン英会話を毎日1時間やると決めて、

兎に角喋り続けた。

 

おかげさまで、入学時の試験は上の下くらいのクラスになり、同じ期間に入学した学生の子達よりも上になった。たんまりと教科書を受け取り、同じ部屋には某私立大4年生の男の子と相部屋になった。

 

1日8時間マンツーマンで授業をし、その間は全て英語で話をするというのは中々タフでした。授業の後は、その日の復讐と翌日の予習をするので、ご飯を食べた後は自習室に行き、勉強をする。それでも日に日にレベルは上がっていっていることは理解できたし、自分が英語で喋ることが好きなんだということもわかった。

 

他の人たちは、一度大学を出て社会人になった人、学校を出てから何をするのか考え中の人、日本人、韓国人、いろんな人がいました。1年くらいこの語学学校にいると言っている人たちも結構いて、これが終わったら別の語学学校に行くという人もいました。彼らが何を目的に入ってきたのかは深くは聞かなかったけど、夜飲みにいったり、週末島巡りの小旅行に行ったり、ショッピングモールや市場に買い物に行ったりもしましたが、大学の時みたいに適当に授業に出たり、遊んでいたりという人は少なく、みんな自分なりに英語を勉強しているようでした。

 

自分は1ヶ月という限られた時間の中で、なんとか聞くこと、喋ることを身につけようと必死で取り組んで、寒さで風邪をひいて蓄膿になっても授業に出たり、スピーキングコンテストに出てみたりと、色々チャレンジしてまあ何とかビジネスで使えるくらいにはなったかなと思えるところまできた感じでした。

とは言え、この後アメリカ英語、イギリス英語とは結構必死で格闘しましたけど、、、、。

 

最後は同期のみんなに見送られて、一足先に帰国をしたわけですが、

帰ってきた直後のTOEICではまあまあいい点数は取れたかなという感じでした。

とは言え、元々勉強は得意でないのでそこまですごい点数ではないですけどね。。。

 

気持ちが固まってしまうと、動きは早くなってしまう。

年が明けてから早速お世話になったエージェントに連絡してみた。

SIer、同業のコンサルティング会社、事業会社などを紹介してもらった。

 

SIerや同業のコンサルティング会社はやはり話を聞いてみても明確に何かを

困っている訳でもなく、只々アカウントやプロジェクトを回してくれる人間を

探しているだけのように思えた。

ある戦略コンサルでは最終的に提示してきた条件はベースを落とし、

サインナップボーナスをやるから、ポジションを落として入社しないかという

ものだった。正直ありえない話だったし、だから何だと思った。

 

先方からどうしても入ってほしいと言われたが、何が悲しくてベースもポジションも落としてわざわざ入らなければならないのか、また、採用担当パートナーから

「転職はこれ以上はしない方がいい、ここで骨を埋める覚悟で入社してくれ」

と勧められたが、理由を説明してほしいと言ったが、

「一般的にはそうだから」と言われた。

戦略コンサルってこんなもんなんだな?ロジカル合戦だったら勝てそうな人間の下で働くのはまっぴらごめんと断った。

 

そんな中で、ある日系事業会社でコンサルティング部門を立ち上げようとしており、海外案件などをやれそうだという話もあった。話をしてくれた方は戦略コンサル出身だったが、私のような所謂会計系のコンサルティングファーム出身の人間が必要だと言ってくれた。改めて、コンサルでの15年程を見つめ直してみて分かったのは、結局パートナーになってもプロジェクトの大きもの、複数プロジェクトを

纏めている一人親方でしかない。ローカルのボードメンバーになったとしても、何か意思決定をすることはなく、結局本社から提供されるソリューションや売り物を提供して行くだけだと思うと、これ以上コンサルに何の魅力もなかった。

 

事業会社で海外へ行く機会が開ければ、今思っている海外メンバーとの仕事やグローバルな仕事をすると言うことができると思った。

また、先方に役員として迎えていただけるのであればと伝えたところ、OKということであったため、二つ返事で行くことにした。

自分が目標とする、海外、事業経営ということができるということはこの上ないこと。会計系のコンサルのパートナーは、起業をして一人親方になるか、CIO・情シス部長になるか、スライドしてコンサルを転々とするかが普通。その意味ではなかなか事業会社の役員ポジションに就くということはなかなか無いと思った。

 

そこから直ぐに上司である執行役員、プロジェクトで一緒のメンバーにも話をし、お客様と話をして、辞めるに至った。実は、その後英語力を何とかさせたいという気持ちがあり、短期留学することにしたのだが、それは次の話にしよう。

 

 

 

 

何だか自分が何のためにこの会社に入ったのか、本来ビジネスをリードしたり、

海外案件をやったりとか、そんな事を考えていたが、全くできる気がしない。

海外の現地法人メンバーと連携して案件を作ろうとしていたりもしたが、

自分の英語力の無さを痛感したりもしたが、英語力をつけることが先か、

それとも案件の中でそれを培って行くことが先か、

その辺りはよくわからなくなっていた。

 

ただ、一点良く分かったことは、どんなビジネスでも自分が面白いと

思うことをやるためには、偉くならなければならない、

そして偉くなるためには英語力がどうしても必要ということだった。

確かに、前職の時もパートナーの方の中にも、

英語が出来ない方達もいっぱいいたが、執行役員や事業部長、

果ては社長になるためには英語が必要だということだった。

 

そういう意味では、このままでは駄目だと考え、当時流行っていた

オンライン英会話を一日1時間することにし、喋るということを

自分の普通にするようにしてきた。大阪出張に行った時は、

朝起きて7時くらいに30分、帰ってきてから30分位の会話を半年くらいし続けた。

それでも結構喋れるようになってきて、

でも、もっと仕事で使えるようになりたいと思い始めていた。

 

そんな時、大型プロジェクトでお客様の中にかなりヤバ目の人がおり、

プロジェクトの進捗やらあるべき論などをかなり突っ込まれ、

それにより進捗も遅れていき、最終的に自分自身の作業自体も滞り始めていた。

で、東京、大阪、セリング、デリバリー、自己学習と体を酷使していたこと、

自分がやりたいことが全く出来なかったことから、初めて体に異常を感じてきた。

 

正直、これまで徹夜をしても、何をしても、精神的に参ることもなく、

体力的にもOKだったのに、真面目に喘息と首の周りに痒みを感じる

状況になっていった。

あまりに体調が悪く、午前中で早上がりすることにした時も、

プロジェクトの進捗を報告してから帰れとか、

気合いが足りないとか言われて、かなりパワハラめいた状況ではあった。

 

もう、これはダメだと思い、自分の好きなことを本当にやろうと思い、

転職を考え始めたのでした。

 

 

 

 

コンサルティング会社3社目は正直言うと、ガチガチの会社で前職のコンサルとは

全然働き方が違う感じだった。

 

コンサルは良かれ悪かれパートナー制と言う傘の中で、法律やコンプライアンスに

触れない限り、どんな形で売上を上げてもOK、赤字を出しても自己責任、

他の案件でカバーをする、それが鉄則だった。

だからこそ動きも早いし、対策も早く取れていた。

 

パートナーの立場で入ったものの、ガチガチのルールの中、何かをしようと思っても何も出来ない。提案しようと思っても事前に審査審査、チェックチェックの嵐だった。リソースに関してもアサインメントにルールがありすぎて、人がいないのに外を使えない、真面目になんだそれって感じの状況ではあった。

 

最初に話をしておくと、元々自分が入るはずだった部門でない部門にある理由で移動しなければならなかった。また、本当は海外の仕事をする予定だったが、関西エリアを開拓するという任務にあたることになった。と言う、また何でこんなにやりたいこととズレるんだって位にズレた仕事をしていた。

 

入社当初、手始めに関西の数社を担当しながら、提案を進めたり、部門内にあるアセットをベースにして、ローラーをかけたりの毎日を過ごしていた。大阪に行った翌日、東京に戻って、また大阪に戻る。

何をやってんだと思いながらも、デリバリーで火が吹いているアカウントがあるからそこに入ってほしいと言われ、リカバリーに入ったのだが、前任者とお客様の出来レースに嵌められたり、それでも正しい提案を進め、殿(しんがり)を務めて、最後までやり切ったり、、、、。本当に大変だった。

 

それでもグローバルの仕事をしたくて、自分自身で海外案件を作り、中国メンバーと中国語でのプレゼンに参加し、

案件を受注したりして、この案件に注力しようと思って進めていたら、別の巨大案件に入ってほしいと言われ、

仕方なく中国メンバーに任せて、日本に戻ったりと、本当に散々だった。

 

初めて、仕事で会社に振り回されるという状況を味わったり、自分の目標と全く違う方向と違うことをしたり、

 

 

 

 

 

全く仕事の意味を見出せなくなっていた。

 

2社目を辞める決意をしてから、かなり大変だった。

まずはパートナー2人に了解を得なければならないのだが、

8社を担当していた人間が突然辞めることになったわけで、

相当なインパクトだったんだろうと思う。

 

原因を作ったのは自分たちなんだけど、

本人たちはその原因を作ったことなんて気がついていない訳です。

自分も今の立場からすれば、そりゃそうだと思う訳ですが、、、、。

 

2人は自分にもはや手に負えないと思ったのか、

他のパートナー2人から説得を任せることにしたようで、

そんなこと言ったって、もはや信頼関係が気づけない状態では、

一緒に仕事が出来ないということが本音だった。

 

決意を固め、退職届を出してから、自分自身は日々日々最後の仕事を

終わらせるために成果物を作っていったり、引き継ぎをしていったり、

お客様へ挨拶をしたりとかなり大変な2ヶ月間だった。

 

最後の2週間は各案件マネージャーが盛大なフェアウェルをしてくれ、

本当に幸せな毎日でした。

 

今でもコンサルティング会社に戻るのであれば、

この会社しかないと思っているし、コンサルに転職したいと思う人がいれば、

必ず勧めている会社です。

 

何が一番良い会社かと思ったかといえば、コンサルタントが

コンサルティングに集中できる環境というのが最高なんだと思っている。

それは次の会社で思い知ることにはなるが、それは次に話そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

BPOプロジェクトをなんとか終わらせ、また通常通りアカウントマネジメントに
戻っていった。8社案件を抱えつつ、次の案件創出に向けて動き始めた。

 

お客様本社にて間接業務のアウトソーシングを検討するということで、前回の案件をレバレッジして、クイックにアセスをし、効果算出をしていくという企画フェーズを実施することとなった。

実際にお客様業務を棚卸し、棚卸しした業務からどこがアウトソーシングできるのかを見極め、効果算出をする。さらに効果算出をした結果を元に、どのような計画で移管して行くのかを検討する。

そして、最終的に報告をさせていただくにあたっては、現地にお客様を招いて報告会を実施するというものだ。お手の物と言えばお手の物で、仕事自体はスムーズに進み、報告に至った。

 

この仕事を終わらせる直後にあることが起きた。

前回実施していたプロジェクトに関して、私に数字がついていないことがわかり、

パートナーへのプロモーション条件を加味されていないということが後から

わかったのだ。相当抗議はしたものの、後の祭りだったのだ。

また、ちょうど私が担当した業界が非常に厳しい状況もあり、今後のプロモーション渋滞が発生することが予想された。

 

そこで、いくつかのオポチュニティを探し始めた。

いくつか検討する中で、一つは第二創業期に向けた社長候補、もう一つは競合他社のパートナーだった。ディスカッションを進め、社長候補はかなり迷ったのだが、どうしてもその会社の評判や内容がしっくり来なかったこと、まだ社長や経営者として仕事をするということにピンと来なかったこともあり、社長候補はお断りをした。

結果、海外案件を担当できるということもあったため、まずは競合他社のパートナーを選択するということとなった。

 

本当にこの会社では色々な方にお世話になって、自分のコンサルティング人生を形作った会社だったため、辞めるということは簡単ではなかったが、我慢ができない性分の自分としては、

 

 

 

 

 

 

次に進むしかなかったと今でも思っている。

そうこうしている間に、別のクライアントグループを上司が見る様になっていた。

コンサルティング会社は、焼畑農法であり、基本的にはずっと仕事が続くということはない。いつか、どこかで終わりを迎えるのが、仕事というものだ。

 

当時7社の案件を見ていたが、上司がどうしてももう1社見てほしいと言ってきたため、仕方なく対応することにした。内容的にはシステムの仕事ではなく、BPOつまりはアウトソーシングの仕事だった。

 

内容的には自分がやったことのないような業務分野、さらにはアウトソーシングということで、なかなかキャッチアップすることもかなり大変だったが、もっと大変なことが起きていた。

 

本来プロジェクトはお客様のオーナーやステイクホルダーに合意されて進めることが普通だが、この案件は合意がされておらず、さらには現場の反対もされている状況で、いっこうに引き継ぎが進まず、完了条件が主観的すぎたことにもあり、終わりが見えない。こちらのフォルト、先方のフォルト両方あったが、それでもお客様側の問題が殆どだった。

 

それでも、日本メンバー、引き継ぎ先の海外メンバーと協力し、なんとか終わらせることができた。本当に海外のメンバーと働くということが面白く、海外出張に行くこともかなりの数、今後も海外で仕事をしてみたいと感じる良いきっかけにもなった。

 

前職では、会計系の戦略コンサルティング、システムコンサルティング、

現職では大規模システム導入、IT戦略立案、アウトソーシングなど、

本当に多岐にわたる仕事に携わらせていただいたが、この案件で海外メンバーと仕事をしてきたことが、後の私のキャリアに大きな影響を与えていることは言うまでもない。

 

 

 

 

 

大規模プロジェクトがようやく落ち着いた頃から、アカウントグループの複数子会社の案件を統括してみるようになっていった。

 

本社アカウントの複数プロジェクト、特定機器子会社2社、サービス子会社の

システム導入のプロジェクトから、BPRプロジェクト、横串プロジェクト管理、IT戦略立案などなど、

多岐にわたる会社、プロジェクトを広げて行くことを進めていった。

 

各プロジェクトはマネージャーレベルのメンバーが担当していたが、各案件を広げるために、

どの様に進めていったら良いのか、また派生的に案件が広がる可能性があれば、

その案件を詳細化して、提案に繋げていく形だ。

 

特には提案した案件が火を吹くこともあったり、お客様から変なクレームを付けられることもあったり、時にはメンバーが辞めるとか辞めないとか、いろんなトラブルシュートをしなければならなかった。

 

大変ではあったが、どんどん自分の見る規模が増えていく、まるで会社をやっている様にお客様とお話をして、案件を拾っていき、提案し、人をアサインしていく。

こんな会社経営をしているような感覚が、本当に面白かった。

 

多分、自分自身が自営業の息子ということもあり、自分自身の裁量でビジネスを大きくするということが、自分は好きなんだということが良く分かってきた。

 

そんな中、とあるプロジェクトが本当の意味の炎上をし、自分も火消しに入ったが、

消しきれず、手を替え品を替え、消し続け、かなり疲れてしまった状況の中、

大規模プロジェクトにアサインしていたメンバーが助けに来てくれた。

本当に背中を預けて仕事ができる仲間というのはこういうことなんだと分かった。

 

自分自身、メンバーや部下を呼び捨てしたり、”君”付することはしたことはないが、

これからも尊敬と信頼を込めて、絶対に呼び捨てや”君”付はせず、必ず”さん”を付けて呼ぼうと、

 

 

 

心に決めた案件だった。