愛の続きはボンジュール! -101ページ目

官僚機構はなぜ非難されないのか

官僚機構はなぜ非難されないのか ・・・(星と月の夜の中で)より

我が国の政治の歴史に見られる特色は、「独裁者」は滅ぶという法則にある。

古くは天皇から中国的な皇帝を目指した後醍醐天皇、権力を手中にして日本平定直前にまでにいった織田信長、さらには安政の大獄により尊王攘夷を阻止しようとした徳川幕府の大老・井伊直弼のような独裁的な権力を志向したり持った者たちである。

この意味で言えば昭和の田中角栄や現在の小沢一郎もその部類に入るのかもしれない。

わが国ではこのような指導者は嫌われるのであるが、その理由は、過去の社会が米穀中心の農業社会であり、強い指導者が既存の秩序を変える事を国民が嫌ったという説がある。

特に海を隔てた島という環境から、他国による侵略という概念が薄い事がこれを裏づけている。

西欧社会では他国と接しており、強い指導者による明確な政策によらないと国が侵略されるという歴史がある事に大きな違いがみられる。

このような歴史的経緯も含めて、我が国の政治的な形は徳川時代でさえおおむね合議制で物事が決まっていた。

太平洋戦争の敗戦によってもたらされた民主主義は、本来、国民の多数により選ばれた政治家主導により国家が運営されるべきものであったが、明治以来連綿として続いていた官僚制度によって大きく歪められたものに変身した。

特に、自民党という官僚出身議員を多く抱えた政党による長きにわたる独裁が続いた結果、我が国は知らず知らずのうちに官僚社会主義国家になってしまったのである。

官僚制度は独裁者のような特定の指導者を持たない。

それは制度というもので社会をコントロールするために目に見えない形で国民を欺いてきたからに他ならない。

独裁者という見える形がないので、国民は彼らの何が問題かが見えていないのである。

かたち上は民主主義というもので政治が動かされてきたが、実質的には立法行為も司法行為も全て行政府がコントロールしてきており、それは今も続いている。

独裁者という日本人が嫌う形をとっていない様に見える事から、今でも官僚制度による統治を擁護する多数の国民が存在する事も驚きであるが、我々はこの事実をもっと真剣に考えなければならない。

そもそも民主主義は三権分立という大原則により権力の集中を禁止しているものである。

従って主権在民と言えども、国民の代表者たる国会議員が全てを行うものではないし、そのような権力の行使もできない。

それを否定する形で権力の集中が実際に起こっているこの国の形は明らかに異常である。

この現在ある異常な国の形というものをしっかりと認識し、それを本来あるべき民主主義国家というものに変えない限り政治的にはいつまでたっても三流以下の国のままである。

本当の独裁者は官僚機構という制度にある事をしっかりと認識しなければ何も変わらないのだ。

国民の覚醒を望む。