こんにちは。
うつ病を経験したカウンセラーの田上です。
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京都はムシムシする日が多くなってきました
これは、昨日の天気が良かった時に撮ったものです!
今回は以前書いていたモヤモヤに対する気づきがあったので、それについて書きます。
以前の記事はこちらです。
この記事を書いた後は、
(まぁ、カウンセリングを受けたらこのモヤモヤも解消されるだろう)
そのように思っていたので、小さくなったモヤモヤはくすぶっていたのですが、不安はありませんでした。
しかし、モヤモヤに対する気づきはカウンセリングの前日に突然やって来ました
それは、夜にシャワーをしているときでした。
目をつむってお湯を頭からかけていると、次のようなことが頭に浮かんできたのです。
(あれ?)
(「自由なこころでいなければならない」)
(「モヤモヤは一つも感じてはいけない」)
(こんな考えに縛られていないか?)
、、そうなのです。
私はカウンセリングを受け、一度「自由なこころ」を体験しました。
「自由なこころ」の居心地がとてもいいので、それにこだわってしまっていたのです。
、、そう、、
「自由なこころ」で居続けようとして「不自由なこころ」になるというパラドックスが起きていたのです
それに気づき、
(また、完璧主義が出てきているなー、、仕方がない奴だ)
そのように考えられた時、
スーーーーーーっとモヤモヤが小さくなっていったのです。
しかし、今回は小さくなるだけでは終わりませんでした。
この「完璧主義」というワードがきっかけになって、ある記憶がスルスルと出てきたのです。
私が子どもの頃の両親の記憶でした。
私は父に怒られた記憶がほとんどありません。
やさしくおおらかで、子どもが好きな父なのです。
しかし、その父がよく母に怒られていたことを思いだしました。
お酒やたばこが好きだったので、そのことでよく怒られていたのです。
当時の私は、
・しっかりしていないといけない(怒られるぞ)
・テキトーやいい加減はダメだ(怒られるぞ)
このように思っていたんじゃないか?
そして、この頃から私の【まじめ】な性格が作られていったように思ったのです。
実際に高校生の頃から次のように言われることが増えました。
「しっかりしてるね。」
「まじめだよね。」
その頃は、そのことをあまりよく思っていませんでした。
(そうかな?)
(普通だと思うけど、、そう言われてもなんだかあまりうれしくないな、、)
20代になると、少しずつ変化が起きます。
まじめと言われることを受け入れるようになり、自分はそういう性格なんだと思うようになるのです。
(まじめは自分の性格なんだ、、性格なら仕方がない!)
(いっそのこと【まじめ】を売りにしてみるか)
このように自分のまじめさを積極的にアピールすることができるようになり、それがたまに笑いになることもありました。
(あぁ、まじめな自分でいいんだ。まじめでよかったかもしれないなぁ)
そう思えるようになったのです。
ところが、30代になり仕事でも責任のあるポジションにつくようになりました。
すると、
(まじめでいたほうがいい、、というか、まじめでいなければならない)
(テキトーはやっぱりいけない、まじめにしっかりしないと、、、)
自分の【まじめ】さに縛られるようになっていったのです。
そうなると、他人にもそれを求めるようになっていきました。
他人がテキトーなことをしていると腹が立ったり、なかなか許すことができないのです。
私は、そんな中うつ病を発症しました、、
今考えると、うつ病は、
過度になった【まじめ】さの軌道修正を求めていたのではないか?
そのシグナルを送っていたのではないか?とも思えるのです。
シャワーの中、そのように【まじめ】な自分を歩んできた歴史をたどることができました。
すると、不思議なことが起こりました。
(今の自分の【まじめ】さ加減は生まれ持ったものではなかった)
(【テキトー】に、ほどほどにすることがあってもいいんだ)
(自分のテキトーも他人のテキトーも、これからは許すことができるぞ)
そうして、モヤモヤがスッキリとなくなり、完璧主義な自分もまた「なりをひそめ」ました。
長い年月がかかりましたが、
ようやく、【まじめ】な自分だけではなく、【テキトー】な自分も許すことができるようになった気がします
カウンセリングはカウンセラーと共に、どんな自分も許せる自分に変化させていく共同作業なのかもしれません。
そんな風に思いました。
おわり
今回は少し長くなってしまいましたが、
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。