IBS魂! スーパーフリーエージェントで「格差社会」「仕事消失」時代を生き残れ!

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ネットビジネス界のスーパースター・与沢翼&蝶乃舞のご両名が設立したインターネットビジネススクール(IBS)での学びをシェア!同志と共に21世紀の大潮流『フリーエージェントスタイル』の実践を通して組織に縛られない自由なお金持ちを目指すブログです!

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生きていると悩みは多いものです。



いや、生きること=悩みと言っても

過言ではないですよね。



特に、人間関係。

みなさんはどうですか?



たとえば家族。

自分が学校を卒業する頃になると、

進路のことで揉めたことはないですか?

結婚のことで揉めたことはないですか?



自分が決めたことに、親は反対する。

自分の言っていることを

納得させようとしても、

まったく理解してもらえない。



このままなら、もうケンカ別れを覚悟で

家を飛び出すしかない!



本来、両親と言えば、この世の中で最も

自分のことを考えてくれる存在です。



子供の頃を思い出してください。

どんな悪いことをしても許してくれた、

最も近い存在です。親は。



でも、理解してくれない。



血のつながった親子でもこうです。

ましてや他人との間ならどうなのか?



なぜ人は人間関係で悩み続けなければ

ならないのでしょうか?



大きな理由としては、「我」、つまり

「エゴ」というものが

大きく影響している

と仏教では考えるそうです。



すべての生き物は、

「自分が一番かわいい」

という共通の特徴を持っています。



しかし、中でも人間は、その発達した

脳細胞のせいで、「知識」という余計な

荷物をたくさん背負っている。



エデンの園で「禁断の実」を食べて以来、

人間が背負わなくてはならなくなった

荷物が原因です。



たとえば親が、



「自分は親として

子供を見守ることが役割。

ただそれだけのことだ。

子供の進路も、子供が決めること。

それを私は見守るだけ」



と大きな観点からとらえれば、

わかりあえるかもしれない。



それを、



「ここまで育てるのに

自分がどれだけ苦労してきたか。

親の気持ちもわかろうとせずに、

なぜ反発するのか…」



と、余計なものをたくさん作り出し、

それを根拠に不満を爆発させてしまう。



また、子供は子供なりに

自分を正当化する

知識を根拠に自分を主張してしまう。



言うなれば、人間は、



「頭が良すぎることで

人間関係をダメにする」



生き物だと言っても

過言ではないかもしれません。



「学を絶てば憂なし」 (老子二十章)



すなわち、



「知識を捨てれば、悩みはなくなるよ」



と昔の人も教えています。



頭の良い人は、

実際にはあり得ないことでも

知識を用いて、

あるように仕向けてしまう。



二つの内、

どっちが正しいかを決める場合、

相手を説得するには、それだけの知識や

情報が必要となってきます。



実際には、自分という「我」が



「どっちが正しい」



という正当論を振りかざすために、

身につけた知識や情報に振り回されて

いるにもかかわらず。



「仁能く之を守らざれば、必ず之を失う」

               (孔子)



すなわち、相手に対する思いやりを忘れ、

常に、



「自分が正しい」



と屁理屈や

こじつけの「痴」力に長けた人は、

全ての人間関係を

破たんさせてしまうのです。



どうですか、みなさん。



このあたりでそろそろ



「バカになる生き方」



しても良い頃なんじゃないでしょうか。



「どっちが正しい ?! 」



という価値基準から離れることが、

バカへの第一歩。



「禁断の実」を吐き出す

キッカケになると思いますが。





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私の大好きな本の一つに

『荘子』があります。

これは紀元前の頃の中国で編まれた本で、

先行する『老子』という思想を、

より楽しく、かつ、

よりわかりやくするよう

編集されたものです。



その中に次のような話が出てきます。

私が好きな話なのでご紹介しますね。



中国の唐の時代に、

盧生(ろせい)という人がいました。



ある時、盧生は不思議な枕を借りてきて

寝る機会があったそうです。



すると、盧生は、自分の一生の

すべてを見るという夢を見て、

目を覚ましました。



実は、寝る前に、ご飯を炊こうと

カマドに火をつけたのですが、

まだその火は盛んに燃えていて

ご飯も炊けていませんでした。



つまり、盧生はほんの一瞬しか眠って

いなかったのです。



盧生はこの出来事を通して、人生も

1つの夢のように、アッという間の時間に

すぎないと思ったそうです。



「短い人生をどう生きるか? 」



これは今までも、そしてこれからも

人がこの世にある限り、抱え続ける

問題なのかもしれません。



では、ここで真打ち登場!



目覚めた人、

釈迦はこの問題をどのように

受け止めたのか?



「どう生きようが、最後は、ゼロ! 」



う~ん、来ましたねぇ。

「お釈迦になる」

ということわざはこういう時の

気持ちからきたんでしょうか。

バッサリです!



釈迦はこのように考えたそうです。



生まれて、大きくなり結婚する。

子供が生まれて、育て、

大人になれば独立。

気がつけば自分は老いて、

あとは死ぬのみ。



客観的に見れば、生きるということは、

ナッシング。何も残らない。



つまり、理性的に見れば、人生の結果は

「明るく、清く、真っ直ぐで、正しい」

生き方をした人でも、ゼロ。

プラスではなく、ゼロ!。



では逆に、



「暗く、汚く、曲がって、邪な」

生き方をした人はどうかというと、

マイナス判定! だそうです。

(さすがにプラスではないそうで)



でもねぇ、私はお釈迦様のように悟って

ないから、心からはうなづけないです。



理性ではなく、私の感情はどうも

しっくりきません。



でも、そこはさすが目覚めた人・釈迦。

納得できそうな

ヒントを出してくれています。



「『私』という視点を離れて、人生を

上から眺めてごらん。



その『私』のために

昼も夜も休むことなく

尽力してくれた存在。



その存在にとっては、

『私』のために生きる

という『生きがい』が大事なのだ」

と。



理性ではなく、感情というモノサシで

『生きる』ことを考えたとき、

その存在と同じように、

愛する家族や友人のことを

無視した人生はあり得ません。



つまり、『生きがい』のない人生など、

それ自体が、ゼロ! 

ということなんだと思います。



『生きがい』のある人生は、

仮に短かったとしても

濃密なものになるはずです。



心は、『生きがい』という

『磨き砂』があるからこそ、

さらに輝く!



みなさんには人生を生きる

『いきがい』はありますか?





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心を磨く上で、最大粒度の「磨き砂」は

何でしょうか?



それは「欲望」です。



人の歴史はまさしく

この「欲望」によって、良くも悪くも

磨き続けられてきたと言えます。



その昔、釈迦は「欲望」を次のように

定義しました。



「人間の欲にはキリがない。

本来、欲には限界があるはずなのに、

際限なく求め続けることで

病人のようになっている。

欲ほど恐ろしいものはないのだ 」


と。



しかし、さすがは覚者たる釈迦です。



この世の中に意味のないものなど何一つ

ないということは先刻承知。



欲の持つ二面性をしっかりと

見極めることができれば、

必ずコントロールできるはずだと

喝破していました。



ではその二面性とは何か?



それは、一つ目が、

「必要」な欲なのか、ということ。



そして、二つ目は、

「欲しい」かということ。



つまり、ニーズ(必要性)からくる

欲なのか。

あるいは、ウオンツ(渇望感)からくる

欲なのか、ということなんです。



たとえば、衣食住を整えるということは、

人間にとって「必要」な欲求から出ている

ものです。



反面、



「美味しいものが食べたい」とか、

「ブランド品が欲しい」という欲求は、

「もっと!もっと!」という心の渇きから

出てくるものです。



たとえば、男女の欲に対する姿勢の違いを

言い表すものとして、

「男は色欲に、女は物欲に」

という言い方がされます。



すなわち、男の場合は一人の女性を愛する

だけでは歯止めがきかず、複数の女性を

求めてしまう、ことが多い。



また、女性の場合なら、ブランド品を

次から次へと求めてしまう、ことが多い。



さらに、かの思想家・老子は次のように

言葉を残しています。

「多ければ則ち惑う」

と。



要するに、

欲張れば欲張るほど心配事が増えて

しまう
よということです。



たとえば学問や知識を詰め込みすぎると、

考え過ぎから論文が書けなくなる優秀な

学生が多いこともその好例でしょう。



また、医学の知識や薬の効能を

勉強し過ぎて、

肝心の医者を信じなくなる

素人も多いということもよく耳にします。



「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」

ということわざは、まさしく、

このような状況を言い表すものです。



一方で、欲の持つ良い面もしっかりと

認識しておく必要があります。



老子と同時代を生きた孔子は言います。

「富と貴きとは

是れ人の欲するところなり」




すなわち、求めること自体が

悪いのではない。むしろ、求めるモノが

得られれば嬉しいし、幸福感や自信にも

つながる。それは活気を生み出す

原動力にもなる! 



という考え方なのです。



その欲は必要性から出ているのか?

あるいは渇望感から出ているのか?



いずれにせよ、

「求めすぎない」

という選択肢の向こう側にこそ、

心の満足があるようです。





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