彼は、船乗りを先祖に持つ家系の長男として長崎に生まれた。

苦学して船乗りのライセンスを取り、遠洋の船に乗り込んでは給与を、貧しい生活を強いられている家族のもとに送った。

それだけではなく、彼には詩を書くとんでもない才能があったが、それを開花させようとしなかったのは、家族、たくさんいる妹、弟たちのために「経済」を創らなければならなかったからだ。

つまり、彼は「天才」を封印して、船に乗る人生を創り上げた。

 

彼は兄弟愛、家族愛のほかに、違う「愛」を抱えていた、いや、夢見ていた。

彼は、人生の拠点を日本ではなく、インドネシア、フィリピン、マレーシアに置いた。

そこに家をそれぞれ、構えた。

 

それぞれの家には、それぞれの女が暮らし始め、陸に上がる彼を待つようになった。

「みんな、貧しくてさあ、病院にも行けないんだ、だから、援助したくなるのさ」彼はそう言った。

はた目には情が厚いと、映るかもしれないが、本人は「だって、目の前にいたら、ほおっておけないだろ?」と言う。

 

今回、お世話するのは、以前お世話をしていた女性の「忘れ形見」

その女性は病気で亡くなり、若い娘さんが独り、残されてしまった。

 

彼の使命感は、高く燃えている。「僕が助けないと、だめなんだ、ぼくがそばにいてあげないと」

彼女と、しばらく「同棲」して、いろいろな、様々な支援を、手厚く行うという。