犬養道子「マーチン街日記」

 

著者は1964、ハーヴァード大学に研究員として戻る。

 

著者は高名な政治家を祖父にもつ家柄に生またが

アメリカでは、ただの「ミチコ」と呼ばれる

 

日本にいると、必ず、それが礼儀であるかのように

家柄、家、祖父、と家系を認められ、「ミチコ」はついでに認められる

 

かつて中曽根がレーガンを招いたときに

「なんたって、われわれは、ロン、ヤスの関係ですから」と言い放ち

馬鹿のマスコミはへらへら笑うだけだったが

日本人はこのことを、関心のレベルまであげることができなかった

 

いまだにそうだろう。

 

アメリカの開拓の歴史は、イギリスからの激しい弾圧の中から勝ち取ってきたものだ

与えられたのではなく、攻めて来る元本国の同僚を、殺害しながら勝ち取ってきた

 

そこには、肩書や家柄は関係なくなり、いつのまにか「サー」や「ロード」の称号も消え

身分も背景もない世界ができあがった。

 

自分は「何者なのか」だけが残った。