26年前の今日は、
6年前に
亡くなってしまった
姪の『
まーちゃん』が産まれてくれた日。
姉夫婦にとっては、
夫婦の危機を
救ってくれた
子供だった。
当時、姉は
結婚して10年程経っていたが
子供に恵まれず、何度も流産を繰り返していた。
それに
義兄は、
酒癖が悪く
悪酔いすると
店にお客が居ようが居まいが
姉に
物を投げ散らかしていた。
やっと
妊娠した
姉にもお構いなしに
物を投げつけていたというのだ。
当時
姉夫婦は、
食堂兼居酒屋を営んでいて
昼間は、
ランチタイムで来てくれるお客も有ったが
夜の営業となると
思うように
利益が上がらない様だった。
その為、
夫婦仲も
冷えきっていた様だった。
義兄は
短気でちょっとしたことで
店のお客と
言い合いになったりもしていた。
そんな
夫に
姉は『何が気に喰わないの?』と、
よく小言を云っていた様だ。
子供が出来れば
父親としての自覚が湧くかもと
姉は、思った様だったが、
性分とは、そう簡単には、治るものでもなかった様だ。
そんなこんなで
身ごもの姉は、
義兄との
離婚を考えていた。
義兄も自分が悪いということは、
よく分かっていた様で
義父である父に自分が署名捺印した
離婚届を
託したのだった。
『おやじさんからNにこれを渡してくれないか。
あとは
Nが署名捺印しておやじさん達が証人の欄を
書いて役場に持って行ってくれれば、いいから。』と…。
姉は、大きなお腹を抱えて実家に帰って来ていたが、
父は、『
Sがこれを持って来た。
お前は、どうするつもりだ?
もし
お前がどうしても
別れたいと云うんだったら
お父さんは、お前とお腹の子を面倒みても
いいと思ってるから、よーく考えて結論だせよ。』と
姉に話た様だ。
その後
姉は、よくよく考えお腹の子供のことを思い
もう一度
夫婦でやり直そうと
結論を出したのだ。
生まれてくる
子供のことを考えると

両親が揃って居た方が
良いのではないかと考えたのだろう。
子供が生まれる数カ月前までは、
離婚するのしないのと
揉めた
姉夫婦だったが、
1988年12月12日、昭和の年号が
最後になる年の暮れ
姉は、帝王切開で待望の
女の子を産んだ。
身長は、平均よりも若干小さめだったが、
若干ぽっちゃりめでとっても元気な
産声をあげて
生まれてきてくれた『まーちゃん』
姉は、帝王切開の傷跡が
長い年月、疼いていたようだが
流産して
辛い思いをした歳月と
比較すれば、自分が
母親に成れた喜びは、
ひとしおだったに違いないと思う。
私も『まーちゃん』が、生まれて来てくれて
名実共に叔母さんに成れた。有難うねm(__)m
あの日のこと忘れないよ、『
まーちゃん』
それにね
ミルクを飲ませてると蹴る力が強くて
お腹の傷が痛いって
姉が云って
『この子は元気に育つね^^』って話てたのに…。
ことわざに『
子は、鎹』ってあるけど
『
まーちゃん』は、まさにそうだった。
『
まーちゃん』が生まれてからは、
義兄が父親としての自覚が出来て
仕事熱心に
成ってくれた時期が有ったと
姉が話ていた。
しかし
酒の量は、あまり減らなかったみたいだけど。
『
まーちゃん』が生まれて来てくれたことで
随分と変化が有った様だ。
姉が話ていたが『
ウチの人が私に
文句を
言い始めると『まーちゃん』が
『お父さん。お母さんをイジメちゃダメ!』って云うから
『まーちゃん。ごめん、
お父さんが悪かった。』って
喧嘩に成らないで済んでいた。』って…。
そんな風に
母親の味方をしてくれていたらしい。
それから、店に来てくれる常連さんからも
可愛がられていたし、
義兄も客と言い合いに成ることも
かなり減った様だった。
『まーちゃん』が生まれて来てくれたから
姉は、妻として
夫の最後を看取ることが出来たのだと思う。
色んなことの積み重ねで
幾度となく
危機が訪れていた

姉夫婦にとって『
まあーちゃん』の存在は、
とっても大きなものだったと思う。
『
まーちゃん』今日で26歳だね。
『
まーちゃん』
おめでとうう。
もし、元気で居たとしたら
どんな
女性に成っていただろね。
同級生の娘の中には、
既に
ママに成っている人もいるけど…。
きっと『
まーちゃん』だったら
恋に
仕事に
エンジョイしているんじゃないかな。
亡くなった人の歳を数えるものじゃないだろうけど
毎年、今日になると
『
まーちゃん』が生まれた日のことを
思い出してしまう叔母のたーちゃんです。
これからも、ずーっと忘れないよ『まーちゃん』のこと。
今回は、この辺で失礼します。m(__)m
いつも読んで頂き、有難う御座いますm(__)m
6年前に
亡くなってしまった姪の『
まーちゃん』が産まれてくれた日。
姉夫婦にとっては、
夫婦の危機を救ってくれた
子供だった。当時、姉は
結婚して10年程経っていたが子供に恵まれず、何度も流産を繰り返していた。
それに
義兄は、
酒癖が悪く
悪酔いすると
店にお客が居ようが居まいが姉に
物を投げ散らかしていた。やっと
妊娠した
姉にもお構いなしに
物を投げつけていたというのだ。当時
姉夫婦は、
食堂兼居酒屋を営んでいて昼間は、
ランチタイムで来てくれるお客も有ったが
夜の営業となると思うように
利益が上がらない様だった。その為、
夫婦仲も
冷えきっていた様だった。
義兄は
短気でちょっとしたことで
店のお客と
言い合いになったりもしていた。そんな
夫に
姉は『何が気に喰わないの?』と、よく小言を云っていた様だ。
子供が出来れば
父親としての自覚が湧くかもと
姉は、思った様だったが、性分とは、そう簡単には、治るものでもなかった様だ。
そんなこんなで
身ごもの姉は、
義兄との
離婚を考えていた。
義兄も自分が悪いということは、よく分かっていた様で
義父である父に自分が署名捺印した
離婚届を託したのだった。
『おやじさんからNにこれを渡してくれないか。あとは
Nが署名捺印しておやじさん達が証人の欄を書いて役場に持って行ってくれれば、いいから。』と…。
姉は、大きなお腹を抱えて実家に帰って来ていたが、父は、『
Sがこれを持って来た。お前は、どうするつもりだ?
もし
お前がどうしても
別れたいと云うんだったらお父さんは、お前とお腹の子を面倒みても
いいと思ってるから、よーく考えて結論だせよ。』と
姉に話た様だ。その後
姉は、よくよく考えお腹の子供のことを思いもう一度

夫婦でやり直そうと結論を出したのだ。
生まれてくる
子供のことを考えると
両親が揃って居た方が良いのではないかと考えたのだろう。
子供が生まれる数カ月前までは、
離婚するのしないのと揉めた

姉夫婦だったが、1988年12月12日、昭和の年号が
最後になる年の暮れ
姉は、帝王切開で待望の
女の子を産んだ。身長は、平均よりも若干小さめだったが、
若干ぽっちゃりめでとっても元気な
産声をあげて生まれてきてくれた『まーちゃん』
姉は、帝王切開の傷跡が長い年月、疼いていたようだが
流産して
辛い思いをした歳月と比較すれば、自分が
母親に成れた喜びは、ひとしおだったに違いないと思う。
私も『まーちゃん』が、生まれて来てくれて
名実共に叔母さんに成れた。有難うねm(__)m
あの日のこと忘れないよ、『
まーちゃん』それにね
ミルクを飲ませてると蹴る力が強くてお腹の傷が痛いって
姉が云って『この子は元気に育つね^^』って話てたのに…。
ことわざに『
子は、鎹』ってあるけど『
まーちゃん』は、まさにそうだった。『
まーちゃん』が生まれてからは、
義兄が父親としての自覚が出来て
仕事熱心に成ってくれた時期が有ったと
姉が話ていた。しかし
酒の量は、あまり減らなかったみたいだけど。『
まーちゃん』が生まれて来てくれたことで随分と変化が有った様だ。
姉が話ていたが『
ウチの人が私に
文句を言い始めると『まーちゃん』が
『お父さん。お母さんをイジメちゃダメ!』って云うから
『まーちゃん。ごめん、
お父さんが悪かった。』って喧嘩に成らないで済んでいた。』って…。
そんな風に
母親の味方をしてくれていたらしい。それから、店に来てくれる常連さんからも
可愛がられていたし、
義兄も客と言い合いに成ることもかなり減った様だった。
『まーちゃん』が生まれて来てくれたから
姉は、妻として夫の最後を看取ることが出来たのだと思う。
色んなことの積み重ねで
幾度となく
危機が訪れていた
姉夫婦にとって『
まあーちゃん』の存在は、とっても大きなものだったと思う。
『
まーちゃん』今日で26歳だね。『
まーちゃん』
おめでとうう。もし、元気で居たとしたら
どんな
女性に成っていただろね。同級生の娘の中には、
既に
ママに成っている人もいるけど…。きっと『
まーちゃん』だったら
恋に
仕事にエンジョイしているんじゃないかな。
亡くなった人の歳を数えるものじゃないだろうけど毎年、今日になると
『
まーちゃん』が生まれた日のことを思い出してしまう叔母のたーちゃんです。
これからも、ずーっと忘れないよ『まーちゃん』のこと。
今回は、この辺で失礼します。m(__)m
いつも読んで頂き、有難う御座いますm(__)m