座席探しのその後 | new暴れん坊商人~視覚障害者の呟き~

座席探しのその後

最近ずっと書いている駅前の通り抜け。
2日前にとうとう真新しい誘導ブロックが敷設された。
真新しい、紺色のアスファルトの上の黄色いわかりやすい誘導ブロックである。
工事されているところとはっきり区分けされ、バス乗り場からまっすぐに駅の入口に向かって誘導ブロック敷設されたことはうれしい限り


さて、通勤時のバスに乗っての座席探しのその後。
昨日、思い切って乗車すると同時に、
「どこか席があいてますかぁ?」と聞いてみた。

間髪いれずに右斜め前のおばちゃんが、
「ここあいてますよ。」と教えてくれた。

乗ってみて気がついたのだが、土曜と日曜は姫路駅周辺でBⅠグランプリが開催されるので、いつもの駅前の通りは通らず迂回して別の駅前の場所に止まるとのこと。
こりゃあやばい。
通路が変わってしまうとわしも思うように益の入口まで行き着かないと思った。

そこで、降りがけに運転手に、どこら辺に止まっているかを聞いてみた。
すると、席を教えてくれたおばちゃんが、
「そこまで御一緒しましょうか?」と声をかけてくれた。
あぁ、最初に席を教えてくれとお願いをしたので、このおばちゃんもわしもそれほど見えていないことに気づいてくれて手引きをしてくれたんだと思った。

次は帰りのバス。
調子にのったわしは再び、乗ると同時に、
「どこかあいてますかぁ?」と聞いてみた。

すると、近くにいたおっさんが、
「ここあいてまっせ。」と言ってくれた。
けんど、わしはここがどこかわからないとつぶやきさらに席の向きが窓と平行なのか直角かわからないので右往左往していると、前不均にいたおばちゃんが、
「こっちの前のほうの広い席の方がええんとちゃうぅ?こっち、こっち。」
と実際にわしの左腕をつかんでその場所まで誘導してくれた。

やっぱし、おっさんよりおばちゃんの方が容量をえていると思った。
今日に限っては、こっちから声出してお願いをすると、それを待っていたようにすぐに応対してくれるのがわかった。

そして、今わしが読んでいる本で春山ミツル著の「生きる」という本があるが、これを聞いていて同じようなことが書いてあった。

この著者は進行性の筋ジストロフィーという病気で徐々に筋肉が衰え、今は首から上しか動かすことができず車椅子の生活をしている。
その著者が同じ病気で病院生活をしている子供たちの前で講演した後、質問を受けた。
質問をした子供は、
「外出をしたいけど、聞くところによると障害者をええことに東南にあったり恐ろしい人が多いので外出できない。」
とのことである。

その質問に対して、著者は、
「世間は確かに怖い。けれど10人の内に怖い人は3人くらいでそれ以上に親切ににしてくれる人は多い。
たとえば階段にあたり一人で登ることができない時に通りかかる人に声をかければ、10人の内に7人くらいは快く手伝ってくれる。
一人で無理だとわかったら、他の人に新たに超えかけしてでも階段の上まで連れてってくれるよ。
けれど、そのお願いをする時に大事なことがある。
それは自分の障害を受け止め一人で上れないということを相手にはっきり伝えること。
そのお願いは卑屈になった口調でなく、自分が誇りを持って生きていることを頭において、背筋を伸ばしてさわやかにお願いをすること。
そして、上まで上った後には、さわやかにありがとうとの言葉を言うこと。
そうすれば自分がさわやかな気持ちである以上にサポートしてくれた人自身がさわやかな気持ちになるんだとのことである。

おぅ、わしの考えていたことは間違ってなかったんじゃと思った。
ベッドに寝っころがって聞いていたわしの目尻に涙が伝った。

よっしゃぁ、明日からもがんばろうっと!