光への道~導入編~
わしが初めてマイパソコンを購入したのは2001年の1月であった。
視覚障害で画面の状況がほとんど見えていないわしが、パソコンを購入するとは夢にも思っていなかった。
けんど、スーパーの店舗で働けなくなったわしが、今の会社に生き残る道は、パソコンを使って仕事をする以外になかったのである。
そこで、少しでもパソコンの操作に慣れようと無謀にもパソコンと画面の情報を音声に変換してくれるスクリーンリーダーを購入することにしたのである。
パソコンの知識はほとんどないわしは、妻と一緒に家電専門店のパソコンショップに出向き、店員の薦められるまま、OSがWindowsMEのデスクトップのパソコンを購入した。
NECのバリュースター・PC-VL750R67Dである。
その当時には珍しく、デスクトップなのに、前面にPCスロットがついていて、CDRの書き込みもできるものであった。
そして、広島県の職業訓練センターの週3回、合計12回の「パソコン講習会」で基本となるパソコンの操作とワードでの文章入力を習った。
もちろんそれだけでは会社で仕事をするにはいたらなかったので、会社を1年間休み、大阪の視覚障害者専門のリハビリテーションセンターにて、パソコンを使った情報処理の職業訓練を受けた。
自宅を離れての寮生活であった。
その訓練の間に、プロバイダに入会し、インターネットの閲覧方法やメールの送受信の方法を習い、自宅のパソコンでもダイアルアップ接続にてインターネットができる環境を整えた。
これがわしが初めてインターネットの世界に接した瞬間であった。
9ヶ月間の訓練を終えて、職場復帰するまでの3ヶ月間は自宅でひたすらインターネットでの情報収集と、エクセルやアクセス、ホームページ作成のスキルアップ講座を探しての自己啓発にいそしんだ。
今から考えるとダイアルアップ接続であったので、めちゃくちゃ遅い回線速度でインターネットをしていた。
それでも、わしにとってはとても楽しく、眼の見えにくい視覚障害者でもどうにか自分で必要な情報を取得できることがわかり、目から鱗ものであった。
さて、この先、現在に至るまで、わしのパソコン生活はどう変わっていくのでしょうかねぇ?
次回「光への道~ADSL導入編~」に続く・・・!
視覚障害で画面の状況がほとんど見えていないわしが、パソコンを購入するとは夢にも思っていなかった。
けんど、スーパーの店舗で働けなくなったわしが、今の会社に生き残る道は、パソコンを使って仕事をする以外になかったのである。
そこで、少しでもパソコンの操作に慣れようと無謀にもパソコンと画面の情報を音声に変換してくれるスクリーンリーダーを購入することにしたのである。
パソコンの知識はほとんどないわしは、妻と一緒に家電専門店のパソコンショップに出向き、店員の薦められるまま、OSがWindowsMEのデスクトップのパソコンを購入した。
NECのバリュースター・PC-VL750R67Dである。
その当時には珍しく、デスクトップなのに、前面にPCスロットがついていて、CDRの書き込みもできるものであった。
そして、広島県の職業訓練センターの週3回、合計12回の「パソコン講習会」で基本となるパソコンの操作とワードでの文章入力を習った。
もちろんそれだけでは会社で仕事をするにはいたらなかったので、会社を1年間休み、大阪の視覚障害者専門のリハビリテーションセンターにて、パソコンを使った情報処理の職業訓練を受けた。
自宅を離れての寮生活であった。
その訓練の間に、プロバイダに入会し、インターネットの閲覧方法やメールの送受信の方法を習い、自宅のパソコンでもダイアルアップ接続にてインターネットができる環境を整えた。
これがわしが初めてインターネットの世界に接した瞬間であった。
9ヶ月間の訓練を終えて、職場復帰するまでの3ヶ月間は自宅でひたすらインターネットでの情報収集と、エクセルやアクセス、ホームページ作成のスキルアップ講座を探しての自己啓発にいそしんだ。
今から考えるとダイアルアップ接続であったので、めちゃくちゃ遅い回線速度でインターネットをしていた。
それでも、わしにとってはとても楽しく、眼の見えにくい視覚障害者でもどうにか自分で必要な情報を取得できることがわかり、目から鱗ものであった。
さて、この先、現在に至るまで、わしのパソコン生活はどう変わっていくのでしょうかねぇ?
次回「光への道~ADSL導入編~」に続く・・・!